2020-06-11

●『こおろぎ』(青山真治)を、U-NEXTで観た。山崎努のやりすぎな感じがぼくにはちょっときつかった。食事の場面もちょっときつい。

鈴木京香山崎努が暮らしている別荘の前の斜面がとてもよかった。そこを車が降りてきたり、昇っていったりするのも、山崎努がいなくなった後でパーティーの客たちがぞろぞろとそこを歩いて下っていくのも、その斜面越しに下の道路が見えて、そこを自転車が通り過ぎるのも、よかった。それと、漁港のようなところにいきなり謎のバーがあって、そこに鈴木京香が吸い寄せられるように入っていくところは普通によかった。

あと、靴の扱いが面白い。最後の最後になって、別荘が二棟並んで建っているのだということが分かる、というのも面白い。軽くいなされる感じ。

(これはネタバレのようになってしまうけど) 伊藤歩がいきなりトラックにはねられた時には、思わず「えええっ」という声が出てしまった。不意打ちというのはまさにこのことだ。黒沢清の「勝手にしやがれ!!」シリーズのどれかでも、人が本当に唐突にトラックにはねられる場面があって、そこでも声が出てしまうのだが、おそらくそこからきているのだと思う。そこからきているのだとしても、それを「ここ」に置くというのがまさに驚きで、驚いてしまう。

2020-06-10

●今からみるとはるか昔のようなバブル崩壊以前(昭和)の匂いの強く漂う動画をみつけた。この鼻持ちならないスノッブな感じが懐かしい。村上龍近藤等則中沢新一岡部まり。当時の自分にとって憧れの上の世代だった人たちを、今、年下の「若者」として観ている感じになる。今のぼくからみると、当時の村上龍は小学生の男の子みたいな顔にさえみえる。

Ryu's Bar ゲスト 中沢新一 近藤等則 1989

https://www.youtube.com/watch?v=7w4ZSzEGfdA

(当時にはあった、いい加減なことを調子こいて喋っても許されるという雰囲気が、今ではまったく失われてしまったのだなあ、と。いい加減なことを調子こいて喋ることこそが知だ、とまでは言えないとしても、それこそが知を涵養する培地となるものだと思うのだが。)

2020-06-09

鎮座dopenessのあたらしい動画をYouTubeでみつけて、そこにあった「Jambo Lacquer」と「チプルソ」という名を検索して、韻シストBANDに至った。

鎮座dopeness / Ice Coffee (feat. Jambo Lacquer & チプルソ)

https://www.youtube.com/watch?v=G0NNXpzWdI0

Jambo Lacquer "I KNOW BUT"【MV】

https://www.youtube.com/watch?v=VPSDGYf5pes

COCOLOROOM WEDNESDAY#2 / チプルソ X 韻シストBAND

https://www.youtube.com/watch?v=gvrE3VD5dOY

韻シスト/ HOT COFFEE feat.鎮座dopeness&チプルソ(STUDIO韻シスト

https://www.youtube.com/watch?v=y81KsBb4A0I

韻シストBAND「I'm a sick man」MV(2020年4月8日発売)

https://www.youtube.com/watch?v=qBzKURl-WYo

●関係ないけど、「風の谷のナウシカ」はとても好きな曲だ。で、不思議なおじさんをみつけた。

風の谷のナウシカ 安田成美

https://www.youtube.com/watch?v=239Je5TPdvw

安田成美 の 風の谷のナウシカ - Dr. Capital

https://www.youtube.com/watch?v=nx78spr-TxA

2020-06-08

●U-NEXTに新しく追加されたので、『東京上空いらっしゃいませ』(相米慎二)を観た。よかった。これを観るのはいつ以来だろう。90年公開の映画で、80年代にイケイケだった相米慎二の転換点みたいになった作品。公開時に観た時は、好きだけど、これはこれでいいとは思うけど、でもこれは相米の映画なのか…、と複雑な気持ちになったことを憶えている。

