2021-07-24

チェーホフ「聖夜」の舞台は「ゴルトワ川」沿いの教会とその対岸なのだが、それはロシアのどのあたりなのだろうかと、グーグルで「ゴルトワ川 ロシア」とか「チェーホフ 聖夜 ゴルトワ川」とか日本語で検索してもまったくヒットせず、結局、自分が十一年前に書いた日記にたどり着いた。それを読んで、今回読んだ感じとだいたい同じようなことを考えていたのだなと思った。偽日記、2010年1月29日(それにしても、登場人物のイエロニームを、ずっと一貫してイエロニイームと誤記している…)。

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/20100129

●今回読んで新たに思ったのは、話者の特徴のなさだ。この物語を語っている「わたし」が、どんな人なのかという情報がほとんどない。復活祭に教会が行う「リュミネーション」を川の対岸から見物しようとしている影のように存在する《百姓》が、話者を《旦那》と呼んでいるので、それなりに身分の高そうな、裕福そうな男性なのだろうと推測できるが、それ以上の属性はよくわからない(また、イエロニームが自分の内心の告白をためらわなかったのだから、それなりに優しく知的に見える人であるのだろう)。この、像の掴めない、ある意味透明なとも言える話者が感覚的、感情的に経験することと、彼が感じ、考えることによってこの小説は形作られている。

だがこの話者もまた、復活祭のリュミネーションを見物しに余所から来た一人の客でしかなく、イエロニームのことも、彼が語るニコライ神父のことも、教会の内情も、まったく知らないはずだ。この小説はほぼ一見さんのまた聞きと、また聞きから導かれた推測でできていて、そこには証拠となるものは何もない。イエロニームがまったくの嘘つきであった場合、ここに書かれていることは話者の独り合点の思いこみ(復活祭の騒ぎのなかの妄想)ということになる。しかし、そのような(復活祭の喧噪の上にふわっと乗っかっているような)根拠の薄弱な危うさこそが、この小説のリアリティとなっているように思う。そしてこのリアリティを構成する要素のひとつとして、話者が何者かほぼ分からないということも含まれているだろう。

●復活祭の夜、すばらしい天気。「わたし」は川の対岸にある教会へと渡るために渡し舟を待っている。遅れてやってきた渡し舟では、イエロニームと呼ばれる男が「渡し綱」を操作している。舟の上でイエロニームは、今日亡くなったニコライ神父について語る(松下裕・訳)。

《「なんてきれいなんだろう! 」とわたしは言った。

「なんとも言えないくらいですね! 」とイエロニームがため息をついた。「こういう夜ですからね、お客さん! 別の時なら花火なんぞ気にもかけませんがね、今夜はどんな空騒ぎでも楽しいものですよ。お客さんはどちらからですか」

わたしはどこから来たのかを言った。

「さようでございますか……きょうは喜ばしい日ですからね……」とイエロニームは、治りかけの病人のような、弱々しい、ため息まじりのテノールでつづけた。「天も地も地獄も、喜んでますよ。生きとし生けるものが、祝ってますよ。ただね、どうしてでしょう、お客さん、こんな大きな喜びのときでさえ、どうして人間は自分たちの悲しみを忘れることができないんでしょうね」

(…)

「で、神父さん、あなたにはどのような悲しみがあるのです」

「ふつうに言ってですよ、誰にもあるようなね、お客さん。でも、きょう、修道院ではかくべつの悲しみがありました。昼の礼拝とき、旧約聖書の金言の朗読の最中に修道輔祭のニコライ神父が亡くなったのです……」》

《「わたしなり、誰か別の者なりが死んだのなら、かくべつ、なんということもなかったでしょうが、あのニコライが死んだのですからね! ほかでもない、あのニコライが! 信じられませんよ、あの人がもうこの世にいないなんて! こうして渡し舟に立っていると、絶えず、今にも岸辺から声をかけてくれるような気がするんです。舟に乗っているわたしがこわい思いをしないようにと、あの人はいつも岸辺にやって来て、声をかけてくれたものです。わざわざそのために、夜中に寝床から起き出してくるんですよ。(…)」》

●この言葉から、イエロニームが、(復活祭のこの夜だけでなく)恒常的に夜中まで渡し舟の渡し守をさせられているということが伺えるのだが、それはともかく、ニコライは、優しく、頭がよかっただけでなく、賛美歌を作る才能もあったのだとイエニームは語り、讃える。

《「賛美歌を作るのはそんなにむずかしいものなんですね」とわたしはたずねた。

「むずかしいのなんのって……」とイエニームは頭を横に振った。「恵まれた才能がなかったら、知恵者でも聖者でもお手上げですよ。ろくに分からない修道僧たちは、賛美する聖者伝を知って、ほかの賛美歌を当てはめるだけですむくらいに思ってますがね。》

《(…)肝腎なのは聖者伝でもなければ、ほかの賛美歌との調和でもなく、美しさ、快さにあるのですからね。すべてが端正に、簡潔に、しかも綿密でなければならない。どの行にも、しなやかさ、やさしさ、柔らかさがなくてはならず、どの言葉も、ぞんざいな、粗い、そぐわないものであってはならない。祈りを上げる者が思わず心で喜び、悲しみ、理性で震えおののくように書かなければならない。(…)》

《イエニームは、まるで何かに驚いたか、恥入ったかのように、両手で顔を覆って頭を降った。

「信仰をはぐくむ果実の生る木……憩いの場となる緑濃き木……」と彼はつぶやいた。「こんな言葉が見つけられるでしょうか! こういう才能は神が与えたもうたものですよ! 簡潔にするためには多くの言葉や意味を一つの単語にこめるものですが、あの人の手にかかると、すべてが淀みなく、しかも精しくなるのです! (…)口調のよさと誇張のほかに、あなた、ひと言ひと言がみな飾りたてられ、そこには花も、稲妻も、風も、太陽も、この世のありとあらゆるものが歌いこまれていることがなお必要なのですよ! 》

