2001-08-01から1ヶ月間の記事一覧
(昨日からのつづき、ラース・フォン・トリアーの『イディオッツ』について。) 彼らの集団は、「偽」の愚かさを演じる、まるで「偽」の68年の世代のようである。(勿論、それらは映画の為の「偽」のお話であるのだ。)そしてトリアーはそれを「偽」の貧しさによ…
初めて知ったのだが、浅田彰氏のやっている「i-critique」対応について、この日記の8/21の記述とかなりかぶっているコメントがあって、なにしろむこうは天下の浅田彰なのだし、これではぼくが浅田氏のコメントからそのままパクッたと思われても仕方が無いこ…
ビデオで『イディオッツ』を観た。ぼくの観た、ラース・フォン・トリアーの映画のなかでは一番面白かった。(『奇蹟の海』『イディオッツ』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で3部作になるらしい。)この映画のラスト、クレジットが示されるところで、唐突に撮影…
早稲田文学の9月号でのスガ秀実『革命的な、あまりに革命的な』では、宇野経済学と赤瀬川原平による「模型」千円札に触れて、芸術と労働力という、「等価交換」というフィクションを危うくする2つの特異な「商品」について述べている。(宇野経済学では、商…
軽い狂気。昼間のガラガラに空いた、短い編成の電車。一番後ろから車両を次々と横切って来た男が、窓のブラインドを下ろしている。どの車両も、正確に同じ位置のブラインドを、その一箇所だけを下ろしてまわっているのだ。進行方向を向いて左側の、一番後ろ…
(一昨日から、何かダラダラと続いている)ポーによる探偵小説『盗まれた手紙』を特権的なテクストとしているのだから、ラカン派の精神分析もまた同様に、探偵=分析医であってみれば、「複数の差異による闘争の場としての法廷」という次元を欠いている、と言う…
(昨日のつづきと言うか、補足というか、うだうだと。)古典的な探偵小説においては、探偵というのは実は詩人と対立するような存在ではなくて、散文化した詩人のような存在と言うべきなのかもしれない。詩人が、その神秘的なインスピレーションによって「世界…
古本屋でたまたま見つけた笠井潔『群集の悪魔』を読んだ。ぼくは笠井氏の書くものは批評にしても小説にしても、基本的に興味がないのだが、このミステリー小説は、1848年のパリを舞台にしていて、探偵があのオーギュスト・デュパンで、ワトソン役とも言える…
大きな音であたり一面に響きわたる蝉の声は、今、ここという感覚を危うくする。それは、あまりに強く感覚に訴えかけ感情に作用するので、その声を聞いている、今ここと、かつて同じような声を聞いた別の時間、別の場所とを、記憶のなかから招きよせて強引に…
アトリエは、山と言うほどのこともない小さな山の斜面の中程にあって、谷と言うほどのこともない浅い谷底には川が流れているのだけど、その川の水が昨日の台風の影響でかなり増水していて、轟々と大きな音をたてて流れている。その音は谷あい全体に拡がって…
今日はこれから台風が来る。朝から断続的に降る強い雨がバシャバシャ地面をを叩きつける。雨は時おり、ふっ、と弱まり、空も白く明るくなったりもするけど、またすぐにカーテンを引くようにサーッと激しく降りつけ、風も強くなる。雨の濃度は、パラパラマン…
いしだ壱成の逮捕に関する、石田純一の記者会見をたまたま目にした。一貫してチャラチャラした、いいかげんでだらしない男でありつづけた「愛と平成の色男」も、自分の不祥事ならともかく、息子に関するものであるかぎり、「立派な父親」であり「大人の男」…
ビテオで、「学校の怪談~物の怪スペシャル」から、黒沢清監督の『花子さん』。(注意、ネタバレしまくり。)あらゆるショット、あらゆる人物の行動や言葉などが、ただそれとして投げ出されるようにしてあって、それらが特定の「意味」へと収束してゆくことな…