上昇と下降(浮遊と落下)、仰角と俯瞰など、高さ(上下の落差)を意識した演出は、死の延期(一度高いところへ行って、戻ってきて、最後にまた上昇する)という物語上の主題を考えるとオーソドックスなものだと言えるし、張りはあるが一本調子である(おそらく意識的に演出として一本調子にしている)牧瀬里穂がそれでも単調にならないような様々な工夫もまたオーソドックスで、たとえば『セーラー服と機関銃』の薬師丸ひろ子や『雪の断章 情熱』の斉藤由貴の使い方のような「無茶している」感じはない。とにかく「無茶をする」ことで映画を成り立たせていた相米慎二から、無茶をしなくても映画を成立させられる上手な相米慎二への転換。

毬谷友子の部屋と中井貴一の部屋という上下関係が、真ん中に奇妙なロフトがついている中井貴一の部屋のなかにミニチュア的(フラクタル的)に反復されているという空間の設定だけでぼくは興奮するけど、この作品より前の相米慎二だったら、この上下の落差をもっとあからさまに強調する演出をしたと思う。でも、この映画で上下の落差は物語上の必要性から大きく逸脱することはないように抑制されて使われている。いかにも、東京で自律的に生活するシングルという感じの中井貴一の部屋に対して示される、川越で三世代同居する牧瀬里穂の実家の古い日本家屋の空間も、東京でキャンペーンガールという仕事をしている牧瀬里穂だが、中味は田舎の純朴な子供であることを示すという、物語上の要請を大きく逸脱するような造形はされない。だけど、オーソドックスだということは凡庸だということではなく、一つ一つの場面が、あからさまな無茶はしていないとはいえ、とても充実した作り込みがなされていて、ありきたりではない。ただそれでも、無茶をする相米に入れ込んでいた公開当時は、肩すかしをくったような感じを受けてしまったのだが。

●この映画の物語から、大島弓子の「秋日子かく語りき」をすぐに思い出す。「秋日子…」の場合は、事故死した中年女性が女子高生の姿になって一時的にこの世に戻ってくるが、「東京上空…」では、自分自身の姿で戻ってくる。でも、事故死した牧瀬里穂は、キャンペーンガールとして街中に貼り出されている広告(イメージ)の似姿として、この世に戻ってくる。だからここでも、わたしはわたしから微妙にずれている。とはいえこのずれは、この映画ではあまり大きな意味をもってはいないと思う(このずれは、むしろ生前の彼女が強く感じていたもので、死後はこのずれが解消されるというのがミソだ)。「秋日子…」での中年女性の生への執着の原因は主に家族への気がかりであったが、「東京上空…」では、自分はまだ充分に生ききっていないという、自分自身の生への執着だ。だから、「秋日子…」と「東京上空…」は、予期しなかった形での唐突な生の中断(死)と、死の保留による生の捉え直し、という点では共通しているが、「東京上空…」の方は、死への直面とその一時的保留(宙づり)による逆説的な「生の充実」という側面がより強く出る。物語の組成としては「東京上空…」の方が単純だろう。(中井貴一以外で)自分の死を知っている人に出会ってしまったら、生の保留の時間はそこで終わってしまうというゲームのルールが、彼女の生を死の前の文脈から切り離し、ある意味で純粋化させる。

この、純粋化されて生き直される死後の生の時間の充実により、生の感触を得て、それによって自らの死を受け入れられるようになるというのがこの物語であり、死後の生の充実の実質は、この映画自身の映画としての時空間の充実によって表現されることになる。また、この映画では牧瀬里穂の死は覆らないだろう(ハッピーエンドはないだろう)ということが当初から予想される。つまり、彼女が自分の死を受け入れるというラストに向かって、その納得がどのように形作られるのか、そしてその過程を観客として納得できるのか、ということが「この映画の経験」の主になるだろうということが当初から予想される。はじめからゴールがある程度みえているなかで、その途中が構成される。この映画の演出が、物語を効果的に語るという目的を大きく逸脱することがないということの意味は、この映画の描き出す運動がゴールへと向かう過程から大きく逸脱することがないということでもあるだろう。それはこの映画が、細部が突出する、あるいは、個々の場面のそれぞれ個別の運動が結果として一つの映画へと収斂する、というような作品ではなく、「死の受け入れ(納得)」というゴールへ向けて積み上げられるように構築される作品であるということだろう。たとえば、『ションベンライダー』はそういう映画ではないし、『台風クラブ』もそういう映画ではないだろう。これらの映画はゴール(目標)がなく、高まった運動がある地点でぷつっと途切れるようにして終わる。そういう意味で相米はここで大きく変わったのだと、改めて思った。