●ニコライとイエロニームの関係

《「(…)うちの修道院では、そんなものに誰ひとり関心をもつ者はいませんしね。嫌いなのですよ。ニコライが作ってることは知ってても、見向きもしなかったのですから。きょう日、あなた、新しい賛美歌なんぞ誰も尊重しませんもの! 」

「書くことに偏見を持っていたわけですか」

「そのとおりです。ニコライが教導僧ででもあれば、あるいは修道士たちも珍しがったかもしれませんが、何しろまだ四十にもなっていませんでしたからね。嘲る者もあれば、彼の賛美歌を罪だと見なしていた者さえあるくらいでしたから」

「じゃあ、いったいなんのために書いていたんです」

「べつに。何より自分の慰めのためにですよ。大勢の修道士たちの中で、わたしだけがたった一人、あの人の賛美歌を読んであげたんです。ほかの者に気づかれないように、こっそり訪ねて行くと、わたしが興味を持っているのを喜んでくれたものです。(…)》

《「(…)今やわたしは、みなし子か、後家さんと変わりありません。そりゃ、修道院の人たちはみな、人のいい、立派な、信心深い人たちばかりです、でも……やさしさとか気づかいとかはありゃしません、一般民衆と同じです、大声で話はする、歩くときには足音をたてる、騒ぎもするし、咳払いもする。ところがニコライはいつだった穏やかに、やさしく話をしたし、人が眠っていたり祈っていたりするのを見ると、そばを通るのに、蠅か蚊のようにひっそりしてましたよ。顔つきまで穏やかで、同情に溢れていてね……」》

《「もうすぐ復活祭の聖歌が始まりますよ……」とイエロニームが言った。「でもニコライはもういないのですから、深く見きわめる者は一人もいません……、あの人にとっては、この聖歌ほど快い聖書はなかったのですからね。ひと言ひと言を、深く見きわめたものでした! あそこにいらしたら、あなた、どういうことが歌われているか、よく見きわめてください。心を奪われますよ! 」

「じゃあ、あなたは教会へは行かないのですか」

「行かれないのです……。渡しをしなくてはならないので……」》

●復活祭の夜に渡し舟の操作を押しつけられるイエロニームと、誰からも興味を持たれなくても自らの慰めのために賛美歌を書いたニコライ。復活祭の夜をもっとも深く味わえるであろう二人が不在の教会に、あたかも彼らの代理であるかのように(あるいは、不在の彼らを教会の中に見いだすという役割を負ったかのように)話者が訪れる。

《何歩かぬかるみを歩いたが、そこから先は、柔らかい、新しく踏み固められたばかりの小道を通って行けるようになった。この小道は、もうもうたる煙の中を通り、人びとや、車からはずされた馬や、荷馬車や、幌馬車などがごたごたと混雑するところを通って、穴のように真っ暗な修道院の門へと通じていた。これらすべてが軋り、鼻あらしを吹き、笑ってそのすべてに真っ赤な光と、波のようにうねうねした煙の影がちらついていた。……。まったくのカオスだ! しかもこの雑踏の中で、小さな大砲に弾丸をこめたり糖蜜菓子を売ったりする場所まで人びとは見つけているのだった! 》

《「なんというざわざわした夜だろう! 」とわたしは思った。「なんといいのだろう! 」

夜の闇を初めとして、鉄板や、墓標の十字架や、その下で人々が騒いでいる木々まですべての自然に、ざわめきと不眠を見たかった。けれども、教会の中ほど、激しい興奮とざわめきの見られるところもなかった。入口では、満ち潮と引き潮の絶え間のない闘いがおこなわれていた。入ろうとする者もいれば、いったん外に出て、しばらく休んでから、すぐまた戻って来ようとする者もいた。人びとはあちらこちらを歩きまわり、ぶらついて、まるで何かを探してでもいるかのようだった。人波が入口から入って来て、教会中を揺るがし、立派な、重々しい人びとの立っている最前列あたりまで押し寄せた。一心不乱に祈ることなど思いもよらない。祈りは全く行われず、なんだか尽きることのない本能的な子どもっぽい喜びがあるだけだ。その喜びがほとばしり出て、無遠慮な押し合いひしめき合いでも構わない、何かの動きになりたいとするばかりだった。》

●話者は、喧噪のなかに、不在のイエロニームとニコライの像を見いだす。

《群衆の中に融けこんで、みんなの喜ばしい興奮に巻きこまれたわたしは、イエロニームがかわいそうでならなかった。どうして交代してもらえないのだろう。なぜもっと感受性の強くない、敏感でない男を渡し舟にやらないのだろう。

(…)

わたしは人びとの顔を眺めた。どの顔にも祭日の生き生きした表情が浮かんでいた。だが、誰ひとりとして歌われている言葉に耳を傾ける者もなく、それを見きわめようとする者もなかった。「心を奪われ」ている者など一人もなかった。どうしてイエロニームを交代させてやらないのだろう。どこかの壁のあたりに慎ましく佇んで、身を屈めながら、貪るように聖句の美しさを味わおうとしているあのイエロニームの姿を、わたしは思いえがくことができた。今あたりに立っている人びとの耳を素通りして行く全てのことを、彼なら感じやすい魂で貪り呑み、感きわまるまで、心を奪われるまで呑み尽くしたに違いない。そうして、教会に彼ほど幸福な者はいなかったに違いないのだ。ところがその彼は、いま暗い川面を行き来しながら、亡くなった、兄とも慕う友を悼んでいるのだ。》

