2020-03-25

●『淫乱生保の女 肉体勧誘』(黒川幸則)をFANZA動画で。『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』の黒川さんのデビュー作。ピンクでも、まったく自主映画の時のそのままのノリでつくられていて、とても楽しかった。パペットの使い方は、もしぼくに映画をつくる機会があればパクらせてもらいたい。川瀬陽太が若すぎて、最初、誰だか分からなかった。97年の映画。『ザ・ストーカー』(鎮西尚一)と同じ年なのか(『ザ・ストーカー』では黒川さんは助監督だ)。

淫乱生保の女 肉体勧誘

https://www.dmm.co.jp/digital/nikkatsu/-/detail/=/cid=173sne181/

ザ・ストーカー

https://www.dmm.co.jp/digital/nikkatsu/-/detail/=/cid=403pink00102/

●『淫乱生保の女 肉体勧誘』のクレジットには、塩田明彦という名前もあった。DMM動画では、塩田明彦の初期の重要作『露出狂の女』も観られる(2021/02/28まで)。こっちは96年の映画だ。

露出狂の女

https://www.dmm.co.jp/digital/nikkatsu/-/detail/=/cid=403pink078/?i3_ref=search&i3_ord=1

 

2020-03-24

●『ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順)をU-NEXTで観た。「半睡」(佐々木敦)を読んだら、どうしたって観たくなってしまう。

ずいぶん久しぶりに観たけど、やはりすごい映画だ。鈴木清順の映画のなかでもとりわけすごいのではないか。二時間半ちかくある長い映画だし、何度も何度も繰り返し観て知っているはずなのに、何度観てもこの映画は、「あれっ、ここで終わり…」となってしまうように、そろそろ終わるという気配もなく、いきなりふっと途切れるように終わる。

おそらく、ぼくがいままでで繰り返し一番多く観た映画は、『ションベンライダー』(相米慎二)か『ツィゴイネルワイゼン』だと思われる。高校生の時は、ミッドナイトアートシアターという枠で、深夜にノーカットでテレビ放送されたものを、160分録画出来るVHSテープで録画した『ツィゴイネルワイゼン』と『陽炎座』を、定期テストが終わる度に観るのが恒例となっていた。いまではもうなくしてしまったが、そのVHSテープは、その後も、浪人時代、大学時代に繰り返し再生された。

四十年前の映画。1980年にこの映画は、映画館ではなく、東京タワーの駐車場などに設置された、ドーム型のテントのなかで上映された(テント型の移動式簡易劇場で9万人以上の観客を動員したと言われる)。このような公開・上映のスタイルは、プロデューサーの荒戸源次郎がアングラ演劇をやっていた人だからこそ可能だったのだろう(当時のいわゆる「映画界」から独立したやり方でつくられ、上映され、ヒットした)。当時ぼくは13歳で、神奈川の西の方に住んでいたので、このテント型劇場で観てはいない。

この映画に出ていた頃の原田芳雄藤田敏八も、今のぼくより若い。そして、原田芳雄藤田敏八鈴木清順も、もうこの世にはいない。

2020-03-23

●『映像研には手を出すな!』、最終話。仕方ないとはいえ、最終回は、どうしても最終回っぽくなってしまう。それが悪いということではないが、もっと普通に、普段の感じでそのまま終わってほしかったという気持ちもある。

今回で重要なのは、水崎氏の描いた渾身のダンスシーンを、監督である浅草氏がカットするという判断をしたということだと思う。音楽の発注ミス(行き違い)が起こってしまった時点で、音楽とのシンクロを意識した水崎氏の「渾身」が完全に報われることはなくなっている。とはいえ、水崎氏が特に力を注いだシーンであるわけで、完全にとはいかなくても、できる限りこのシーンを生かすという方向で考えたいと、普通なら思ってしまうのが人情だろう。