タルコフスキーの『鏡』をビデオで。ぼくは基本的にアート系の映画好きだったりするので、たまにはこういう、きっちりと丁寧に作り込まれている上に、全体が作家の意志と美意識でピタッとコントロールされているような、それでいてあくまで「アート」ではな…
午前中、炎天下のなかを散歩する。7月にはいったばかりという頃には、こんな暑さがまだ2ヶ月以上つづくのか、と、うんざりするばかりなのだけど、8月も半ばを過ぎると、この夏らしい暑さの日が、今年はあと何日あるのだろうかなんて、急に何かおしいような、…
吉祥寺のバウスシアターで、スティーブン・スピルバーグの『AI』をやっと観た。観ながら、いろいろなものを思い出していた。一度インプットされてしまった「愛」によって、地の果て時の果てまで突き進んでゆくロボット、というのは楳図かずおの『わたしは…
驚いたことに、アトリエへ向かう途中にある中学の校門の脇で、今頃まだ、紫陽花の花が、半球状になった一塊だけポツンと、薄紫に咲いていたのだった。この場所は、7月の頭頃の暑さで、他の紫陽花の花が皆焼け爛れたように萎びてしまった後も、いつまでも涼し…
冷房を止めて、窓を開け放して、イスに座ったまま目を閉じて、頭を後ろに反らせて、うつらうつらする。肌の表面が、軽く湿り気を帯びる程度の暑さ、が、身体のまわりを漂っているのを感じながら。ときおり、いい風がすうっと入ってくる。蝉の声。車体をブル…
澁谷のユーロスペースで、青山真治監督の『路地へ~中上健次の残したフィルム』。冒頭から、車の中に据えられたカメラが、運転する井土紀州越しにフロントグラスの外の風景を捉えるショットが続くのだが、そのカメラがふいに外へ出て、国道42号線であること…
古本屋でたまたま見つけた『群像』の2000年11月号に載っていた、富岡多恵子と松浦寿輝の対談はとても良いものだった。これは富岡氏の『釈迢空ノート』(どんなものなのか全然知らないけど)の完結を受けてなされたものらしい。ここでは特に何か目新しいことや…
雨、というほどではないのだが、アトリエのある中腹の辺りは真っ白い靄で覆われていた。格子状に組まれた垂木に巻き付いている朝顔の蔓から咲いている紫色の薄い花びらが、湿ってしんなり下を向いていた。隣の犬は、セメントで出来た三和土に新聞紙を敷いて…
とても蒸し暑い日の午後、適度に冷房の効いた場所でうたた寝をするほど気持ちの良いことがあるだろうか。イスに坐ったまま上体を反らせて(イスの背もたれがしなる)、壁に後頭部をつけて目を閉じる。外から、蝉の声がじわじわと染み込んできて、それに混じっ…
青山真治氏の著書『われ映画を発見せり』に載っている、大友英良氏との対談に次のような部分があった。 《青山 あとね、DATで現場で音を録るでしょ? それを一回シネテープにあげて、それをもう一回マルチに入れてゆくとそこでもう全然音が違う。聞こえて…
アトリエの隣の犬は、すっかり弱ってしまっていて、1日じゅう地面に伏せたままでほとんど動けない状態だそうだ。あれほど臆病で、誰彼かまわずに、見境なく吠えまくっていた犬が、触れるくらいに近くに寄って顔を覗き込んでも全く反応しない。もう、どうにか…
椹木野衣氏の批評に対していつも違和感を感じるのは、美術に対する考え方や個々の作家や作品の評価が全く違うということにではなく、彼の批評が、ほぼ全面的に「共感」というものだけに寄り掛かっているように思えるという点だ。誰でも、ある作家なり作品な…
池袋のシネマ・ロサでやっているデプレシャン・レトロスペクティブへ、『二十歳の死』を観に行く。この、1時間にも満たないデプレシャンの1作目は、ビデオでもう何度も観ているのだけど、ちゃんとスクリーンで観たかったので、出掛けて行ったのだった。ぼく…
午後の最も暑い時間を冷房のキンキンに効いた建物のなかで過ごし、もう夕方という時刻になって出入り口のドアを押し開けると、外から尋常ならざる湿気を含んだ空気が「もわあ」と入り込んできて身体じゅうをみるみる包み込み、身体じゅうの表面がそのじとー…