2019-09-11

●「時間的形態としての都市」でエリー・デューリングが次のように述べていることを昨日の日記で引用した。この言葉は、たとえば桂離宮のような庭園を想起させる。

(…)ベルクソンはむしろ生成を、平行的に展開する流れの線を集めた一本の束として考察することを提案するのです。あるいは、大きさも樹齢も異なり、それぞれのリズムで生えてくる木々からなる森として、と言ってもいいですし、つまりは何らかの生物集団として考察するわけです。》

庭園には、石組みや土地の起伏(高低差や回遊路)といった、かなり長い時間にわたって安定して固定されうる要素がある(土=土地よりも石の方がより安定しているだろう)。そこに、割合安定しているが、石や土地の起伏よりは壊れやすい、木造建築(書院や点在する茶室)が付け加えられる。さらに、水たまり()や様々な植物がある。植物は成長したり枯れたりして常に変化している。常緑樹と落葉樹とでは、季節による変化の具合も異なるし、様々な種によって、成長の速度も異なる。このように庭園は、安定性と変化の度合いや、成長と崩壊のリズムが異なっている、様々な要素の複合によって構成されている。庭園という一つの統合(同時性)は、複数のリズムの異なる持続の束として成立している。

このような日本庭園について、エリー・デューリングは井上充夫を引用しつつ、次のように述べている。

《伊東(豊雄)が表現するネットワークの思想では漂流や夢といった言葉の元に前面に出てくるのは、実は遠隔操作の原理です。これは流動的で連続的な経路に従って、近くから近くだけでなく、遠くから遠くをもつなぐ交流の様態を意味します。》

《実のところ遠隔作用というこのアイデアは、日本庭園の美学の本質的な教えと私が考えるものと合流します。それは非連続的な枠づくりと枠の除去による、断続的な視界の美です。現代的な解釈では日本庭園の中にル・コルビュジュエが「建築的散歩」と呼んだ、場所から場所への連続的移動による視点のつながりの一形態を見ようとするので、私の解釈はそれに対立しますが、しかしこの非連続的な性格は本質的なものです。井上充夫はある見事なテキストの中で、日本庭園の「行動的空間」の中で得られる眺めの経験にある、本質的に遊動的かつ断続的な性格を正当にも述べています。この自然による枠づくりは不動の地点から出発し、そしてこれらの点は運動の「紆余曲折」すなわち「逸脱し、非連続的であり」それゆえそのものとしては決して「全体として観察されることのない」運動に従って次々と占められていかなければならないのです。「曲がった廊下、書院風の家の部屋、回遊式庭園の紆余曲折に満ちた散歩道の中で経験されるのは、不断の変化の暗示であり、かつてあったこと、これからあるであろうことについての無知である。」井上はここで、この話を見事に表現している中世の詩を引用しています。「ほのぼのとあかしの浦の朝露に 島隠れゆく舟をしぞ思う」〔訳注:古今和歌集〕。物思いにふけりながら郊外の電車に揺られ、道沿いにまばらに配置された建物や遊歩道、公園の一部分、木々に半分隠れた神社の屋根、石灯籠などがわずかの間だけ点滅し、遠ざかっていくのを眺めている時にも、これと同じことが起きています。時として視線を遮る平坦な風景は巻物のように、過去の残響のように、過去に思い描かれた未来像のように繰り広げられます。》

 

2019-09-10

●引用、メモ。「同時性」について。「時間的形態としての都市」(エリー・デューリング)より。ここでは、エリー・デューリングの難解な時間論がわりあい分かりやすい形で述べられている。

(これは、2017427日に、法政大学市ヶ谷キャンパスでおこなわれた「エリー・デューリングをかこむ学習と懇談の会」での、エリー・デューリングの講演の原稿を日本語訳したもの。会の出席者に配布されたもののコピーをいただいた。)

《同時性はそれ自体としては、延長の中に並置された物や存在の位置の中に出来合いのものとして与えられているような、空間的なものではないということを見失わないことが決定的に重要です。同時性は持続に従って理解しなければならないのです。》