《わたしは教会を出た。名もない賛美歌作者だった今は亡きニコライをこの目でひと目見たかった。壁沿いに修道層たちの庵室がずらりと並んでいる構内をひとまわりして、いくつかの窓を覗いて見たが、なんにも見えなかったので、引っ返した。今更ニコライに会えなかったことを悔やむつもりはなかった。ひと目見ることができたら、いま心にえがいているような面影は消え失せてしまっているかもしれないのだ。夜ごとイエロニームに声をかけるために川岸まで出向いたり、自作の賛美歌に花や星や陽の光をちりばめたりしながら、理解もされず孤独だったこの好感のもてる詩的な人物を、やさしく、おとなしい、淋しげな顔立ちの、内気な、青白い人のようにわたしは思いえがいている。彼の両眼には、知性と同時に、きっと、やさしさと、賛美歌の一節を引いて聞かせたときのイエロニームの声にこもっていた、あの抑え切れない、子どものような感激が光っていたことだろう。》

●復活祭の夜が過ぎ、朝になってもまだ、イエロニームは渡し舟の上にいた。帰りの渡し船の上で。

《途中、ものうげに立ちのぼる霧を騒がせながら、われわれは進んで行った。誰もが口を噤んでいた。イエロニーム機械的に手を動かしていた。彼は長いこと、そのおとなしい、どんよりした目をわたしたちに動かしていたが、若い商家の女房の、眉の黒い、薔薇色の顔に視線を向けた。彼女はわたしと並んで立って、自分にまとわる霧に黙って身を縮めていた。イエロニームは向こう岸に着くまでずっと、彼女から目を逸らさなかった。

そのじっと見つめる視線には、男性的なものはなかった。その女の顔に、イエロニームが、亡くなった友のやさしい、穏やかな面影を探し求めているかのように、わたしには思われた。》

●ここで話者がみたものはすべて思いこみと幻だったかもしれない。イエロニームとニコライは、たんに教会の嫌われ者でしかなかったかもしれず、イエロニームは何らかの罪を犯してその罰則として渡し舟の担当にさせられていたのかもしれない。最後の場面でイエロニームは商家の女房を性的に見ていただけかもしれない。あるいは、教会の群衆たちは聖歌の美しい聖句をちゃんと味わっていたのかもしれない。そうでないという保証はない。《わたし》が思い浮かべるニコライの面影や、イエロニームの商家の女房への視線がその面影を探るものだという推測には、実のところ何の根拠もない。しかしそれでも、話者が復活祭の夜に見たものは「一つの真として信じるに足るなにものか」としてある。この小説が書いているのはそういうことなのではないか。

 

 

2021-07-23

チェーホフの「学生」は聖書に材をとった小説だ。この小説は《復活祭前の金曜日》が舞台となる。復活祭前の金曜日(聖金曜日)は、キリストが殺された日ということで、信者は肉や卵や乳製品を口にしない(あるいは食べ物を口にしない)のだという。だからこの時に主人公の学生は《堪えがたいほどひだる》いという状態にある。そのような日、昼間は春めいて気持ちのよい気候だったのに、暗くなると《あらゆるものが鳴りをひそめ》、《万物の秩序と調和を乱し、自然そのものにとっても不気味》な寒気がやってくる。まるで「その日」を再現するかのように。

そのような陰鬱な寒さのなかで、学生は《リューリクの時代にも、ヨアン雷帝の時代にも、ピョートルの時代にも、これとそっくりの風が吹いていただろうということや、彼らの時代にも、これとそっくりのひどい貧しさや飢えがあっただろう》と考える。ここで《これとそっくり》と考える時、それは復活祭前の金曜日とはおそらくあまり関係がない。今、感じている寒さやひだるさ、自分がみている風景の荒涼、そして自分の生活の貧しさと同じようなものが、別の時代にも存在し、さらに《なお千年たっても、暮らしはよくならないだろう》と思えて、学生は家に帰りたくなくなる。このような暗い気持ちのなかで、野菜畠ではたらく母と娘の二人の後家がたき火をしているところに通りかかる。

ここで、語られている今、ここで爆ぜている焚き火と、ペテロがキリストのことを「知らない」と言った「その日」に大祭司の中庭で燃えていたたき火とがつながる。「今日」が、復活祭の前の金曜であることの意味が(正確には、復活祭前の金曜日は十字架にかけられた日で、ペテロが「知らない」と言ったのはその前日だろうけど)ここでせり上がってくる(松下裕・訳)。

《野菜畠が後家さんたちのと呼ばれていたのは、それが、母と娘の二人の後家のものだからだ。焚火が爆ぜながらあかあかと燃え、すき起こされた地面を遙か遠くまで照らしていた。後家のワシリーサ---背が高く肥っていて、男物の毛皮の半外套を着た老婆がそのそばに立って、物思いに耽りながら火をみつめていた。その娘のルケーリヤ---あばた面の、おろかしげな顔つきの小柄な女が、地べたにすわりこんで鍋と匙を洗っていた。どうやら夕餉をすませたばかりのところらしかった。男たちの声が聞こえていた。このあたりの作男たちが川で馬に水を飼っているのだ。》

《「ちょうどこんなふうな寒い晩に、使徒ペテロも火にあたっていたんだろうね」と学生は両手を火にかざしながら言った。「つまり、そのときも寒かったわけだ。ああ、なんという恐ろしい夜だったことだろうね、おばあさん! なんという物悲しい、長い夜だったことだろうね! 」》

学生は、福音書に書かれたペテロのことを話す。イエスに、自分が深く嘆き悲しみ祈っているあいだ目覚めていよと言われたが、《憐れなペテロは心が疲れて、まぶたが重くて、どうしても眠りに打ち勝てなかった》ので、眠ってしまう。そしてイエスがとらえられた後、あの男はイエスと共にいたと告発され、三度も「彼を知らない」と否定してしまう。《とたんに鶏が鳴き始めたので、ペテロは遠くからイエスのほうへ目をやって、晩餐のときに主の言われた言葉に思い当たった…。はっと我に返り、中庭から出て、激しく激しく泣き出した。福音書にはこうあるね、『外に出ていたく泣けり』って。僕はいま想像するんだよ---静かな静かな、暗い暗い園、そのしんとした中で、ようやく聞き取れるほどの啜り泣き……》。ペテロは、そうしたくないのに疲れに負けて眠ってしまい、そうしたくないのに恐れに負けて裏切ってしまう。そうしたことが、ユダが裏切り、イエスが連行された「あの恐ろしい夜」のなかで起こった。イエスはそれを事前に予言したが、それでもそれは避けられなかった。

