2021-10-06

●『ロル・V・シュタインの歓喜』(マルグリット・デュラス)における、三人の主要な登場人物たち(ロル、ジャック、タチアナ)の力関係の構造について考えて、図にしてみた。

小説の全体の構図は下のようになっている。

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まずは、三人の力の及ぶ範囲を示した図。ロルは、自らの欲望の遠近法の内部で、ジャックとタチアナの関係を操作することができる。ジャックは、ロルの奇妙な欲望の遠近法を外からの描写(記述)によって顕在化できる(全体の語り手)。タチアナは、この物語の起源となる「T・ビーチの事件」を外からの描写(記述)によって顕在化できる唯一の人物である。

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次に個別に、その受動性と能動性をみてみる。まずはタチアナ。タチアナは、ロルの欲望の遠近法のなかでロルとジャックに利用される(受動)。しかし、それなしでは物語が成立しない起源である「T・ビーチの事件」におけるロルについて、外から描写(記述)する唯一の権利をもつ(能動)。

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次にジャック。ジャックは、ロルの遠近法の内部で役割りを演じさせられ、利用される(受動)。しかし同時に、自分がその内部にあるロルの遠近法を、外から描写(記述)する権利をももっている(小説の語り手である)。

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そしてロル。ロルは、自らの遠近法の内部でジャックとタチアナを操作し利用する主体である(能動)。しかし、T・ビーチの事件についてはタチアナから、遠近法の構造についてはジャックから、描写(記述)される対象である(受動)。また、最初の事件はアクシデントであり、制御不能であった(受動)。

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このように、どの人物も完全に能動的(主体)でもなく、完全に受動的(対象)でもなく、その有り様もそれぞれ異なる(すべての人物が、メタレベルとオブジェクトレベルの両方に同時に---異なるあり方で---位置している)。そしてこの能動と受動の組成の違いが、それぞれの人物の欲望のあり方の違いをあらわしてもいるだろう。

 

2021-10-05

●「早稲田文学 2021年秋号」に掲載される小説「ライオンは寝ている」のタイトルは、もちろんThe Tokens の「The Lion Sleeps Tonight」からきているのだけど、この曲をはじめて知ったのは、「ライオンは起きている」というタイトルで日本語カバーされたバージョンで、それはビートたけし主演の『刑事ヨロシク』(1982年)というドラマの主題歌に使われていた。オリジナル曲を知ったのはもっと後で、たしか大瀧詠一がパーソナリティをしているラジオ番組でこの曲がかかり、大瀧詠一が「ライオンは寝ている、起きてない」と曲紹介した時だった。大瀧詠一の声やこの時の抑揚も含めて、「ライオンは寝ている、起きてない」という言葉(発語)を、なぜかその後もずっと憶えているのだった。曲そのものより、この時の大瀧詠一のフレーズの印象が強く残った。

The Tokens - The Lion Sleeps Tonight (Wimoweh) (Audio)

https://www.youtube.com/watch?v=OQlByoPdG6c

ライオンは起きている ''The Lion Sleeps Tonight?''

https://www.youtube.com/watch?v=6CLw1EwrBWU

(ウィキペディアをみたら、トーケンズが必ずしもオリジナルということではなく、「Mbube」(ズールー語でライオンの意味)というタイトルの原曲があるようだ。)

●『刑事ヨロシク』は久世光彦演出のドラマだった。久世光彦は、TBS時代はヒットメーカーだったが、退社後は、どちらかというとひねった(ひねりすぎた)マイナーな感じのドラマをつくる人という印象になった。『刑事ヨロシク』も、野心的ではあってもそんなに面白いとは思えず、人気的にもいまいちだったように記憶している。ただ、ぼくは、久世光彦が『刑事ヨロシク』の翌年に演出した『あとは寝るだけ』というドラマ(これも人気はあまりなかったと思う)が大好きだった(好きだったという以外のことはあまり憶えていないが)。三木のり平堺正章樋口可南子といった人が主役だが、脇役として小劇場系の俳優(東京乾電池とか東京ボードビルショー)がテレビに進出しはじめたくらいの時期だと思う。このドラマに出ていた、まだほとんど無名だった小泉今日子がすばらしくよかったという印象が残っている。