《同時性とは時間の中で共にあることであり、各瞬間に物がそのまま配置されている空間の中にいることではないのです。》

《持続の直感は通常(ベルクソン的な意味で)、ローカルな運動や経路(ここからそこ、そこからあそこ…)に結びついた単なる「空間的継起」として与えられています。しかし厳密な意味での時間が意識に対して現れるのは、異なる速度(あるいはリズム)で並行して展開する二つ以上の運動を統括するという問いが提起されている時だけです。これは深遠な定義であり、運動の原初的直観、特に速度についての直観から出発して、時間の概念を同時性の概念に即座に結びつけるものです。》

(…)時間---時間の形態、時間と呼ばれるこの形態---は、線として(単次元的に)のみ表されるべきではありません。時間は膜でもあるのです。この膜はローカルな出来事と生成を束ね、それらの同時性すなわち出来事や生成が共に起こり展開するという事実に意味を与える膜です。》

(…)時間は二つの次元を持っています。一方には、言うなれば経度に従う継起の秩序(前もしくは後に起きること)があります。そして他方には、緯度に従う同時性の秩序(「同時に」起きること)があります。(…)「間」に関する磯崎の驚くべき発言はここから理解できます。つまり日本的思考は時空を31次元(空間の3つの次元に時間が付け加わる)で考えるのではなく、22次元(平面のスクリーンに二つの次元を持つ時間が付け加わる)ということなのです。》

《問題の全ては、継起の秩序と同時性の秩序との間のこのような次元的分節化をいかにして考えればいいのか、という点にあります。》

アインシュタインがこの基本状況から引き出した印象的な帰結は誰でも聞いたことがあるでしょう。二つの座標(二つの観察者集団)が互いに対して動いている場合(相対的運動)、同じ出来事が一方にとっては同時的であり、他方にとっては同時的ではなくなる、というものです。これが通常、「同時性の相対性」と呼ばれているものです。アインシュタインがここから出した結論は、時間それ自体が相対的である、なぜなら空間のそれぞれ異なる地点で流れた持続はそれ自体、我々がその持続に対して取る視点と相対的だからである、というものでした。》

《言うまでもなく、事態はもっと複雑です。この問題からまず引き出すべきよりリスクの少ない結論は、同時性の概念は瞬間性の概念、すなわち同じ瞬間に生じることを意味するのではないということです。同時性の相対性が相対性理論の文脈において実際に示しているのは、同時であるという概念、そして「今」(「現在」)の概念には、厚みがあるということです。現在は厳密な意味において、点ではありません。「今」は普遍的生成の瞬間的断面(物理学の授業で言う「瞬間t」の断面)ではなく、時空の区域(zone)であり、運動が与える視点に応じて可変的な仕方で切り取られうる、時間・空間的な体積なのです。》

《しかし同時性にいかなる時間的意味を与えるべきなのか、という問題は手付かずのままです。(…)ベルクソンはこの新しい物理学の理論の周囲に積み重なるパラドックスの一部を解消するため、次のことを提案しました。それは瞬間的な点としての出来事同士の同時性の関係ではなく、生成(あるいは彼の言葉では「流れ」)同士の同時性の関係をまず考察することです。》

(…)短く言うと、瞬間の同時性を流れの同時性に置き換えることは、私たちの習慣的な時間概念の180度の反転であるということです。》

《この点に関しては、すでに引用した槇文彦の結論を付け加えるだけで十分でしょう。実際、彼は次のように書いています。「(…)都市における衰退の恒常的なサイクルに対処することのできる、より繊細な時間概念もまた考えられなければならない」(…)建物自体と(都市よりもゆっくりと年老いる)都市の居住者との間の老朽化の差の問題のために、適切に切り取られた時間概念が必要なのです。「衰退のサイクルは私たちの都市におけるつながりの力となりうる。このことが認知されれば、古い環境の古い建造物を、環境は古いままで、新しい建造物に置き換える機会が得られるはずだ。このような年齢の多様性はそれ自体、ひとつのつながりなのである。」》

(…)ベルクソンはむしろ生成を、平行的に展開する流れの線を集めた一本の束として考察することを提案するのです。あるいは、大きさも樹齢も異なり、それぞれのリズムで生えてくる木々からなる森として、と言ってもいいですし、つまりは何らかの生物集団として考察するわけです。》

