2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

●『輪るピングドラム』第12話。 ほぼ、そのまんま地下鉄サリン事件。しかも父が「犯罪組織の指導的幹部だった」というのも、予想通り過ぎて逆に意外なくらい。ただ、事件の具体的内容は明かされてはいないが…(爆破っぽい)。あと、父が二人いるみたいな(父と…

●つづき、もうちょっと…。 精神分析的な意味での私(シニフィアンネットワークとしての身体)が開かれているというのは、(言語が私のなかで生まれるのではなく)私が特定の言語という環境のなかに生まれるから。私の内側は外側へと裏返って繋がっていて、私とは…

●昨日、一昨日から、もうちょっとつづく。 神経系的で自律的な身体とは、有機的な身体というものとも違って、有機・無機の区別と関係なく作動しているシステムとしての身体のこと。もう一方の極である「一つのランガージュとして構造化されている」無意識と…

●ちょっと昨日のつづき。 『ラカン派精神分析の治療論』(赤坂和哉)には、分析家が「内容のある解釈」を分析主体に与えてしまうと、分析主体はその「内容(分析家の欲望)」に想像的に同一化してしまって、せっかく開きかけた無意識への回路が閉じてしまうから…

●新宿のphotographers' galleryで、組立準備企画の佐藤雄一×松浦寿夫対談。 最初に、「組立」所収の佐藤さんのテキスト「さらに物質的なラオコーンにむけて」を読んでない人のために本人からその要約を…、という話だったが、その要約が「波」や「量子」の話…

●お知らせ。アートプログラム青梅2011(10月22日〜11月27日)というイベントに参加します。期間中、青梅市立美術館に作品が展示されるのと、10月22日のシンポジウムにパネラーとして出ます。 http://www.art-program-ome.com/ ●人はそれぞれ、もっとも敏感に(…

●『ブラックスワン』をDVDで観た。これは何なのだろうか。主題や物語の水準では、ベタで凡庸で何の工夫もひねりもない話が、抑揚も深みも陰影もなくただひたすら最後まで一本調子でつづいてゆく。そのひたすら単調な流れを、ともかく最後まで観ることに耐え…

●『輪るピングドラム』第11話。えーっ、そうきちゃったのか、という感じ。オープニングの「95」という数字、丸の内線沿線が舞台であること、そして村上春樹(かえるくん)への言及などから、地下鉄サリン事件が意識されていることは確かに匂わされてはいたけど…

『ラカン派精神分析の治療論』(赤坂和哉)、第四章まで。明晰な記述で、今まであいまいだったいろんなことが明確になる感じ。 ラカン前期においては「大文字の他者の大文字の他者は存在する」(「父の名」として)。しかし、中期においては、「大文字の他者の大…

●昨日、書いたこととも関係があると思う。 前にすすむ時間と遡行する時間ということを最近考えている。構造は、いったん成立するとあたかもずっと前から作動しつづけていたかのように作動する。その成立までの過程は、既に構造が成立した地点を収束点として…

●『黒揚羽の夏』(倉数茂)。面白かった。自分の頭の「こういうチャンネル」を開いたのは久しぶりかも、と思った。 この小説の不思議な感じは、読んでいる時は、作者の様々な「趣味のもの」のパッチワークであるようなデコボコした感触を受け(天沢退二郎的なフ…

●中央線で吉祥寺まで。井の頭線に乗り換えて神泉。松濤美術館で岡本信治郎展。渋谷まで歩いて、山手線で新宿へ。ジュンク堂で『設計の設計』と『黒揚羽の夏』を買う(『パースの記号学』も欲しかったけどお金が…)。中央線で最寄駅まで。駅近くの喫茶店で三時…

●ちょっと昨日のつづき。「ピングドラム」について。 床下に入り込んだり、イリュージョン空間で陽毬のペンギン帽子を奪ったり、様々な妄想の次元(イメージ)を現実平面と接合させたりという、並外れた展開力(行動力)をもつ苹果も、垂直的な運動(日記の落下、…

●『輪るピングドラム』第10話。絵が乱れていたし、出来としてはイマイチかなあ、という感じの回だった。しかし、また新たな登場人物が出てきた。ペンギン帽をつけるもう一人の子供、夏芽マリオとは、夏芽真砂子の子供なのか弟なのか。そしてマリオと陽毬との…