2020-06-07

●密度は要約できない。樫村晴香の思考の密度は、樫村晴香の文章を読む/読み直す/書き写すことによってしか再現できない。以下、樫村晴香「自分が死ぬとはどういうことか?---の変遷」(群像7月号)より引用。

《しかしそれでも、自分が死ぬことをただならぬことと思うのは、一つの思想であり、正確には気分でしかない。気分は認識する者が、認識・思考・理解とは別の領域で体験する時間的変動であり、しばしば能動感の拡大/収縮として表象される。自分が死ぬことを考えられる者は、その考えの瞬間、他とは比較不可能な特別の激痛に突き刺されるが、しかしその激痛を思考によって、いつ、どこでも、自由に再現できるわけではない。これは面白い現象で、それが気分の正体であり、フロイトはどんな心的外傷や抑圧物も自己分析の訓練によって自由に再表象、再現できるようになるが、気分は何歳になっても統御できないと嘆いている。自分が死ぬことの甚大さを最大限に知りうることは、認識・行動の能動感を知っている者だけが経験する、特有の気分である。気分を持たない者は死の恐怖を体験できない。》

《「気分」は思考し決断する自由市民がもつ、自由意志という絶対的・抽象的権利が、不渡り手形に反転する可能性として、歴史上初めて不吉な全貌をあらわにする。死を「自分の死」として考えうる自由な個人は、現実に行動する前に、あるいは現実の行動をしつつ、さらには現実に行動をした後でさえ、それとは別の様々な行動の可能性を「自由意志」としてもち、その抽象的権利を自分自身とみなしている。この権利-債権-尊厳は現実的限定性をもたないゆえに、最大限の能動感を与えるが、世界と他人の中に具体的な書き込みをもたないので、行使の可能性を絶たれると、その痕跡すら残さない。行動を可能性として担保し、絶対的債権を得た個人は、時間と未来に絶対的負債を負い、跳躍する能動感が天上の怒りをかって落下する反転の恐怖を、気配や予感として自己存在の中枢に書き込まれる。この時、「他者の死」や「死の観念」という、いわば抽象的だった太古の死は、自分自身の死という非抽象的、非概念的な絶対的現実となり、認識の対象から離脱して、身体的で統御不能なものとなる。》

《他人が目を閉じても私が消えないように、私が目を閉じても、他人は世界から消え去らない。しかし他人が永遠に目を閉じると、私の存在の持続性を涵養する幻想の場の一つは、彼(彼女)の目、彼(彼女)の頭と共に消失し、その中にいた私は消滅して、私の存在は幾分か薄くなる。こうして他人が一人ずつ消え、世界中の他人がすべて消えたなら、曖昧に未来へ開かれて可能になる私の存在は、限りなく薄くなり、どん詰まりとなり、ただの思考、ただの知覚、ただのモノに収縮する。現実には他人のすべてが死んでも、人間は多分新しい幻想を構成するだろう。しかし私が永遠に目を閉じる時、そういった幻想の再建が封じられる形で、世界中の他人が消滅する。つまり私が目を閉じると、他人はやはり消滅する。これは死は愛を凌駕する、ということである。つまり自分の死の甚大さは愛の不可能性と結びついているが、これはもちろん、前者が後者を帰結させるということではなく、自分が死ぬことの絶対的災厄を感じさせるような歴史的感情は、愛という極めて抽象的・概念的な感情-複合、端的には不可能性という感情の形成と、構造的、時間的には同値だということである。》