(というか、このドラマの放映中に人気が急激に上がった感じで---それは、このドラマが原因だということではまったくないのだが---だから、ドラマがはじまった時点ではほとんど無名だったということだと思う、おお、こんな人がいるのかと驚いた記憶がある。)

(こうやって思い出すと、当時---八十年代前半---はびっくりするくらいテレビをたくさん見ていたのだなあと思う。面白くても、面白くなくても、とりあえず見ていたのだなあ、と。)

YouTubeに、こんな動画があった。

あとは寝るだけ

https://www.youtube.com/watch?v=ogrg_4tm1vQ

2021-10-04

●今年もちゃんと、TIF(トーキョー・アイドル・フェスティバル)のプログラムに「スナックうめ子」が含まれていたので安心した。

「スナックうめ子」は、コロナ前は、よゐこ濱口優が主催する「濱口コントサークル」において三ヶ月に一度、そしてTIFにおいて一年に一度(しかし、三日間なので三度と数えることもできる)だけ、この世界に現われる「特別な時空間」だ。

しかし(おそらく)コロナによって「濱口コントサークル」が開催されなくなった今、年に一度だけ、TIFというフェスの内部に発生するだけとなり、その希少性がより増した。

今年も「スナックうめ子」があってよかった。酒井瞳は、活動をタレント中心からトレーナー中心に移行したと聞くし、河村唯は拠点を東京から地方に移したとも聞いた(どちらも確実な情報ではないので間違っているかもしれない)。このままでは「スナックうめ子」という時空間がこの世に発生することがなくなってしまうのではないかと危惧したが(じっさい、「梅酒の休肝日」は消滅してしまったようだ)、TIFという大きなフェスの求心力によって、場の出現が可能となった。

(これも、TIFにおける河村唯酒井瞳の貢献度が、歴史的に高く評価されているからこそなのだろう。)

ただ(これは状況的に仕方がないのだが)、スナックに訪れるアイドルの数という点で、今年はちょっと寂しい感じはあった(同じコロナ禍でも、去年はそんなに寂しい感じはなかった)。それと、もうちょっと「メンテナンス」色が濃くあってほしいとも感じだ。

(「メンテナンス」は、「スナックうめ子」内で結成された、アイドルを卒業した人たちによる縛りの緩いアイドルグループ。)

(「スナックうめ子」も「梅酒の休肝日」も、その存在を知ることができたのはhozonさんのお陰なので感謝しています。)

2021-10-03

●Spotlightに投稿した「苦痛トークン」にかんする記事を、ひとつにまとめてnoteにも投稿しました。

「苦痛のトレーサビリティで組織を改善する」(VECTION)

https://note.com/vection/n/n60f5ea44b139

苦痛を表明するという行為それ自体が、より大きな苦痛をもたらしてしまうリスクが高い「空気」が支配するこの社会で、匿名で苦痛を表明でき、それが改ざんされることなく正確にトレースされる「苦痛トークン」というアイデアは重要なものだと我々は考えています。

《苦痛トークンは、パブリックなブロックチェーンに記載されるため、改竄できず、しかも匿名で分散された、組織に対する変更要求権限となる。》

《苦痛トークンには、具体的な提案への評価の必要がなく、誰のせいでそうなっているのか、なぜ苦痛なのかわからないが、とにかく「苦痛」が生じている事実を匿名で表現できる、という特徴がある。》

《哲学者ハンナ・アレントは、組織の命令に従うだけではなく、ある種の勇気、命を危険にさらして命令に逆らい、人類にとっての正義を維持するような判断を個人に求めた。勇気はおそらく必要だ。しかし、個人の勇気に依存しすぎたガバナンスは持続可能ではない。勇気のある人は少ないし、増える見込みも特にないからである。》

《誰か特定の人間・主体に「責任」を取らせる、という方法自体、システムが複雑化した場合の制度維持方法として、もはや効果がなくなりつつある、と考えることもできるではないか。苦痛トークンは、「主体–責任」というペアを、「苦痛トークン–分散的変更」というペアに置き換えようとしているとも言える。》