ここで仮に、音楽が想定された通りに仕上がっていたとしたら、浅草氏が作品の終わり方に納得できていなかったとしても、水崎氏のダンスシーンをカットしたい(作品のラストを変更したい)とは言い出せなかっただろう。

浅草氏はもともと、自分が考えたラストのあり方に完全に納得できてはいなかった(前回、音楽の発注ミスが発覚する前も、完成直前でありながら、絵コンテを見ながら微妙な表情をみせていた)。そこに、出来てきた音楽が作品のイメージと大きく違っていた(しかし、作り直す時間の余裕はない)という想定外の危機が訪れた。このアクシデントへの対処として、作品を音楽に合わせて微調整することと、決定的に音楽と合っていないラストを変更することを、浅草氏は決断する。もともとあったが握りつぶそうとしていた「ラストへの違和感」が、アクシデントによって促されることで「変更する」という方向にはっきりとした形をとった。

ここで顕在化されるのは、アニメーターと監督との立場の違いだろう。職人としてのアニメーターが、いかに力を注いで完璧なカットを描いたとしても(そのカットそれ自体の出来がいかに素晴らしいものであったとしても)、それが作品の趣向と合っていなければ、あるいは作品にとって必要でないものであれば、監督はそれをカットする。ここにはどうしても相容れないものがある。この物語では、水崎氏は浅草氏の判断をわりとすんなり受け入れるが、通常なら簡単に納得できることではないと思う。なんなら、十年後の呑みの席でも愚痴を言っているようなレベルで納得できないのではないか。そしてそもそも、浅草氏は、このような形で(人の努力を踏みにじるような)決断をすることが最も苦手(人になにか指示すること自体が苦手)な人物だったのではないか。想定外のアクシデントがきっかけだったとしても、浅草氏がここで監督としてそのような判断を下したということはとても大きい出来事だ。

これまで、プロデューサーである金森氏と、クリエーターである浅草氏、水崎氏との、存在のあり様の違いは繰り返し描かれてきた。だがここでは、同じクリエーターであっても、監督である浅草氏と、アニメーターである水崎氏との、決定的な立場の違いが描かれていると言っていいと思う。つまり、三人の立場は三者三様でそれぞれ異なり、完全にわかり合うことはないし、互いに相手の領分に対しては必要以上に踏み込まない(とはいえ、それぞれの立場からの係争はある)ということだ。そうであったとしても(というか、そうであるからこそ)、三人は「アニメをつくる」という共通の目的によって(それぞれが違う方向を向きながら)協力し合う。

そして、このような三人のあり様と、彼女たちがつくるアニメ作品のラストの変更(立場をこえてみんなが一斉に理解し合うということはあり得ない)には密接な関係がある、というようになっているところが面白い。

(三人だけでなく、百目鬼氏という、四人目のメンバーの存在も大きい。)

2020-03-22

●原稿、なんとか書けた。これで次の文芸誌の発売日までは、少し余裕のある時間が過ごせる(はず)。

●U-NEXTで『旅のおわり世界のはじまり』(黒沢清)を観た。面白かった。食い入るように観てしまった。

これまでの黒沢清の映画と違うと思うのは、この映画は前田敦子の映画であり、映画の出来の良し悪しを監督が前田敦子に預けているようにみえるところだ。それは勿論、どう転んでも最低限映画として成り立たせることができるという、自分の演出への自信があった上でのことだろうが、この映画が面白くなるのか、そうでもなくなるのかは、黒沢清が仕掛けたことに対して、前田敦子がどう応えるかにかかっているという意味で、最後のところを俳優に預けているように感じた。黒沢清は、いままで、そういう映画の作り方はしていなかったのではないか。

(様々な工夫や手練手管を駆使して俳優の良さを引きだそうとは当然するのだろうけど、作品の「要」となるところを俳優の---ある特定の俳優の---リアクションに預けるという感じはあまりなかったのではないか。)