《学生はふっとため息をついて、物思いに沈んだ。ワシリーサはほほえみを浮かべたまま、いきなりしゃくり上げると、大つぶの、とめどない涙が、その頬を伝って流れた。彼女は袖で顔から火を隠した、涙を恥ずかしがるように。ルケーリヤのほうは、じっと学生の顔を見つめながら、真っ赤になって、その顔つきは、激しい痛みを堪える人のように、重苦しい、緊張したものになった。》

《学生はまたも物思いに耽った。ワシリーサがあんなふうに泣き出し、娘があんなふうにどぎまぎしたところを見ると、たったいま自分が話して聞かせた、千九百年むかしにあったことが、現在の---この二人の女に、そしてたぶん、この荒涼とした村に、彼自身に、すべての人に、なんらかのかかわりがあるのは明らかだった。老婆が泣き出したのは、彼の話しぶりが感動的だったからではなくて、ペテロが彼女に身近なものだったからだろう。彼女がペテロに起きたことに身も心も引かれたからだろう。》

学生が、自分の置かれた貧しさや飢えが過去にもあり、そして未来もなくなることはないだろうと感じて憂鬱になることと、ペテロと老婆や自分たちが《身近である》ことを実感することと、どう違うのだろうか。ペテロに起きたことは決して幸福な出来事ではない。ペテロにおける、裏切りの不可避性とそれに伴う痛みや悲しさというネガティブなものが、今、ここにいる自分たちにとっても、直に触れられるのではないかというくらいに身近にあるということは、決して喜ばしいことではないはずだ。しかし学生は、このことを最大限にポジティブな出来事として捉える。

《すると喜びが急に胸にこみ上げてきたので、彼は息をつくためにしばらく立ち止まったくらいだった。過去は、と彼は考えた。次から次へと流れ出る事件のまぎれもない連鎖によって現在と結ばれている、と。そして彼には、自分はたった今その鎖の両端を見たのだ---一方の端に触れたら、他の端が揺らいだのだ、という気がした。》

一方の端に触れたら他方の端が揺らいだ。つまり、変わることのない不幸が反復されているのを嘆くのではなく、今、ここと、千九百年前とが、一方に触れたら他方が揺らぐというように、繋がっていて敏感に反応しあうことができるという感触に、学生は歓喜している。一方に触れたら他方が揺らぐという表現は、過去との距離が近づいて触れ合うということとは違った、直接性と距離の遠さとの両方を含んだ感触を表現している(遠い感触であるからこそ新鮮である、という感じ)。ある不幸や苦しみが解消され、幸福が訪れるという形の喜びではなく、ある不幸の必然(ある生・ある痛み)と、そこから遠く離れてある別の不幸の必然(別の生・別の痛み)とが、一方に触れたら他方が揺らぐという形で、きわめて新鮮に、敏感に響きあうのだということに喜びを見いだしている。

2021-07-22

チェーホフの「少年たち」に書かれていることは、他愛もないことだ。(おそらく全寮制の)中学に入学して今年から家族と離れて暮らす長男ヴォローヂャがクリスマスを前に帰省する。だが夏に帰ってきた時とは様子が変わっている。クリスマスの準備にはしゃぐこともなく、妹たちや犬と遊ぶこともしない。ただ、難しい顔をして、一緒に連れてきた友達のチェチェヴィーツェンと話し込むばかりだ。そこで、妹たちが彼らの様子を探ると、どうやらメイン・リードというアメリカの作家の本にかぶれて、二人でアメリカに渡ろうと計画していたのだ。アメリカで、虎や野蛮人とたたかい、金や象牙や毛皮を手に入れ、ジンを飲み、金鉱を掘り当て、美しい女の人と結婚するのだ、と夢想している。それを知った妹たちは、彼らは将来、金や象牙を持ち帰ってきてくれるのだからと、このことを親には内緒にする。当初は盛り上がっていたヴォローヂャとチェチェヴィーツェンだが、家に帰って里心がついたヴォローヂャは出発に消極的になる(ママがかわいそう)。それでもチェチェヴィーツェンに説得されて二人は出発する。二人の不在に気づいた家族は必死に捜索したが見つからず、翌日は警察にも相談した。するとそこへ二人を乗せたソリが帰ってくる。町の宿屋でつかまったのだ。二人は父親から説教され、チェチェヴィーツェンは呼び出された母親に連れて帰らされる。だがチェチェヴィーツェンは悪びれることもなく、去り際に妹のノートに「モンチゴモ・ヤストレヴィヌイ・コゴッチ(おそらくメイン・リードの小説の登場人物・チェチェヴィーツェンは彼になりきっている)」と書き付ける。

●他愛もなく、紋切り型でもあるこの話を、チェーホフはとても魅力的に書いている。たとえば冒頭ちかく、ヴォローヂャが帰ってくる場面(神西清・訳)。

《かわいいヴォローヂャの帰りを、今か今かと待っていたコロリョーフ家の人びとは、みんなわれがちに窓へへかけよった。車よせのところに、幅の広いそりがとまっている。三頭立ての白い馬からは、こい霧がたちのぼっていた。そりは、からっぽだった。というのは、早くもヴォローヂャが玄関さきにおり立って、赤くかじかんだ指さきで頭巾をほどきにかかっていたからだ。彼の中学生用の外套も、帽子も、オーバーシューズも、こめかみにたれさがった髪の毛も、すっかり霜をかぶって、頭のてっぺんから足のさきまで、そばで見ている者のほうがぞくぞく寒けがしてきて、思わず、《ぶるるる!》と言いたくなるような、すばらしくけっこうな寒さのにおいをはなっていた。お母さんとおばさんは、さっそくヴォローヂャにだきついてキッスをした。ナターリアは、かれの足もとにかがみこんでフェルト靴をぬがせ始め、妹たちは金切り声をあげた。あっちこちの扉がきしみ、ぱたんぱたんと音をたてた。その中を、ヴォローヂャのお父さんが、チョッキ姿で手にはさみを持ったまま玄関へかけてきて、びっくりしたように叫びだした。》