《自分が死ぬことの絶対的災厄の感知は、自分のことほど自分は他人を知らない、という感情を形式論理的・仮想的出発点としつつ、知らない他者を自己同一化する日常的時間を「防衛」として発見-摘発する。しかしその発見・認識が他者への疎隔感と攻撃性を帯びるかに見えたまさにその時、この防衛は自分という「快感」、恒存的な快楽、すなわち絶えることのない大気の感触、光、風、人の声を、時間がいつまでも運んでくるだろうという幻想を、「消えない他者」をエージェントとしながら構成するための防衛だと人は知り、攻撃性は受け手を失い構造全体へ反転する。怒りは自分に向かい自分を食うので、感情は消失し、即物的な恐慌状態が現れる。》

2020-06-06

●引用、メモ。ティム・インゴルド『人類学とは何か』第二章「類似と差異」より。

《これは、約五〇年前にアメリカの人類学者クリフォード・ギアツによって表明された、人間の条件について繰り返し言われる見解であるが、その中でギアツは、「われわれ人間に関してもっとも意味のある事実の一つは、われわれはすべて何千種類もの違った生活を営む自然の装置をもって出発するが、結局はただ一種類の生活を営む結果に終わるということであるかもしれない」と結論づけた。この見方では、人間の生とは、徐々に能力を満たし可能性をせばめていくことを伴いながら、普遍から個別へ、自然に与えられるものから文化的に獲得されるものへと動いていくものということになる。しかし、私たちの意見は真逆である。生とは、閉じる動きではなく開いていく動きであり、目の前に置かれているかもしれない限界を絶えず乗り越えていくものである。したがって、身体技法や心の習慣を含め、生のための私たちの装置は、すでに出来上がったものなのではなく、他者とともに、あるいは他者と並んで行う行動のるつぼの中で、常に鍛えられるものなのである。例えば、歩いたり話したりする子どもたちの能力は、先へ進み、仲間たちと歩調を合わせ、彼らの注意を引き、自分を理解してもらおうとする無数の努力のまっただ中で、成長する身体のうちに発達していく。もし、ほとんどの人が成長し、歩いたり話したりするようになるのだとすれば、それは二つのことをする能力が、最初から与えられている能力によって補強されるからではなく、即興的に動いたりコミュニケーションを取ったりすること---環境の条件下で、また仲間たちの助けによって---が、収斂する傾向にあるからだ。人間の自然/本性(ネイチャー)に対する問いへの答えは、この収斂の中にあるのであって、人々が最初から共通にもっているものの中にはない。》

《それゆえ、人間の生は、自然の中で統合されて始まり、文化によって分割されて終わるのではない。(…)すべての幼児が異なるのは、その固有のゲノムのためではなく、個々の幼児が、共同体の生に没入し環境と関わり合っている未来の母親の子宮の中で妊娠形成期を経験した後に、特定の時空の中に生まれ落ちるからである。刻一刻と変化するこの世界に投げ出された私たちは皆、他者の生の様式に合流し、そして分岐する---むしろ河川デルタの流れのように水流の流れを断ち切り、そのときその場からまた進み続けていく---以外にないのである。合流と分岐は、生のサイクルが続く間、手を取り合って進んでいく。それゆえ、生まれた時は皆同じであったように、生の終わりに近づくにつれ、互いに違いがなくなっていくのだ。》