●国分寺のスイッチポイントで、郷正助「あの星にいきたい」展。帰りに立川の世界堂で足りない絵の具を買って、オリオン書房ノルデ店で『ラカン派精神分析の治療論』(赤坂和哉)と、『日本の大転換』(中沢新一)を買う。「早稲田文学」4はまだ置いてなかった。 …

●昨日と一昨日の光の強さに昂揚して調子に乗り過ぎてしまったみたいで、今日は一日ぐったりとへたばっていた。 何をしようとしてもだるくて頭がぼーっとして手につかないので、いっそのこと眠ってしまおうと思って横になるとまったく眠れない。 ●最近、撮っ…

●夜の空。空を覆う雲がすごい勢いで流れてゆくけど、月のある場所だけは避けて通っているかのようで、光った月がずっと見えつづけていた。 ●キャンバスの表面に目止めのためにマットメディウムを塗布する。朝早く塗布し、夜になって乾燥してから、もう一度塗…

●天気がすばらしかったので、外で(アパートの前で)背中に直射日光を浴びながら、トントン(金槌)と木枠を組み、バシッバシッ(ガンタッカー)とキャンバスを張る。そしてふと思った。今つかっているキャンバス張り機(名前を知らない、布を挟んでギューッって引…

●づづき、三回目。「ここで、ここで」(柴崎友香)について。 二つ目の場面がはじまってすぐに、《ほんでイケアの食堂まで辿り着いて、なんも注文せんと窓際の席に座って廃人同然でしたよ》という「わたし」の台詞が書かれるので、一つ目の場面の出来事がこの…

●つづき、「ここで、ここで」(柴崎友香)について。 全長二キロ、高さ四十五メートルの「なみはや大橋」の一番高いところで身動きが出来なくなった「わたし」が、その状態を脱するための目印にするのは《イケア》なのだ。《遥か遠くにイケアの建物が見える。…

●柴崎友香「ここで、ここで」(「群像」10月号)。これ、けっこう難しいというか、複雑な小説だなあと思った。さらっと読むと、いくつかの印象的な場面がゆるい関連性によって並べられているように思えるけど、よくみると、そのモンタージュ(場面と場面、主題…

●『輪るピングドラム』、第九話。大きな変化。イリュージョン空間での落下、苹果の水没や床下潜入などはあったが、これまでは基本的にこの作品は水平的な運動性によって形作られていた。そしてそれは主に苹果の行動力によって支えられた。苹果がツバメの巣の…

●『輪るピングドラム』の発想の元になったということなので「銀河鉄道の夜」を読み返してみた。ぼくは、宮沢賢治は好きなのだが「銀河鉄道の夜」は今まではピンとこなかったというか、あまりよく分からない感じだったのだが、「ピングドラム」と比べて読むこ…

●ちょっと気になって斎藤環「コンテクストのオートポイエーシス」(『文脈病』所収)を読み返してみたのだが、これが滅茶苦茶面白かった。前に読んだのは十年くらい前だったかもしれないが、その時は全然理解出来てなかったんだな、と思った。一つの主体のなか…

●九月にはいってから撮った写真。

●お知らせ。発売はまだちょっと先みたいですが、ウェブに、もう目次が発表されているので。 「早稲田文学」4号の大江健三郎特集で「極限で似るものたちのつくる場」という論考を書いています。五十枚を超えるテキストが掲載されるのはずいぶん久しぶりです(…

●出る時に降ってなかったとしてもいつ降り出すか分からないので傘はちゃんと持って出なければと思っていたのに忘れてしまったと気づいたのは、雨粒が一つぽつっと落ちてきたのを感じた時だった。駅前のスーパーまであと二百メートルくらいのところで、その一…

●『輪るピングドラム』、第八話。以下、ネタバレしています。 ●苹果から離れる二人の男、多蕗と父。この双方に対応する苹果の二つの妄想形。動物-ぬいぐるみ系と劇場-ミュージカル系。前者においては擬人化、デフォルメされ単純化された形態が、後者において…

●つづき、八月の後半に撮った写真。 光は空から降ってくる。しかしそれは既に、大気で屈折し、雲を通過し、空の埃や水滴で乱反射し、いわば濁っている。地面(水面)は、降ってきたその光を受けとめて反射する。空からの投射と、地面(水面)からの反射が入り混…

●八月の後半に撮った写真。