●ここで「お父さん」が手にはさみを持っているは、クリスマスツリーの飾りをつくっている途中だったからだということが、後に分かる。帰ってきたヴェローヂャは、チェチェヴィーツィンという、二年生(おそらく一つ年上)の友達を連れてきた。

《しばらくすると、このそうぞうしい出迎えを受けて、ぽっとなったヴォローヂャと友だちのチェチェヴィーツィンは、寒さのためにまだ赤い顔をしたまま、食卓について、お茶を飲んでいた。雪と窓ガラスの霜の花をとおしてさしこんだ冬の太陽が、サモワールの上でちらちらし、そのすがすがしい光が、フィンガー・ボールの中で水あびしていた。部屋は暖かかった。少年たちは、こおったからだの中で、暖かさと寒さがたがいに負けまいとして、くすぐりあうのを感じていた。》

●この小説でチェチェヴィーツェンやヴォローヂャ(の変化)への違和感は「妹たち」の視点から語られる(親は気づいていない様子だ)。この、誰と特定されない「妹たち」の視点が効いている(というか、この小説は、ヴォローヂャの話であるのと同等か、それ以上に、妹たちから見られたチェチェヴィーチェンの話であるだろう)。

《十一を頭に三人いるヴォローヂャの妹たち---カーチャと、ソーニャと、マーシャは、食卓に向かっているあいだじゅう、この新しいお友達から目をはなさなかった。チェチェヴィーツィンは、年まわりといい、背たけといい、ヴォローヂャそっくりだったが、ヴォローヂャのようにまるまるふとってもいなければ色白でもなく、やせて、浅黒く、そばかすだらけの顔をしていた。髪の毛はごわごわだし、目は細いし、くちびるはぶあついし、つまり、ひどくみにくい少年だった。もし、中学生の短い上着を着ていなかったら、ちょっと見たところ料理女の息子とまちがわれそうなほどだった。むずかしい顔をしていつもだまりこみ、笑顔ひとつみせない。少女たちは、彼を見るなり、これはきっとたいへんに利口な、勉強のよくできる人にちがいない、と想像した。彼は、しょっちゅう何か考えていた。そして、あまり夢中になって考えこんでいたので、何かきかれると、はっとして頭をふり、もう一度言ってもらいたいとたのむのだった。》

《そのうえ少女たちは、陽気でおしゃべりのヴォローヂャまでが、きょうにかぎって口数が少なく、ほとんど笑顔も見せず、うちへ帰ってきたことを喜んでいないような様子なのに気がついた。お茶を飲んでいるあいだじゅう、彼が妹たちに話しかけたのは、たった一回きりで、それもなんだか妙なことばを口にしただけだった。彼は、サモワールを指さしながら、「カリフォルニヤじゃ、お茶のかわりにジンを飲むのさ」と言ったのである。

ヴォローヂャも、夢中で何か考えていた。彼がときどき友だちのチェチェヴィーツィンと見かわす目つきから察するに、ふたりの少年は同じことを考えていたらしい。》

●チェチェヴィーツェンが妹たちに語るメイン・リードと「アメリカ」。

《チェチェヴィーツェンは、一日じゅう少女たちをさけて、額ごしにじろりじろりとみんなをながめていたが、夕がたのお茶がすんでから、五分ほど彼ひとりきりで、少女たちの中にとり残されたことがあった。だまっているのもきまりがわるかった。そこで彼は、あらあらしくせきを一つして、右手の手のひらで左手をこすり、気むずかしそうにカーチャを見ながらたずねた。

「メイン・リードの小説、読んだことがある?」

「いいえ、読んだことありません。……ねえ、チェチェヴィーツェンさん、あなた、馬に乗れるの?」

自分ひとりの考えにふけっていたチェチェヴィーツェンは、この質問には答えないで、ただぷっと頬をふくらませ、暑くて暑くてたまらないとでも言うようにため息をついた。彼はもう一度、カーチャのほうに目をあげて言った。

「野牛のむれが、アメリカの大草原を走ると地面がふるえるもんだから、野生の馬がびっくりして、はねまわったり、いなないたりするんだよ。」》

●秘密を知る妹たち。ここで妹たちは、(テキストに影響された)兄たちというテキストを読む「観客」となっている。

《チェチェヴィーツェンの、何が何やらまるでわからない言葉といい、彼がたえずヴォローヂャとひそひそ話をしていることといい、ヴォローヂャが遊びもしないで、しょっちゅう、何か考えこんでいることといい、---こうしたことは、みんなひどく謎めいていて、奇妙だった。そこで、上のふたりの娘のカーチャとソーニャは、注意深く少年たちを見守り始めた。夜になって、少年たちが寝に行くと、このふたりの娘は扉にしのびよって、彼らの話をぬすみ聞きした。ああ、少女たちは何を知っただろう? 少年たちは、どこかアメリカあたりへひと走りいって、金鉱を掘り当てるつもりでいたのだ。》

《クリスマスの前の日の朝早く、カーチャとソーニャは、そっと寝床から起きて、少年たちがアメリカへ逃げ出すようすをのぞきに行った。ふたりの少女は、とびら口へしのびよった。