●関係論的な自己同一性と、属性としての自己同一性。

《私たちは異なるモノを、つまり経験や見解、技能などをテーブルに持ち寄るからこそ、それは共有されるモノとなる。》

《私たちが共同体に属しているということは、私たちがそれぞれ違っていて、与えるものをもっているからである。それゆえ、共同体における自己同一性とは、根本的に関係論的である。私たちが誰であるかは、集合的な生のもちつもたれつの中で、どこに自分たち自身を見い出すのかということの指標である。しかし、この自己同一性の感覚は、市民の間の差異を許容せず、むしろ義務と権利の平等を要求する近代国家の構成と厳しく対立する。市民にとって、自己同一性とは、他者や共同体や場所に属することに関するものではない。それむしろ、あなたに属するという属性のことであり、あなたが所有し、また盗まれることすらある権利や所有物のことである。自己同一性の概念の潜在的な起爆力と政治的混乱を引き起こす能力は、この概念の二つの意味すなわち関係論的な意味と属性的な意味の矛盾にある。それは、共同体が国家権力の脅威にさらされていると感じる時に現れる傾向のある矛盾である。そのような時に人々に求められるのは、属性的な面で差異の感覚を主張することだ。このことは、自分たちの属する内的に継承された性質の外向きの表現として、所属の感覚を引き出す関係性そのものをつくり直すことである。それは、共有された遺産あるいは文化的な本質を守るために、彼らに対抗して一致団結する「私たちのような人々」として、共同体の「私たち」をつくり変えることなのである。エスニシティという現象のルーツは、この中にある。》

●西洋人は存在しない。

《人類学のパラドクスの一つは、人類学が、非西洋の人々の生と時間について多くのことを言う一方で、西洋の人々についてはほとんど何も言わないということである。たいていの場合、西洋は特定の時空を生きている人々の経験の特殊性を際立たせるための引き立て役として引き合いに出される。西洋は、「外部世界」、「より広い社会」、あるいは単純に「多数派」である。イギリスやアメリカ合衆国のような、名目的に西洋社会と名乗っている国々の住民でさえ、人類学のレンズを通して見るならば、完全に非西洋的に見えてしまう。というのは、実際には、西洋人はいまだかつて存在などしてこなかったからである。哲学者も政治家も、近代の普遍的な価値を声高に叫ぶが、実際にそれにのっとって生きるようなことは不可能なのである。合理的で徹底的に自己本位であるコスモポリタンは、どこにも誰にも属していないのであり、その点で、近代西洋人とは想像の産物である。》

 

2020-06-05

●引用、メモ。ティム・インゴルド『人類学とは何か』第二章「類似と差異」より。個体発生と歴史について(「本能」は「発達」の結果であって原因ではない、あなたが歩くようになるということは、あなたが歩くしかたで歩くようになることであって、二足歩行の普遍的な能力に対して「あなたの歩きという属性」が付け加えられるということではない)。

《今でも、文明の病の多くは、適応と試練という二つの不整合のせいにされることが一般的である。例えば、甘い食べものを本能的に好むことは、自然界に食料が限られていた時には適応的であったが、今日の糖質過多の栄養環境では肥満や糖尿病の急増の原因として、広く非難されるようになっている。また、攻撃性を示すことは、祖先の狩猟採集民にとっては、他の方法と比べて害を及ぼすことなく衝突を回避する、相対的に無害な方法だったかもしれないが、今日では猛スピードで走行する車や弾道ミサイルとも結びつけられ、車のあおり運転から、差し迫った水爆戦争の脅威に至るまであらゆることの原因とされ避難されている。》

《しかし、このように本能に訴えることは、一つの単純な理由から、根本的に間違っている。甘いものが好きであるという特性、あるいは(男性間の)攻撃性を示す傾向や蛇を恐れることさえ、誰もが生まれながらにしてもっているわけではない。それは、発達するのだ。それが確認できるライフサイクルのどの段階においても---幼少期であれ、あるいは小児期、青年期、成人期、老年期であれ---、本能は特定の環境における成長と成熟の過程を通じて出現するのだ。専門用語を用いるならば、この過程は個体発生として知られている。他のあらゆる種の生きものたちと同じように、人間には、個体発生的な発達の過程の中に現れるのでない属性や、能力や習性のものは何もない。繰り返すが、遺伝的決定の概念と同じように、私たちがすることを本能へと帰するのは、発達過程の結果をその原因と読み替えてしまうことになる。》