《同時性は同じ瞬間に空間の中で生じる出来事の多様としてではなく、その道の一部で互いに同時的になり、様々な関係に入っていくような生成の線の多様から出発して定義されます。》

(幾何学)専門用語で言うと、第一のモデルは生成の(あくまで空間の言葉に翻訳するなら時空間ブロックの)葉層構造(foliation)、それに対して第二のモデルはファイバー束(fibration)を示しています。(…)ファイバー束(緯度)のモデルは時間を、生まれたが早いか次々と過去へ転がり落ちていく現在の層の堆積であるとはもはや考えません。その層は実のところ、空間の断片以外の何ものでもないのです。生成の空間化に対するベルクソンの批判の核心がここにあります。ベルクソンは反対に経験の証となりうる唯一の実在、すなわち同時的な流れの多様という所与から出発して、空間的同時性の時間的生成を提案します。瞬間性とは異なるこの同時性は、時間的な意味で理解しなければなりません。同時性もまた持続するということを認めなければならないのです。私が同時性に「厚みがある」と言ったのはこのことなのです。》

《時間の「額縁を外す」こと。すなわち時間を第四の次元にし、その縁に三次元の空間を瞬間から瞬間へと沿わせるのをやめることは、時間にその柔軟さを取り戻させることになります。時間は生成を膜で覆い、包み込んで束にまとめます。このファイバー束としての時間概念は、様々な仕方で切り取ることのできる流動的な同時性というものを考えることも可能にします。これは常に相対的な計測行為に結びついた単なる人工物ではなく、時間経験の内的次元であるような同時性です。》

 

2019-09-09

●引用、メモ。『ブルーノ・ラトゥールの取説』(久保明数)、第三章「社会とは何か」より。その二(昨日からのつづき)。

●モノと権力

《連関の社会学にとって新しいのは(…)モノが、(…)社会を覆う権力、甚大な非対称性、圧倒的な権力の行使を説明するものとして光が当てられることだ。》

《ラトゥールの発想は、権力を「特定の個人/集団の自らの意図に基づいて他者を強制させる力」ではなく、「ひとつの点から他の点への関係があるところならどこにでも発生」するものとして捉えるものであり、私たちがネットワークに特定の仕方で連なる限りにおいて特定の非対称性が生じるのであるから「私たちは皆、自分たちの身体の中に権力をもっている」ことになるという点で、ミシェル・フーコーの権力論や装置(Dispositif)概念に極めて親和的である。ただし、「私たち」のなかに人間以外の存在をフーコーよりも明示的にカウントし、「身体」を「関係性」に拡張する点に違いがある。》

《(…)自宅でトウモロコシをひくことを禁じた村長のふるまいが「権力の行使」だと言えるとして、その力は、村長の禁令が、村人Aや風車や吹きすさぶ風やトウモロコシや粉ひき職人等と特定の仕方で結びつく限りで作用する。》

《権力を「特定の個人/集団が自らの意図に基づいて他者を強制させる力」として捉える常識的な見解は、膨大な人間以外の存在者が既に仲介項に変換されていることを前提にしている。だからこそ、実践においては無数の媒介項の関わりあいによって生じる権力作用が、個人間や集団間の関係性に還元されてしまう。これに対して、人間以外の存在者を「一人前のアクター」として捉えるANTは、「権力を行使する主体と権力を行使される客体」という構図自体が生みだされるプロセスの精査と再編を可能にするのである。》

《ANTの研究蓄積を通じて、モノの活動を可視化するための様々な手法が練り上げられてきた。》

《科学者の実験室やエンジニアの設計室で生じているイノベーションに注目すれば、VFL開発における触媒の汚染のような媒介項の働きが見えてくる。伝統的な技術や道具であっても、技能拾得の初期段階など、それに馴染みのない者が関わりはじめる時には人間と非人間の媒介項同士の関わりが前面化する。》

《モノがすっかり後景に退いているように見える時にもまた、歴史的資料を用いた技術史的研究によって、仲介項へと変換される前の働きを追跡できる。SFや思考実験やアートといった回路に訴えることで、今日では堅固な仲介項であるモノが人間と流動的に結びつく状況をフィクショナルに作り出すこともできる》。