「じゃ、君はいかないんだね?」と、チェチェヴィーツィンが、ぷりぷりしながらたずねた。「はっきり言えよ、行かないんだね?」

「だってさ、」ヴォローヂャはしくしく泣いていた。「どうして僕、いけるだろう? ママがかわいそうなんだもの」》

《(…)チェチェヴィーツェンは、ヴォローヂャを説きふせるために、アメリカをほめたたえたり、虎のまねごとをしてほえたり、汽船の話をしたり、ののしったり、象牙はむろん、ライオンや虎の毛皮もみんなヴォローヂャにあげると約束したりした。

今や、少女たちには、このやせこけた、浅黒い、髪の毛のごわごわしたそばかすだらけの少年が、ほかの人たちのおよびもつかない、りっぱな人のように思われた。彼こそは、英雄であり、ものおじしない、大胆な人であった。そして、彼のほえかたは、扉の外で聞いていると、ほんとうに虎かライオンがほえているのかと思われるほどじょうずだった。

自分の寝室に帰って着がえをしているとき、カーチャは目にいっぱい涙をためて言った。

「ああ、わたし、とってもこわいわ!」》

●Thomas Mayne Reid (Wikipedia)

https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Mayne_Reid

2021-07-21

ホーソーンの代表作といえば『緋文字』だし、ホーソーンを読むというのならまずは『緋文字』を読むべきなのだろうが、「ウェイクフィールド」という短編は一種の珍品のようなものとして有名で、この短編には単純だけど人の心に強く残ることがらが書き込まれている。とても短い小説だが、次に引用する二つの部分を読めば、この小説に書かれている重要なことの八割以上は読んだことになるのではないかと思う(酒本雅之・訳)。

《問題の夫婦はロンドンに住んでいた。夫は旅に出るという口実で、なんと我が家と隣り合わせの通りの部屋を借り、妻にも友人たちにも知られぬまま、おまけにここまで身を隠さなければならぬ理由は露ほどもないのに、この部屋で二十年以上暮らした。そのあいだ彼は、我が家を毎日眺め、いまや寄るべなき身のウェイクフィールド夫人を見かけることもしばしばだった。そして夫婦の契りにかくも大きな裂け目をつけたあと、死んだことは間違いないと思われ、財産の相続もすみ名前までが人々の記憶から一掃され、妻も人生の秋に寡婦となる覚悟を遙か昔に決めてしまった頃になって、彼は、ある日の夕暮れ、わずか一日家をあけたといったそぶりで、落ちつき払って門をくぐり、死にいたるまでやさしい伴侶となりおおせた。》

《わたしが覚えているのは、この程度のあらましだけだ。それでもこのできごとは、むろん正真正銘独自なもので、前例もなければ、おそらく真似ることもできまいが、わたしには人類全体の共感に訴えるものだと思える。われわれのなかにこんな愚行を犯す者など一人もいないことは、誰しも自分自身でよく承知しているが、でも他人なら誰かがやりかねないとも感じている。少なくともわたし自身の心の眼には、このできごとは繰り返して立ち現われ、いつも不可解な思いをかきたてられながら、それでいてこの話は実話に相違ないと感じさせたり、主人公の性格を想像させたりする。どんな問題であれ、心をこれほど強く動かすかぎり、その問題について考えてみることは、時間の上手な使い方だ。》

ひとつめの引用が物語の提示であり、ふたつめの引用がそれに対する批評・考察となっていて、これだけで完結しているかのようだ。実際、これ以降、夫が過ごした二十年の具体像が断片的に示されるのだが、小説を読み進めていっても、小説的な技巧の鮮やかさ(夫が家を去る時に、玄関が閉じられるまぎわにみられる一瞬の笑顔、など)によってイメージに彩りが加えられはしても、これ以上に重要なことが付け加えられている感じではない。

おそらく、夫が失踪していた二十年という時間は、具体像を詳細に書くことによっては捉えられず、ただ空白(空隙)としてだけ示されるという性質のものなのではないだろうか。仮に失踪していた夫本人がその間の生活を告白したとしても、その告白はリアリティのないものになってしまうのではないか。だが、この小説が「空白としか表現できない二十年」を捉えられていないということはない。たとえば、次に引用するようなところはリアルだと感じられた。

《むろん真相を垣間見ることもあるにはあるが、ほんのつかのまでしかなく、相も変わらず、「近いうちに帰ってやるぞ」と言いつづけて、自分が二十年もおなじことを言ってきたとは思ってもみない。》

《その二十年間も、振り返ってみれば、ウェイクフィールドが初めに自分の不在の期限だと考えていた一週間と、大差がないと思えるのではあるまいか。彼にはこの一件が、自分の人生の主な演しものに挿入された幕間狂言にすぎないと思えるのだ。(…)残念ながら、さにあらずだ。「時間」がわれわれの十八番の愚行が終わるのを、もしも待ってくれさえするなら、われわれは一人残らず、おまけに「審判の日」まで、若いままでいるはずだ。》

ひとつめの引用は、(ちょっと古井由吉みたいな文章だが)「近いうちに帰る」という言葉の反復のなかに二十年という時間を溶かし込んでしまったかのような表現で、時間を言葉によって無理矢理圧縮することによって二十年の「中味」を空にしてしまう。だか、たんに空白が示されるのではなく、習慣=反復が長い時間を空にしてしまったのだという悪循環として空白が構成される。空白が空白のままで、空白のトーンのようなものが表現される。ふたつめの引用では、一方で一週間も二十年も大差ないというスケールの無化が実感され、だがもう一方でそのような実感は(そのような実感の内側にあるときだけの)幻に過ぎず、実感=幻から醒めれば一週間と大差ないとはいえない時間が経っているという冷たい事実が示される。このときに、「実感」にも「事実」にも同等な重さのリアリティを感じるのならば、それによって二十年の空白が「スケールの失調」という形で表現されることになる。