《実際の生においては、環境の中で出くわす条件が、問題となっている諸個体に本来的に備わっているものと同じように、個体発生において形成的な役割を果たしている。これは、「自然/本姓(ネイチャー)」よりも「環境因子(ナーチャー)」を優先させるということではない。人間存在が遺伝子によってつくられているよりもむしろ環境によってつくられていると言いたいのではない。また、それぞれの環境の個々の貢献を軽視するとか、逆にかなり環境に重きを置くとかいうことですらない。いのちをもつ他の生きものたちと同じように、人間は内的な要因と外的な要因、すなわち遺伝子と環境の間で起こる相互作用の産物ではない。人間とは結果ではなく、一区切りなのである。人間は、人間が直面する条件---過去に自分自身と他者の行動によって累積的に形づくられた条件---に、あらゆる瞬間に反応しながらつくられる自らの生の産物である。》

《したがって私たちは、人間の差異とは、環境の経験のおかげで私たちが最初から共通にもっている普遍の土台の上に加えられるものだと考えることはできない。人間の生は、一から多への道行きではない。あるいは、しばしば強調されるように、自然/本姓(ネイチャー)から文化(カルチャー)への道行きでもない。》

《例えば、地面の質や、(履いているのであれば)履き物の組成と、年齢や性別・身分の違いから、ふさわしい歩き方がどのようなものであるのかという変数によって、人はさまざまなしかたで歩くようになる。しかし、これらの差異は、最初から何らかのかたちで組み込まれた、二足歩行の普遍的な能力に対して付け加えられるものではない。あなたが歩くようになるということは、あなたが歩くしかたで歩くようになることである---さらには、それは決して完成することがなく、ある部分は他者の支えや交わりによって、またある部分は絶えず老いていく身体の変わりゆく生の力学に応じて、生涯を通じて続いていくプロセスである。私の父は、自分は四つ足で生まれ、最初二本足に、次に杖を持って三本足に、最後は歩行器を付けて六脚の昆虫のようなものへと進化したと、よく言ったものだ。こうした運動能力の変化は、ある環境における実戦と訓練を通じて父の身体の上に刻みつけられていたのではなくて、身体の中で---作業様式の中で---増大したのである。このように、身体性と個体発生、特定の技能の獲得と人体の発達は、文化的な条件づけと生体の成長の分割の両端に分かれているのではない。それらは同じ一つのものなのだ。私たちの身体とはすなわち私たちのことであり、私たちは身体なのだ。身体が老いれば、私たちも老いる。》

《生を進めながら人間存在をつくり続けることは、けっして終わることのない任務である。私たちは絶えず自分自身を創造し、互いを創造し合っている。この集団的自己形成の過程が歴史である。私たちが行っている事柄のうちに、次世代が成熟する条件を確立していくことによって、私たちは歴史的に私たち自身を形成している。こうした条件が変わると、私たちもまた変化する。私たちは、先人の知ることのない属性や能力や適正を発達させている。》

《車輪という歴史的発明が一つ起こったおかげで、今私たちにいったい何ができるようになったのかを考えてみよう。一つは、自転車に乗ることである。自転車に乗ることは身体の技術であるが、今日では非常に広く普及しているため、私たちは、歩くのと同じくらい人間が自転車を漕ぐことをほとんど自然なことであると考えている。しかし、自転車に乗れるようになるための技術は、自転車や、二輪で走れる道、後押ししてくれる誰か---たいていは親---といった必要な条件がそろってはじめて発達しうる。そして、発達のための条件がもはや存在しなくなれば、私たちは能力も失うことになる。今日では、手書きをする能力がない子ども世代が育ってきている。(…)したがって、現在の私たちと同じような人たちが過去や未来に住んでいると考えるのは大きな間違いである。ちょうど私たちが遠い昔の祖先と体の仕組みとしては同じでないように、私たちの遠い子孫も私たちと同じではないだろう。》