2023/05/20

⚫︎不意に思い出してThe Poguesを聴く。80年代終わり、浪人時代に好きだった。

The Pogues - If I Should Fall From Grace With God - YouTube

Thousands Are Sailing - YouTube

Medley: The Recruiting Sergeant / The Rocky Road to Dublin / Galway Races - YouTube

The Pogues - Fairytale Of New York (Official Video) - YouTube

このCDは90年代に買い直したものだと思うけど、それでももう30年くらい前だ。

 

2023/05/17

⚫︎本当にどうでもいいことだが、「バブリーダンス」にはちょっと違和感がある。「ダンシング・ヒーロー」も「ジュリアナ東京」も90年代で、すでにバブルは崩壊した後のことだ。80年代にも、ボディコンやお立ち台はあり、田中美奈子がマハラジャで毎晩のように踊りまくっていたという話もあるが、そういうものが風俗として(時代の象徴のように)前面に出てきたのは90年代になってからではないか。

(文化的には90年代の方が派手で、CDもたくさん売れて、確かに「バブリー」感はあるのだが。経済が落ち込んできたから、気分だけでも派手さを出すみたいな感じだったと思う。あるいは、音楽業界としては90年代こそがバブルなのかもしれないが。)

それから、ボディコンと肩パットがセットのようになっているが、ボディコンシャスと肩パットとは本来、概念としては相容れないはず。この、相容れないものの悪魔合体が起こったのは、肩パット入りのCDブランドもののスーツの流行があったからではないかと思う。一方に、ボディコンシャスという身体の線をそのまま出すという概念があり、もう一方に肩パットで鎧のように肩幅を強調するブランドもののスーツがあって、コンセプトとしては真逆なのに、両者がなんなとなく融合することで、肩パットで肩幅を広げ、それを強調するためであるかのようにウエストを細く絞って、スカートがタイトというシルエットのスーツになって、それがなぜかボディコンと呼ばれるようになったのではないか(詳しくない者の想像でしかないが)。

本来のボディコンシャスは、こんな感じであるはず。《1981年のミラノ・コレクションでアズディン・アライアが、身体に添ったデザインのドレスを発表した。これをボディ・コンシャススタイルという。》(Wikipediaより)

www.vogue.co.jp

しかし、なぜか同時に、こういうのもボディコンと呼ばれた。

urbanlife.tokyo

検証していない印象と記憶に過ぎないが、「男女七人夏物語」(86年)にはまだ「肩パット」感はあまりなくて、「男女七人秋物語」(87年)になって、大竹しのぶ岩崎宏美が肩パットの入ったスーツを着るようになって(しかしボディコンではない)、手塚理美がエロい感じを出すようなボディコンを着るようになるが、こちらは肩パット的ボディコンではなかったはず。「抱きしめたい!」(88年)のW浅野も、肩パットはバリバリ入っていたと思うけど、ボディコン感はなかったはず(検証していない印象です)。

しかし、吉川晃司のデビューが84年なのか。肩パットといえばまず吉川晃司が連想され、彼がデビューした頃はすでに、みんなバリバリに肩パットだったという記憶がある…。

あ、そうか、バブルでボディコンスーツといえば工藤静香なのか(そう考えてから「バブリーダンス」の動画を観れば、明らかに工藤静香のフリをサンプリングしたダンスだ)。だとすれば「バブリーダンス」への違和感は、80年代と90年代との混同からくるではなく、マハラジャ的、ジュリアナ的な、本来の意味に近いボディコンシャスと、本来の意味からかなりズレた肩パット入りのボディコン的なブランドスーツとの、ボディコンという語の共有による混同からくるということなのか。バブル期(80年代後半)のボディコン・肩パットは、基本的にリクルートスーツとか、会社員が会社に着ていくための服が主だったと思われ、それは、夜、クラブに踊りにいくようなボディコンシャスの服とは、ビジュアル的にも、文脈的、文化的土壌的にも違っているはず、ということか。あるいは、クラブといっても、踊る系ではなく、ホステス系の人が派手目のボディコンスーツを着ていた感じ。

踊る系とホステス系との混同が、違和感の理由ということになるのか(工藤静香は踊らない、と)。

ポジティブに考えるとすれば、踊る系とホステス系をモンタージュすることによる創造物として「バブリーダンス」がある、と言えるのか…。

(しかし、余裕がない時期に、こんなどうでもいいことを考えるのにけっこう長い時間を使ってしまった…。)

(現実逃避だ…。)

⚫︎当時の踊る系の人のボディコンはこんな感じ(鎧のようなスーツとは真逆)。

smart-flash.jp

2023/05/16

⚫︎「彼の身体の動きはどこまでも単調で歯車のように永遠と一定だった」というような文を読んで、えっ、となって目が止まった(事情により、オリジナルから改変してあります)。