もう一つ、この小説で過剰なくらいに強調されるのがロンドンの雑踏や群衆だ。あたかも、ウェイクフィールドの二十年は雑踏のなかに紛れて消えてしまったかのようである。そもそも、このような物語が生まれるのには、都市や群衆、根無し草的な市民という階級などが成立していることが不可欠だろう。このような物語の深い根には「神隠し」の物語があるとは思うが、しかしここには、神隠しの都市バージョンと言って済ますことのできない、それまでにはなかったであろう新たな形の人間関係(社会的関係・婚姻関係)の反映があると思われる。そして、このような「失踪」の物語のリアリティは現在もなお古びてはいないように思われる。

(いや、ある意味では決定的に古くなっていて、今読むと多くの人は、勝手に出ていった夫を二十年後に妻がすんなり受け入れるわけないだろ、女性の側に変な期待と過剰な寛容や負荷を要求し過ぎ、と思うのだろう。いや、それは正しいのだけど、この物語の重要なところはそこではないのだけどなあ、とも思ってしまう。)

(帰還できない---受け入れてくれる妻に依存しない---ウェイクフィールドバートルビーのなかもしれない。でも、この物語では---批判はあるとしても---帰還できるというところが重要なのだとも思う。)

2021-07-20

●「代書人バートルビー」の書き出しは次のようなものだ(酒本雅之・訳)。《わたしはすでにかなりの年配だ。職業柄、この三十年来、わたしがひとかたならぬつきあいをしてきた相手は、興味深く、少々風変わりで、わたしの知るかぎり今までのところは何一つ文字に書きとめられたことのない連中だった。法律文書の筆耕たちのことで、つまりは代書人だ。》ひたすら文書を書き写す人のことを、未だかつて誰も書いていないという皮肉でもあるが、ここで作者のメルヴィルは(話者の声を媒介として)、今までの文学によっては書かれたことのないような人物について、これから書くのだと宣言していることになる。近代的な小説というのはつまり、それ以前までの文学では書かれたことのないような題材について書くということであるのだなあと思った。

●「バートルビー」のオチ(オチという言い方は適当ではないが)である「配達不能郵便(デッド・レター)」というアイデアは、きわめて鋭利であるが、それ故に、「バートルビー」という小説の読解の可能性を強く限定してしまうものでもある。「配達不能郵便」は、メルヴィル自身による、自分が書いた(書いてしまった)「バートルビー」という像に対する、非常に鋭い一つの解釈であり、この解釈の提示によって小説が閉じられるのだが、でもこれが唯一の正解というわけではないと考える方がいいと思う。つまり、正解としての「配達不能郵便」から遡って本文を読むということはしない方が良いのではないかと思われる。あくまで、バートルビーというあるイメージがあり、それに関するあり得る一つの解釈として「配達不能郵便」がある。しかし、必ずしも、バートルビーという不可解な像が「配達不能郵便」という概念へと着地しなければならないということはない。読者はむしろ、メルヴィルが提示した「答え」とは別の答えを探る方がよいのではないか。読むということは、そういうことなのではないか。

(まあ、ブランショドゥルーズもアガンペンも、ふつうにそうしているのか…。)

●「バートルビー」という小説では、バートルビーはあくまで話者の視点から捉えられたものだ。つまり、話者とバートルビーとは切り離せない。観察者と観察対象は渾然一体であり、バートルビーという像の造形のためには、話者のような人物が必要だった。世俗、資本主義、(社会的に可能な範囲での)キリスト教的な良心や寛容。そして、常にうっすらと漂う信用ならなさと胡散臭さ。これらのもつ限定のなかにある話者がいるからこそ、そこから常に不気味に漏れ出てしまうバートルビーの像があらわれる。話者は、どこまでもバートルビーに届かないが、しかし同時に、すでにバートルビーの分身でもある(《わたしは君がここにいると分かっているときぐらい、自分ひとりに帰れるときはないよ》)。でも、カフカベケットになると、そこにバートルビーしかいないという状態になる。媒介的話者を通さない、いきなりバートルビー状態。バートルビー的な視点からみられたバートルビー、あるいは、バートルビー自身のよる自分語りになるのではないか。

●調べてみたら(ググっただけだが)、「バートルビー」は、アンソニーフリードマン監督(1969年)、モーリス・ロネ監督(1970年)、ジョナサン・パーカー監督(2001年)と三回映画化されており、他にも、ドイツの前衛映画作家クラウス・ウィボニーによる「Bartleby」という作品がある、ということのようだ(モーリス・ロネは、『死刑台のエレベーター』や『太陽がいっぱい』に出演しているフランスの俳優)。アンソニーフリードマン監督による映画は、全編(28分)、YouTubeで観られる。

『Bartleby』(1969年)(28分) 監督アンソニーフリードマン

https://www.youtube.com/watch?v=7htA6VJAcMU

クラウス・ウィボニーの作品は、こんな雰囲気のようだ。

https://twitter.com/jfjrjmsjlg/status/1255090511674654720

2021-07-19

●講義のために読み込んでいるのだが「代書人バートルビー」は、読めば読むほど面白い。調べたら、この小説には、酒本雅之、土岐恒二、坂下昇、柴田元幸牧野有通平石貴樹、 高桑和巳という七人の訳者による翻訳があるらしい。すべての訳を精査したわけではないが、「I would prefer not to」の訳として「せずにすめばありがたいのですが」とする酒本雅之の訳が日本語として面白いと思ったので、講義ではこの訳を使わせてもらおうと思う。