《もっとも重要なのは、事故や故障や災害やリスク管理といった局面において、人間による制御を超えたモノの働きが可視化されることである。(…)「安心・安全」が損なわれる状況にこそ、私たちと諸アクターの媒介項同士としての基礎的な関わりあいが現れる。》

●人間は自分たち自身で存在しているわけではない

《私たちが常に生成しているのであれば、私たちが非人間と結びついた「ハイブリッド」や「サイボーグ」であること自体は特筆すべきものではない。「非人間への生成」において重要なのは、不変の「人間」なるものに人間以外の存在者が付け加える新奇な何かではなく、両者の結びつきが一般的な人間の有様を生みだしていくプロセスにおいてその度毎に見失われるものである。換言すれば、私たちを特定の仕方で世界に外在する「私たち=人間」たらしめている非人間的諸アクターの内在的な関係性をいかに捉えるかが問題なのである。》

《(…)人間以外の存在者をアクターとして捉えることは、「人間は自分たち自身で存在しているわけではない」ことに目を向けることに他ならない。》

《世界に外在する私たち=人間の有様が、私たちが非人間的存在者と共に内在する異種混交的なアソシエーションの派生的な効果にすぎないのであれば、前者が構成する「社会的なもの」もまた後者の一つの現れにすぎないことになる。人間と非人間とを含む異種混交的な諸関係の動態を、ラトゥールは「社会」に代わって「集合体」(Collective)という語で呼ぶ。本章冒頭で述べた「社会的実践を社会に還元しない」という奇妙な表現は、集合体を「社会」に還元しない、という仕方で整理されることになる。》

社会学者もまた社会的世界に内在している

《研究者は諸アクターを追跡することで、この世界=アクターネットワークがいかなる仕方で組み立てられているかを学んでいく。そこでは、既存の社会科学において前もって確定できるものとされてきた多くの要素が不確定なものとして把握される。個々のアクターはいかなるグループに属しているのか、いかなる要因が個々の行為を規定しているのか、何が厳然たる事実(Matter of Fact)で何が議論を呼ぶ事実(Matter of Concern)なのか、いかなる関係性が普遍的(グローバル)なものとなり、局所的(ローカル)なものとなりうるのか、何がミクロで何がマクロな次元なのか。諸アクターはこれらの不確定な状況をめぐる論争を常に展開している。研究者は、論争をめぐっていかなる要素がいかに関係づけられ、いかに論争が安定化/不安定化していくのかを追跡することで、グループや要因や事実、グローバル/ローカルやミクロ/マクロなるものがいかに動的に組み立てられているのかを学ぶことができる。》

《研究者もまた、研究という名の下に既存の関係性に取り込まれながら新たな関係性を生みだしていくアクターであり、その働きは、研究対象となる諸アクターと共にこの世界=アクターネットワークがいかなる仕方で組み立てられており、いかなる仕方で組み直されうるのかを探るものとなる。》

●社会を変える

《ラトゥールの議論は、しばしば相対主義的で懐疑論的なものとして受け取られてきた。そうした印象を持つ読者は驚くかもしれないが、彼は『社会的なものを組み直す』において、「社会を変えたいという人を嘲笑することは、研究者としての魂を失ったことを示す確実な印だ」と断じている。》

《しかしながら、「連関の社会学」における社会変革の道筋は、人々の行為を規定する社会構造をより良いものへと変更するプランを、それを専門的に分析できる社会学者が提示するという仕方で構想されるものではない。》

《ラトゥールの議論を素直に敷衍すれば、構造であれ、言説であれ、合意形成であれ、私たち人間に限定された営為は社会(=集合体)を変えるための特権的な拠点とはなりえない、ということになる。集合体を変えるためには、無数の多様な存在者たちとの野放図な媒介項同士の関わりを---そうした関わりの只中において---組み直していかなければならないのである。》