苦痛トークンという考えのなかには、苦痛をトレースすることが、そのまま(人による権限や裁量、評価などを介さない)「自動的な組織の変革」につながるということが含まれており、それこそが重要だとVECTIONでは考えているのですが、しかしそこまでいかなくても、とりあえずは、苦痛の表明に「勇気」が必要でなくなり、トレースされた苦痛が(検閲や改ざんが不可能な形で)記録され、顕在化されるということだけでも、かなり大きなことではないかと考えます。

●なお、苦痛トークンについてもっと突っ込んだ話を知りたい方は、「早稲田文学」2017年初夏号掲載の「苦痛の貨幣から魅了されない権利へ 中枢の解体可能性と組織デザイン2」(西川アサキ)に詳細に書かれています。

http://www.bungaku.net/wasebun/magazine/wasebun2017es.html

2021-10-02

●4日に東工大で講義「文学B」がはじまる。月木の週二回、一限(8時50分から100分)。シラバスをつくったのはずいぶん前なので、現時点で構成が少し変わっている。さらに、授業をすすめるなかで変わっていくかもしれないが、今のところの予定をここにメモしておく。

(文学史とか文学研究の講義ではなく、小説を---日本語で---実際に「読んでいく」授業です。)

シラバスには大きなことが書いてあるが(そしてそれは勿論嘘ではないが)、この講義の目標を簡単に言えば、講義を受けた学生に「小説は真剣に読むに値するものだ」と感じてもらえること。

文学B-1 「授業ガイダンス、チェーホフを読む、他」

文学B-2 「ホメーロスオウィディウス、聖書、ルゴーネス」

文学B-3 「ビオイ=カサーレスボルヘス、夢と現実と小説の構造」

文学B-4 「ホーソーンメルヴィル、19世紀のアメリカ小説を読む」

文学B-5 「カフカを読む」

文学B-6 「ヴァージニア・ウルフ灯台へ』を読む」

文学B-7 「ロベルト・ムージル「トンカ」(『三人の女』より)を読む」

文学B-8 「ジェイン・ボウルズ、マルグリット・デュラス

文学B-9 「フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』を読む」

文学B-10 「保坂和志を読む」

文学B-11 「小島信夫を読む」

文学B-12 「多和田葉子笙野頼子山崎ナオコーラ

文学B-13 「磯﨑憲一郎、山下澄人

文学B-14 「「小説の現在」のさまざまなあり方に触れる」

(柴崎友香青木淳吾、鴻池留衣、町屋良平、大前粟生…)

(今、八回目の「ジェイン・ボウルズ、マルグリット・デュラス」のスライドをつくっているのだけど、どうにも時間内に収まりそうにないので、第八回は「ジェイン・ボウルズ、マルグリット・デュラス(半分)」で、第九回が「マルグリット・デュラス(残り半分)、ファン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』」になるかもしれない。)

2021-10-01

●「早稲田文学」の見本が届いた(発売は11日)。

「ライオンは寝ている」は、一昨日(9月29日)の日記に書いたようなことを書いている小説だと思います(一昨日の日記を読んで何か感じるものがあった人は、是非読んでみてください)。

 

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2021-09-30

●10月4日から週二回、リモートで東工大の講義だが、心配なのは裏の更地だ(本当に壁一枚隔てただけのすぐ裏だ)。解体の後、ずっと更地のままなのだが、いつ工事がはじまるのか分からない(二階建てのアパートができるようだ)。工事がはじまったら、工事の騒音のなかで授業することになるのか。一限なので講義は8時50分からはじまるが、解体工事の時の感じでは、工事の作業は8時くらいからはじまる。

作業用に買った古いノートPC(ウェブカメラがついていない)に、簡単なカメラを繋いで、アトリエで講義できないかとも考えたが、アトリエにはネット環境がない。

(リモートワーク用のノイズキャンセル機能付きマイクは、工事の騒音にどの程度有効なのか。)

(最悪の場合、工事が終わった後の夜間に講義を録画して、授業時間はそれを流しながら、質問にチャットで対応する、みたいになるのか。)

授業のある二ヶ月の間、工事がはじまらなければいいのだが。