2002-03-01から1ヶ月間の記事一覧

02/03/16

●歯医者の治療というのは、その治療自体は痲酔を使って行うので、大して「痛み」を感じることはないのだが(痲酔の効きづらい体質らしく、何度も打ってやっと効く。歯茎の奥の方まで長い針が入ってゆくプツッという感触。)、威勢よくガリガリと歯を削られた後…

02/03/15

●同時代の作家の作品への評価や判断というのは、どうしたってその人物に対する個人的な感情だとか人間関係のしがらみなんかが絡んで、影響を受けてしまう。あいつの父親には世話になったとか、あの子は好みのタイプだとか、あいつはの俺の親切をアダで返しや…

02/03/14

●疲れた。VOCA展に関連したシンポジウムとオープニング・レセプション。シンポジウムで交わされる言葉のあまりのヌルさに驚き、昨日も書いたけど改めて美術に「言葉」が足りないということを思い知るのだった。いったい、シンポジウムのパネラーの先生方…

02/03/13

●アトリエに何やらアヤシイ人影がどこからともなく集まり、ひそひそと密談を交わす。同世代の画家たち何人かが集まって、様々な個々の作家や批評家たちについてのそれぞれの評価や、美術の現状についての認識などの意見を交わし合う。個人主義的というのか、…

02/03/12

●「新潮」4月号の青山真治『Helpless』(小説)。この小説を、一体どのように読んだらいのだろうか。何とも稚拙な小説だと言って切り捨ててしまうこともできるし、小説について真剣に考えているような人なら当然そうすべきだろう。いかにも中上かぶれの文章が…

02/03/11

●印象派のもっとも革命的なところは、タッチ(筆触)に自律的な価値を与えたというところにあると思われる。モネの画面を観てまず最初に目に入ってくるのは、光というよりもウネウネとうねって画面を覆い尽す筆触であるだろう。明暗やモデリングのためのグラデ…

02/03/10

●店の軒先などから出ている、幌と言うのか、日よけと言うのか、折り畳み式の骨組みに張られている、ハンドルをくるくる回すと出たり引っ込んだりするような、頭上に張り出ている防水加工された布が、バサッ、バサッ、と大きな音をたてながら、まるで海中にい…

01/03/09

●花粉が飛んでいるのであまり外を出歩きたくはないのだけど、あまりに春らしい日和につられてふらふと出掛ける。緑地のなかには、日の当らない場所で、冬の乾燥した匂いとは違う、じとっと湿った土の匂いがし始めているところもある。地面を踏み締める足の裏…

02/03/08

●画家の今井俊満氏が亡くなられた。アンフォルメルの画家として世界的に活躍したかと思えば、いきなり「花鳥風月シリーズ」で日本に回帰し、しかしそんな日本回帰など悪い冗談でしかないとでも言うように「広島」や「南京」を題材にした作品を発表して物議を…

02/03/07

●久しぶりに冷え込んだ夜。それでも、絵具のついた手を洗う、蛇口から出てくる水は、冬の痛いほどの冷たさとははっきりと違う。アトリエからの帰り道、小川沿いの道を水音を聞きながら坂を下ってゆく。中学のグランドから急速に下っている土手の木にびっしり…

02/03/06

●銀座テアトルシネマでフィリップ・ガレルの『夜風の匂い』。シネマスコープ・サイズの画面にカトリーヌ・ドヌーブがあらわれる。階段を上り、鍵を取り出して部屋に入り、コートを脱ぎ、ベッドのまわりに香水をまき、手帖に言葉を書き付ける。これら一連のシ…

01/03/05

●東京国立近代美術館で『未完の世紀・20世紀美術がのこすもの』。これだけの量の作品を一遍に観るのは容易ではなく、どうしても一点一点の見方が荒くなってしまいがちだし、ぼくは「日本の近代美術」について充分な知識があるとは言えないので、個々の作品を…

02/03/04

●『Eclectic』について話していて、「あのアルバムについて官能的なんていうのは意味ないですよ、あきらかにそう聞こえるように作ってあるんだから、むしろ禁欲性について言うべきですよ」と言われた。例えば声を禁欲的なまでにコントロールしていること、オ…

02/03/03

(昨日の補足)●その、誰もが思わず引いてしまうほどの「ゴリゴリ」ぶりが何ともトッポくて挑発的だという意味で青山真治の『すでに年老いた彼女のすべてについては語らぬために』はカッコイイと思うのだけど、そこで言われているような、日本という空間内部に…

02/03/02

●2/28に観た青山真治の『すでに年老いた彼女のすべてについては語らぬために』に導かれて、スガ秀実『「帝国」の文学』の「漱石と天皇」の章を読み返してみた。ここでスガ氏が、漱石が大逆事件について間接的に語っているとして引用している『思ひ出す事など…

02/03/01

●高野文子の『黄色い本』(講談社)の表題作だけ読む。一度に読んでしまうのは何とも勿体無い。高野文子の新作を読めるという機会はホントにたまーにしかないのだけど、その度に高野氏に対する尊敬の念が深くなるばかりだ。ある作品(ここでは『チボー家の人々…