《より多くのより多様な結びつきを辿ることによって、互いに異質で噛み合わない諸アクターが、どうすれば同じ世界(ラトゥールは「共通世界」と呼ぶ)を生きられるかを探ることができる。それはまた、仲介項に囲まれた安心・安全な状態で成立する「人間なるもの」と自らを同一視することを可能な限り止めることを意味する。「人間なるもの」や「社会的なるもの」に依拠して社会変革や社会批判を構想することに慣れた人々にとって、ラトゥールが示す道筋はあまりにも雑然として無秩序で困難なものに見えるかもしれない。だが、私たち人間が「自分たち自身で存在しているわけではない」という発想を徹底することこそが、社会を変えるための遠回りのようで最も近い道筋なのだ。そう彼は論じているのである。》

2019-09-08

●引用、メモ。『ブルーノ・ラトゥールの取説』(久保明)、第三章「社会とは何か」より。その一。

●社会的実践を「社会」に還元しない

《「自然」にも「社会」にも還元せずに科学的実践を捉える試みを検討した前章に続いて、本章では「自然」にも「社会」にも還元せずに社会的実践を捉えようとする試みを検討する。》

《だが、社会的実践を「社会」に還元しないとは、どういうことだろうか。(…)既存の社会科学が自明視する「社会的なもの」(the social)に収まらない諸要素の関係性において、社会なるものを捉え直すことが試みられる。「社会とは何か」という問いへの応答もまた、「社会」の定義を著しく改変し、他の領域との区別を無効化する仕方で進められることになる。》

●「社会的なものの社会学」と「連関の社会学

(…)ラトゥールは既存の社会科学一般に対抗するもう一つの社会科学的アプローチとしてANTを提示している。前者は「社会的なものの社会学(Sociology of the Social)と呼ばれ、後者は「連関の社会学(Sociology of Associations)と呼ばれる。》

《「社会的なものの社会学」において、社会とはまずもって人間が集まって織りなす関係性のまとまりである。政治、産業、宗教、経営、科学、テクノロジーといった様々な活動は、その背後にある「社会構造」「社会秩序」「社会システム」などによって大きな影響を受けている。だからこそ、特定の活動に関する社会学(例えば「政治社会学)は、他の学問(例えば「政治学)とは異なる対象を扱う専門分野として他の学問にも寄与しうる。その対象とは、「社会的なもの」という種差的(=他の全てと区別される特性を備えた)現象であり、社会学者は既に組み合わさった社会的なまとまり(「構造」や「システム」)を、体系的な社会理論に基づいて分析できる専門家である。》

《これに対して、「連関の社会学ANT」は、ありとあらゆる種類のまとまりが生みだされていく運動を追跡するアプローチとして定義される。まとまりの種類はあらかじめ限定されない。それは既に組み合わさった構造や秩序を持たず、絶えず新しいものと結びついていく。こうしたつながりの動態を「社会的なもの」と置き換えることをラトゥールは提案する。》

《例えば、新たなワクチンが市場に出回り、新たな職務規程が示され、新たな政治運動が生まれ、新たな惑星系が発見され、新たな法案が評決され、新たな大災害が起こる。どの場合にも、私たちをひとつに結びつけているものに対する考えが揺さぶられる。それまでの定義が多少なりとも有意でなくなっているからだ。》

《簡単に言ってしまえば、「連関の社会学」とは、「社会」なるものを「原理的に還元不可能な諸要素の原理的に制限のない結びつき」として捉え直す試みである。したがって、そこには従来の観点からは社会学とは思われないような研究も含まれることになる。》

《「構造」や「システム」といった所与のまとまりを前提にする「社会的なものの社会学」に対して、「連関の社会学」はそれらのまとまりがいかに生みだされているのかを探求するのである。》

●「構築」という語の意味のちがい(ラトゥール、自然科学者、社会構築主義)

《ラトゥールが度々指摘するように、技術、工学、建築、芸術といった多くの分野において「何かが構築されている」ということはそれが確かに存在することを意味する。》

《科学実験とは、天体望遠鏡や粒子加速器や計算機や溶液や実験動物といった多種多様な非人間と人間を結びつける壮大な構築の果てに新たな事実を生みだすことの成否がギリギリで決まる、ダイナミックで心躍らされる場だった。》

《ラトゥールの議論における科学的事実の「構築」とは、諸アクターが関係し合いながら「循環する指示」を形成することである。「構築する」のは人間や社会ではなく、人間と人間以外の存在を含む媒介項の連関である。翻訳を通じて隊列が整えられ多数の媒介項が少数の仲介項に変換されると、対象を観察し解釈する「主体」としての人間を、観察され解釈される「客体」としての物質に対置することが暫定的に可能になる。》