この映画の企画自体が、前田敦子でなければ成り立たないというか、前田敦子の主演が決まっていたというところから、映画がはじまっているのではないか。これは、よく言えば、そこまで前田敦子を信頼しているということだが、別の言い方をすれば、俳優に対して強い圧をかけているということでもあると思う。

映画では往々にして、俳優に(悪い言い方をすればパワハラとも言えるような)強い圧をかけ、追い詰めて、そこから予想外の(あるいは密度のある)通常とは異なるリアクションを引き出して、それを撮るということが行われているように思う。だが(これはぼくの勝手な推測だが)黒沢清は、俳優に対して強い圧をかけるそのような映画の作り方を反面教師のようにしてきたところがあるのではないかと感じていた。

 (これも勝手な推測だが、黒沢清は多くの部分で---助監督としてその現場を経験した---俳優に強い圧をかける相米慎二の演出を反面教師にしているところがあるのではないか。)

でもこの映画には、これまで抑制されてきた黒沢清のサディスティックな欲望が、前田敦子という希有な存在によって誘発されて出てきた、みたいな感じられる瞬間がいくつもある。今までの黒沢清の映画では、登場人物が追い詰められていたとしても、それは俳優が追い詰められていることとは違うという感じなのだが---それは当然なのだが---この映画では、登場人物が追い詰められているということと、俳優が追い詰められているということが、ほとんど重なってみえる感じ。

撮影現場で監督が前田敦子に特別に厳しくしたとか、極端に負荷の大きいことを要求したとか、そういうレベルのことではおそらくなくて(だが、そういうレベルのことがまったくないとは言えないかもしれない、前田敦子は拷問のような遊具に三度も乗せられたりするし、わざわざ歩きにくそうなところを何度も歩かされ、交通量の多い道路の信号のないところをわざわざ渡らされたりするし、いかにも空気の薄そうな山頂で思いっきり歌わされたりする)、この映画の設定というか、企画それ自体が前田敦子に対する強い圧になっている感じ。設定や環境からしてキツいのだし、このキツさは、物語内の撮影クルーのせいではなく、この映画の監督であり脚本家である黒沢清によって仕込まれたものだ。それは、この映画の企画やあり様それ自体が、既に前田敦子への(「圧」としての)「演出」となっているということだと思う。こういう状況を仕込み、そこに追い込めば、前田敦子ならきっと魅力的なリアクションを返してくれるだろうということから、映画の基本的な枠組みが組み立てられているという感じがした、ということ。

(その手応えは『Seventh Code』の撮影の時に得ていたのではないか。)

その結果として、この映画では、黒沢清の「徴」よりも前田敦子の「徴」の方が強く出ているように感じられる場面も多くあり、それにより、黒沢清の映画としてはとても新鮮な感じになっていると思った。

(だがそれは---あくまで勝手な推測だが---黒沢清が反面教師としてきた相米慎二が、薬師丸ひろ子や、夏目雅子佐藤浩市や、斉藤由貴に対してやってきたことと、近いことを---形を変えてではあるが---やっているということでもあるのではないか。)

●この映画を観ていて想起させられたのはキアロスタミだった。前田敦子は、『友だちのうちはどこ?』のあの男の子みたいだと思った。

●ラストは、一瞬『ラ・パロマ』かとも思ったが、おそらくそうではなく『ドレミファ娘…』なのではないか。

2020-03-21

●「コタキ兄弟と四苦八苦」、第11話。今回は、あまりひねっていない、ストレートな「啓蒙」回だと思った。芳根京子北浦愛の関係については、それほど深く掘り下げられてはいないし、特に工夫が凝らされているという程ではない。ここで重要なのはあくまで、その「関係」を知った「おやじ(古舘寛治)」の(不適切な)反応と学習と反省(悔恨)の方だろう。ドラマのウェイトは、女性同士の関係にあるよりも、それを受け止める(受け止められない)おやじの側により強くかかっている。