理由のない(非合理的な)徹底した一貫性をもつバートルビーの様が、常に揺らいでいて結論のだせない(常識的で、合理的で、良心の声に従い、そしてうっすらと胡散臭い)話者の視点から描き出される。小説の記述は、バートルビーの想定外の振る舞いに対して戸惑う話者が、感情や考え、バートルビーに対する態度などを定めることが出来ず、常に揺れ動いているその動きの軌跡が描き出される。また、話者はどことなく信用出来ず(自分の平和の薗=事務所に、精力的、神経質、狂乱といったものをもちこんだことはないと語るのだが、彼の雇う代書人たちの振る舞いは、まさにこの三つの語によって表現されるようなものだ)、腰が据わらず薄っぺらだが、同時に、常に「良心の声」に耳を傾け、最大限に寛容であろうと努力する。語り手の内声は俗っぽさと良心との間を行ったり来たりしながらも、常に「良心」の方へ戻ってきて、それに従う行動をする。そして、バートルビーの行動の常識からの逸脱度合いが増すにつれて、「良心」の話者に対する要求は大きくなり、話者の負担も大きくなる。それでも話者は(揺れ動き、とまどい、ためらいながらも)「良心の声」に忠実であろうとするが、バートルビーの(非合理的で、理由がいっさい存在しないが故に)一貫してブレることのない逸脱性は、良心の呼び声が届くところを超え出た先にある。話者の良心は決してバートルビーに追いつくことはなく、バートルビーは良心(寛容)による包摂の外側で、たった一人で静かに消滅するように死ぬ。墓場(拘置所)の場面で、「バートルビー」と声をかける話者にバートルビーは、「あなたのことは知っています」「でもお話しすることは何もありません」と言う。

話者は、初対面の段階で既にバートルビーにある種の崇高を感じている。《ある朝一人の青年が事務所の入り口にひっそりと立った。夏だったからドアがあいていたのだ。いまでもその立ち姿が目に浮かぶ。生気に欠けるほど身だしなみがよく、哀れになるほど上品で、癒しがたいほど孤影悄然、これがつまりバートルビーだった。》この崇高が(おそらく本来とても世俗的であろう)話者に良心と寛容とを要請する。だが、話者は自分の感じている崇高性の感情を、まずは「寄る辺なく孤独な者への同情・哀れみ」と解釈する。話者はこの解釈に従って、(とまどい、呆れ、怒りながらも)バートルビーのためを思って、バートルビーの味方であるような存在であろうとする。理不尽に事務所に居座るバートルビーのために、最後には自宅まで提供しようと提案する。つまり「愛」をもってバートルビーにかかわろうとする。しかしバートルビーは「愛」とはまったく無縁の存在であり、彼の崇高さ、《哀れになるほど上品》であることは、「愛」をまったく持たない自己完結性にあると思われる(できません。いまはこのまま変わらずにいるほうがありがたいのです)。踊り場の手摺りに座っているバートルビーに話者は「こんなところで何をしている」と問うのだが、バートルビーは「手摺りに座っています」と応える。このとりつくしまのなさこそがバートルビーの崇高性であるように思う。

良心や寛容や愛によってでは決して届くことのない先にいるバートルビーに、話者がもっとも近づいた瞬間は、下に引用する場面だったのではないか。

《徐々にわたしは、代書人に関してわたしにふりかかったこれらの災難が、すべて悠久の過去から予定されていた運命で、バートルビーはわたしごときただの人間風情には測り知れぬ全知の神の不思議な何かの思し召しから、実はわたしのところに割り当てられたのだと、いつしか確信するようになった。いいよ、バートルビー、屏風のなかにそのままいてくれ、わたしは思った。もううるさいことは言わないよ。君はこれらの古椅子のどれにも負けず無害だし音もたてない。要するにだ、わたしは君がここにいると分かっているときぐらい、自分ひとりに帰れるときはないよ。やっと分かった、心からだ、わたしはわたしの人生を、神意のさだめどおりにとことん生きてみる。それで満足だ。もっと高尚な役割りはほかのやつらに演じさせればいい、わたしのこの世でのつとめは、バートルビー、君がいたいと思うだけ君に事務所の部屋を用立てることさ。》

この悟り、《君がここにいると分かっているときぐらい、自分ひとりに帰れるときはない》という発見。これらはしかし、「同業者からの評判」によってかんたんに反対方向にひっくり返るのだった(このがまんならぬ夢魔を永久に追放しようと決心した)。

(話者は、「衡平法裁判所主事」という特権的な既得権をもつ役職にあり、この役職は彼の《懐をぬくぬくと暖め》る。この物語はこの役職により話者が裕福であった頃の話であり、しかし、これを語っている現在においてはこの役職は廃止され、話者は以前ほど豊かではないようだ。)

2021-07-18

●音楽を、高音質で、出来れば大きな音量で聴くのが望ましいことはもちろんだが、逆に、決して音がいいとは言えない再生機で、小さなボリュームで、流しっぱなしにしておくことの気持ちよさに、最近になってようやく気づいた。音楽を流しっぱなしにしておくことが苦手で、集中して聴くか、疲れたり飽きたりして、音楽が邪魔な感じになるかのどちらかで、BGMが容易に背景音にならずに鬱陶しいと感じてしまう方なのだが、クリアでない小さいシャカシャカした音でなら、雨音や波音や葉擦れの音のように心地よい背景音として聴くことが出来るようだ。たとえば、最近買ったアマゾンのFireで、YouTubeの音楽を流しっぱなしにして、天気の良い日の午後に、窓を開け放したまま昼寝することの気持ちよさ(タブレットスピーカーの音の薄っぺらさが昼寝にちょうどいい)。

●昼寝の友。

70's Soul - Al Green, Commodores, Smokey Robinson, Tower Of Power and more

https://www.youtube.com/watch?v=rSmf35baoSI

ミックスリスト - yurinasia : 

https://www.youtube.com/watch?v=mjnmUlJbgeU&list=RDmjnmUlJbgeU&start_radio=1&rv=mjnmUlJbgeU&t=12

Khruangbin || Con Todo El Mundo || 444.589Hz || FULL ALBUM || HQ || 2018 ||

https://www.youtube.com/watch?v=r6fC5v0PEzE

BEST OF JOÃO GILBERTO - PORTRAIT IN BOSSA NOVA (Full Alubum)

https://www.youtube.com/watch?v=vMKlGFCGTJQ