《しかし、自然科学者や社会科学者にとって「構築されている」とはそれが真実でないことを意味していた。》

(自然科学者において)パストゥールは、乳酸発酵素を構築したのではなく「発見」したのである。それは、彼の論文に書かれた乳酸発酵素をめぐる言明が、彼の観察以前から実在する乳酸発酵素という物質と正確に対応していることを意味する。このように考えれば、「科学的事実は構築されている」というラトゥールの主張は、ソーカルらに批判されたように、自然の事実に根ざした科学的知識を研究者の人為の所産に取り違える言いがかりだということになる。》

《一方、知識の社会的構成を論じる社会学者は、確かに存在すると思われている事象が、実際には「社会的なもの」に規定される人々の認識によって構築されていると考える。ここでの「構築」とは、世界と言明の対応に規約や解釈といった社会的フィルターが介在することである。彼らもまた、フィルターなしの純粋な対応こそが真実を保証するという対応説的発想を放棄していない。だからこそ、「構築されている」ことはそれが真実でないことを意味する。》

《何かが「構築されている」からこそ、それは固定的なものではなく、私たち自身が解体・再構築できるものとなるのだ。こうして「構築主義」は「脱構築」の同義語になる。》

(ラトゥールにおいて「構築」しているのは「人間と人間以外の存在を含む媒介項の連関」であって、「社会」や「人間」ではないので---「社会」や「人間」は構築の効果なので---脱構築」とは関係ない。)

●意味作用は人間の専有物ではない

《社会構築主義的な発想において、事物が帯びる意味は人間による解釈の産物に他ならない。(…)「物質」としては同じ事物も、人々によって異なる解釈がなされることで様々な意味をもつもの(「象徴」)となる。したがって、それらの解釈を規定する「社会構造」や「象徴体系」こそが人々が経験する世界のあり方を構成している。あらゆる事柄が社会的に構築されているという論法を支えているのは、私たち人間が意味作用を専有しているという前提である。》

《これに対して、ANTにおいて意味作用は人間の専有物ではない。》

(…)ある山の麓の農村では、長い間トウモロコシをすりつぶすのにすりこぎが使用されてきた。ある時、他の地域を旅した村人Aが、風車と粉ひき機が使用されているのを目撃し、製作方法を学んで村に帰ってきた。彼は、簡素な風車を試作したが、山間から強い風が吹きすさぶこの地域では風車の帆や翼板はしばしば吹き飛ばされた。試行錯誤を経て、彼の風車は回転する先端部を持ちクランクと歯車が複雑に組み合わさったものとなった。今や風は安定して風車を回転させ、粉ひき機はすりこぎの何倍もの早さで作業を行うことが可能になる。村人たちの多くはすりこぎを捨て、粉ひき職人のもとにトウモロコシを持ち寄るようになった。昔ながらのやり方を守ろうとする村人も少なくなかったが、村の生産量を向上させようとする村長によって、自宅でトウモロコシをひくことは禁じられた。》

《ここでは、村人Aや風車というアクターを起点にして種々のアクターが変化し結び付けられている。風車を精巧なものに作り変えていく村人Aの「試行」を通じて風というアクターが取り込まれる。風は「厳しい寒風」から「風車を壊す力」へ、さらに「風車を回す力」へと変化し、村人は「すりこぎ上手の農夫」から「奇怪な風車を笑う農夫」へ、さらに「粉ひき職人を必要とする農夫」へと変化する。(…)風車は風を---風車を壊す/回す力として---分節化し、風は風車を---動力をより多く/少なく生みだす装置として---分節化し、両者の結びつきが農夫を---すりこぎに固執する/粉ひき職人に依存する者として---分節化していく。こうして、風車は人々やトウモロコシや風といった種々のアクターにとっての「必須の通過点」となったのである。》

《風車を起点にした「翻訳」の過程は、まさに意味が産出される過程でもある。》

ANTにおいて、意味作用を生みだす方法は言語に限定されない。意味は、人間やその言語使用によって一方向的に事物に付与されるものではなく、非人間を含む種々のアクターの織りなすネットワークの効果として産出される。》