芳根京子に対する古舘寛治の態度は、確かに芳根京子を傷つける(あるいは、強く圧迫する)ものであろう。だが、古舘寛治にあるのは悪意や差別やヘイトの感情ではなく、たんに無知と認識不足だ。無知であることこそが罪なのだと言うこともできるし、それも間違ってはいないだろう(実際に芳根京子を傷つけた)。しかし、すべてを完璧に知っている人はいないし、あらゆる場面で正しく振る舞えるという人もいない。

古舘寛治は無知で認識不足ではあるが、自分が何か決定的に間違ったとこをしてしまったと察する能力はある。そして、落ち込みと学習の過程があり、悔恨に至る。これがまさに「蒙を啓かれる」過程であろう。それはつまり、古舘寛治はこれまで、この問題について蒙を啓かれる機会に(たまたま)恵まれていなかったということを意味する。同じ「おやじ」でも、弟の滝藤賢一には娘がいる---さらに奥さんが教師である---ため、この問題について考える(蒙を啓かれる)機会が既に与えられていた。これはあくまで、「たまたま」そうであったに過ぎず、問題の種類によっては二人の立場は逆転し得る(正しく振る舞えるかどうかは相対的な問題だ)。

古舘寛治には今回(幸運にも)「蒙を啓かれる」ための機会が与えられ、彼にはそれについて学び、それを受け入れる柔軟さがあった。だが、それと引き換えに芳根京子に圧力をかけ、傷つけることになってしまった。古舘寛治は悔恨し、おやじ兄弟はそのあがないとして行為を起こし、芳根京子のあり様をありのまま肯定し、祝福し、その背中を押す。

おそらくこのドラマにおいて視聴者の多くは、芳根京子の側というよりも古舘寛治に近い側にいるだろう。というか、自分が「おやじ」側であることを(自分の無知や認識不足を)自覚させられる、というようにつくられているだろう。ドラマのウェイトがおやじの側にあるというのは、そのような意味でもある。つまり視聴者(の多く)もまた、とまどい、反省し、学習し、悔恨して、「蒙を啓かれ」、自分を変えるための機会を得る。11話が「啓蒙」回であるとは、そういう意味でもある。

●四月からTBSで、野木亜紀子オリジナル脚本の『MIU404』というドラマがはじまるらしい。製作は、基本的に『アンナチュラル』組みたいな感じらしい。楽しみだ。

https://www.tbs.co.jp/MIU404_TBS/

2020-03-20

●中学生くらいの頃、はじめて憶えた(テレビ番組で映画を解説する人じゃない)映画評論家の名前は松田政男だったんじゃないかと思う。(8ミリ映画をつくっていたから)ぴあフィルムフェスティバル関連の文章とか、「イメージフォーラム」(雑誌)とかで知った(読んだ)のだと思う。単著は読んでない。

(それからすぐ、蓮實に行ってしまうわけだが。というか、時代的には重なっているので、同時期に一緒に受容したという方が正確か。81年くらいの「イメージフォーラム」には、松田政男松本俊夫も書いていたし、蓮實重彦も書いていた。)

●【おくやみ】松田政男さん 映画評論家(東京新聞)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2020032002000184.html

Wikipediaに載っている松田政男の経歴がすごかった。

台北生まれ。東京都立北園高等学校在学中の1950年に日本共産党に入党し、軍事方針をとる所感派に属しながら、武装組織である山村工作隊等で活動し、同校卒業後、職業革命家となるも、1954年の第二次総点検運動により党活動停止処分を受ける。

その後、共産党神山派で活動するが、ハンガリー動乱を巡る神山派分裂後は、トロツキズムからアナキズムに接近。60年安保の後は未來社で編集者として勤めつつ、チェ・ゲバラフランツ・ファノン第三世界革命論を導入しながら、直接行動の原理を模索した。》