例えば、美味しいものに対して「永遠に食べられる」みたいに、「永遠」をすごく軽く使う人がいるのは知っている。これは「神」とか「天才」とかをすごく軽く使うことにも通じていて、無限、特異点、規格外のものという尺度を無自覚に規格内の価値観に置き換えているような用法で、「すごいもの」のすごさをすごく軽く見積もっているみたいで嫌なのだが(とはいえ、数学や物理学では無限を有限の中に繰り込むという操作は普通にやられているが)、ここまでくるとちょっと違ったニュアンスが見えてくる。

(ぼく自身も、アイロニカルな感じで「神回」くらいの言葉は使うが。)

「永遠に一定」ではなく「永遠と一定」で、この「と」の示すニュアンスに独自なものがある。「永遠に一定」だと、普通に「決して変わらない」という意味になって、言葉として特に違和感はないが、動きの緩急を欠いた単調さを表現するというニュアンスからはややズレるように感じられる。

ここには、無限の有限化とはまた別に「永遠」と「延々」との、音の類似を媒介とした混同的な置き換わりがあるのではないか。「永遠と」という言い方はあまり耳馴染みがないが、「延々と」とは普通に言う。「延々」という語には、うんざりするような「単調である」というニュアンスが含まれるが、「永遠」には「単調」というニュアンスは通常は含まれないように思う。

「延々」の言い換えに「永遠」を使うという感覚もまた、無限の有限への折り込みによる矮小化に通じてもいるが。

このような、形容のインフレーション的な価値の引き下げは、「東大生クイズ王」とか「最年少でボン大学教授就任」みたいな権威主義的表現とも、密接に絡まっている感覚のように思える(これらは、あらゆる判断を「規格内基準」でのみ行おうとする態度でもあり、それは同時に「表現=判断における度合いの適切さ」に対して自分・判断主体が責任を負うことの回避にもつながっているのではないか)。

ただ、以上のような分析とはまた別に、「永遠と一定」という表現は、ただこれだけを見るならば、独自の味わいのある表現になっているようにも思われる。

⚫︎この件については、ちょっと検索すればたくさん出てくるくらいに、すでにいろいろ言われているのだな(「車輪の再発明」みたいなことを書いただけなのかも)。ドキッとして立ち止まるくらいに際立った表現かと思ったら、すでに紋切り型なのか…。

下にリンクしたテキストでは、「永遠と」と「延々と」とは、(1)音の類似、(2)文法上の振る舞いの一致、(3)意味の一致があり、故に置き換えは可能だと(置き換えを拒否する根拠は教養主義しかないと)しているが、(3)にかんしては、有限と無限という決定的な意味の違いがあるのではないかと思う。「永遠」は厳密に無限なものにだけ適用される語ではなく、比喩として「有限であってもあたかも無限であるかのように長い時間」を表すことがよくあるとしても、そこには明らかなスケール感の違いがあると思うのだが。ここには「表現=判断における度合いの適切さ」にかんする問題がある。

note.com

⚫︎つまり、ここから考えるべきことは、無意識的にだとしても、多くの人々が、明らかに「表現=判断における度合いの適切さ」を壊そうとするような言語行動をとっているというとき、それがどのような欲望に導かれて行われているのか、ということなのだろう。

(多くの事柄は、シロかクロかでは判断できず、グラデーションの「濃度」こそが重要だと思うので、度合いの適切さの破壊というのはとても危険なことだと思うのだ。)

2023/05/15

⚫︎こんな動画を見つけた。

ICHIGO RINAHAMU (苺りなはむ) - BIOGRAFIA ANTI-IDOL #2 - YouTube

アイドル界隈の人で、すごく話を聞いてみたい人の一人が「苺りなはむ」で、日本のインディペンデントアイドル史の内側からの生き証人みたいな人だと思うのだけど、キャリアを振り返るロングインタビューみたいな記事はどこかにあるのだろうか。なんとなく、過去をあまり語りたがらない人というイメージがあるのだが(というか、「素」を見せるのを嫌うということかも)、「豪の部屋」とかに出てくれないものだろうか。

CONOCE A CY8ER! Las idol cibernéticas que hacen ruido en el mundo | Idols japonesas para conocer - YouTube

現在はこんな感じなので、アイドル界隈とはあまり絡みがないのかもしれない(HO6LAというアイドルグループをプロデュースしてはいるが)。

苺りなはむ - 楽煙 / ICHIGORINAHAMU - RAKUEN - YouTube

rinahamu「ヒーロー(feat.4s4ki & KOTONOHOUSE)」(Live Ver)【2023.4.29 苺祭2023at Spotify O-EAST】 - YouTube

一人でこれだけ長く話している動画は貴重。

CY8ER 苺りなはむさんの好きな作品は「シュタインズ・ゲート」【#ドルネクラウンジ】 - YouTube

横山りな時代の苺りなはむも出ている、旧BiSの最初のMVは歴史的に貴重なものだと思うが、これってハイ・レッド・センター(山手線事件+首都圏清掃整理促進運動)のパクり(というか、パロディ)だろう。

BiS/BiS-新生アイドル研究会- PV - YouTube