(…)世界が認識される仕方もまた、社会構造や象徴体系といった所与のまとまりによって決定されているのではなく、世界の内側を生きる存在者同士の相互作用を通じて流動的に変化していく。こうして、「私たち人間が認識できないものはこの世界に存在せず、私たちが世界を認識する仕方は社会や文化に規定される」という見解は退けられ、代わりに、「人間の認識や解釈は人間以外の存在者との関係性の効果として生じるものであり、社会や文化もまた人間の専有物ではない」という考え方が提案されることになる。》

(つづく)

 

2019-09-07

U-NEXTで、大島渚天草四郎時貞』を観る。大島渚東映で時代劇をつくる。主演は大川橋蔵。普通に考えればかなり悪い食い合わせのように感じられる。しかし、『太陽の墓場』(1960年)『日本の夜と霧』(1960年)『飼育』(1961年)『天草四郎時貞』(1962年)という初期大島の展開には、内容的にも、形式的にも、連続性と必然性が認められ、大島渚という作家の(あるいは才能の)強い一貫性を感じることができる。

(とはいえ、東映時代劇という枠組み、時代劇スター---大川橋蔵---という存在と、大島渚の映画との間には、どうしてもかみ合わない、ギクシャクした感じがあることは否定できないと思う。)

おそらくこの映画は、大島渚の全作品のなかでも、もっとも予算が豊かに使えた作品のうちの一つなのではないかと推測される。そのことが、演出や場面の作り方にもある程度反映されているように思う。つまりこの映画からは、大島渚がもし、松竹と喧嘩することなく、スタジオシステムの内部に留まって(比較的裕福な予算と人材で)映画をつくりつづけたとしたら、その才能はどのような方向へ展開していったのだろうかという、実際にはそうではなかったがありえたかもしれない、もう一人の別の大島渚の存在の可能性を匂わせる映画でもあるように思われた。

 

2019-09-06

桂離宮を見学している時、何人もの職人が庭園のメンテナンスをしていた。おそらく、何十人という規模の人数の職人が、持続的に毎日、なにかしらのメンテナンスをしていることによって、ようやく桂離宮という空間は維持されているのだろう。庭園は自然ではなく、完全に人工的でバーチャルな空間だから、常に保守をしていないと崩れてしまう。 (高度な技術を要するデリケートな)メンテナンスが、持続的に、四百年の間途切れることなくずっとつづいているからこそ、桂離宮はほぼ完全な形で今でも残っているということだろう。

(そのためには技術をもつ人材の継承も必須だろう。そして、そういうものの維持には持続的な大きなお金が必要だろう。)

そもそも桂離宮は八条宮という貴族のプライベートな庭園であり、家の者と、家の者に招かれたごくごく少数の特権的階級の者たちだけがそれを経験できる、というためにつくられた空間だと言える。あくまで、少数の客をプライベートでもてなす空間であり、(寺や神社のような場所とは違って)大勢の見学者が訪れるためにつくられたものではないのだろう。だから、大勢の人たちがおしかけると、それだけで壊れてしまうであろう、きわめてフラジャイルな空間だ。

(あくまで、ごくごく一部の特別な人たちだけに経験可能な、特別な異界だったのだと思われる。)

明治になって宮内庁管轄となって一般に公開されるようになるのだが、そこにも当然、保守のための制限がつく。

現在では、参観者は一回で60人以内に限定され、先頭にガイドがいて、最後尾に監視員がいる、という形で公開されている。参観者はこの二人に挟まれ、その間のどこかにいなければならず、ガイドの歩くペースに従って、定められた回遊路を、定められたペース(一周一時間)で移動することしかできない。ふらっと自由に歩き回ることはできない。そもそも、メインの建物である書院のなかには立ち入ることすら出来ない。このような制限は、桂離宮という空間を保守し、維持するために設けられているのだろう。

●昨日の日記で、桂離宮を観て荒川+ギンズを想起したと書いた。そして、二人がやろうとしてやりきれなかったことのいくつかが、ここでは実現されているのではないか、とも。この感覚は変わらない。しかし、荒川+ギンズだったら、このような「参観」するしかないような空間には満足できなかったであろう。それぞれの人が、もっと自由に、傍若無人に使用する(試行する)ことが出来、しかも、その内に「住み着く(暮らす)」ことが出来るような空間が求められていたはずだ。もし、桂離宮をそのように「使う」としたら、再び、ごくごく一部の特権的な階級の者もののみがアクセスできる空間としなければ、機能しないだろうし、空間そのものが維持できない。しかしそうなってしまえば、アラカワの考えていた「共同性」というものから決定的に離れてしまう。

●ともあれ、まず、桂離宮という圧倒的で奇跡的なコンテンツが持続的に存在するということは重要だ。

 

2019-09-05

柄沢祐輔さんセレクトによる小堀遠州ミニツアーの二日目。高台寺の傘亭と時雨亭。千利休がつくったとされる二つの茶室が移築され、その二つ茶室の間を遠州がブリッジした。次に、圓徳院の北庭。エリー・デューリングが京都で一番好きな場所だと言ったという。そして最後に桂離宮を見学。

●どれもすばらしかったが、特に桂離宮はすごかった。俯瞰で見れば一つの広大な広がりである庭園は、その内部にいる人間にとっては、視点の位置(立っている場所や視線の方向)によって不連続に分割される、いくつもの異なる場面の重ね合わせになるように配置されている。回遊路に沿って移動することで、いくつもの不連続な空間が時間的展開として次々にあらわれる。空間の変化は連続的なものではなく不連続的で唐突であり、時間(歩行による移動)が、本来なら繋がらない空間を無理矢理に串刺すように繋げることになる。

(空間の非連続性は、時間の連続性をもぶった切るような効果を生む。場面1234という順番で移動したとしても、それぞれの場面が非連続的かつある程度自律的であるため、その順番=展開は相対化される。それは、3142という順番であってもよかったかもしれないし---というか、頭のなかでそのように組み替えられるかもしれないし---あるいは、時間的展開それ自体が後退し、全ての場面1234が同時的、重ね合わせ的な経験としてあってもよいかもしれない。3の場面で得られた感覚が、しばらく先まで移動し、対岸から3の位置を見返すような8の場面において---38というモンタージュによって---再解釈されたりもする。それぞれの場面の結合や関係-関係の組み替えは、かならずしも回遊路の順番=時間的展開に拘束されるものではない。)

(とはいえ、そうだとしても、それらの場面を経験するには、我々は実際に自分の身体をもって庭園を順番に歩かなければいけない。右に曲がったり左に曲がったり、坂を上ったり下ったり、常に足元への注意に拘束されながらも遠くへ視線を投げたり、池に落ちるのではないかと緊張しながら細い橋を渡ったりする必要がある。経験を得るための「手続き的順番」はショートカットできない。)

(上の、二つの括弧でくくった部分が両立している、ということが重要ではないか。そしてこのことは、後述する---下にある括弧でくくった---部分と深いつながりがあると思う。)

非連続的である各々の場面は、空間の構成要素、スケール、表情、視線の抜け方や視線が導かれる方向などが、それぞれ異なっている。しかし、各場面の「違い」は、そのようなたんなる図としての、あるいは意匠としての違いに留まるものではない。それは、我々が空間を感知するための地を揺さぶるような「違い」を含んでいる。たんにスケール感が違うのではなく、スケール感を計る(潜在的)物差しそのものの「違い」として仕組まれている。すべての場面を貫く共通の物差しがないまま、いくつもの非連続な場面や、場面と場面の重ね合わせのなかを移動する経験は、我々のなかで普段は自動的に働いている「スケール」という感覚を揺さぶり、スケールがよく分からなくなる。

(大きい、小さいがよく分からなくなる。遠くまで視線が伸びる場面が広大で、茶室のようなごく限定された広がりが小さいということではなくなる。自分が、広大な庭園を歩いているのか、自分の頭のなかを経巡っているのか、あるいは、小さな模型を外からのぞき込んでいるのか、そのどれでもあり、どれでもないような感覚になる。)

●見学が終わった後に荒川修作が想起された。荒川+ギンズが、やりたくて、やろうとして、でもやりきれなかったことの多くが、桂離宮では実現されているのではないかという感じ。

 

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