●原稿のために、ある小説家の一番あたらしい本に収録されているなかの、一番長い小説を読んだ。雑誌に掲載された時にも読んでいるから二度目だが、あらためてじっくり読んで、そのあまりのとんでもなさに、あらためてびっくりする。そこに書かれている内容は、いわばすべて「情報」でしかなく、おそらく、この作家の固有の経験とも記憶とも、そしてきっと、関心とさえ、ほとんど関係がない。しかも、そこで書かれている情報は、よくもこんなに調べたものだと感心はしても、特にこの小説でしか読めないレアな情報というわけではない。この小説のテーマ(というか、題材)に関心がある人で(それを実際にしようとしている人で)、用心深いというか、慎重な人ならば、きっとこれくらいの情報は集めるのだろう、というくらいのことでしかない。つまり、それらの情報は、少し細かく調べれば誰でも見つかる程度のところに、既に書かれている内容ばかりだ。その次元での謎はまったくない。そのような、詳細ではあっても、きわめてありふれた内容、ありふれた言葉が、しかし、この作家でしかあり得ないというようなやり方で組み合わされ、組み立てられることで、この作家でしかあり得ない小説になっている。ほんとにとんでもない。
この小説で取りあげられている題材は、ぼくの今の状況からするとまるで月のように遠い事柄でしかなく、だから、この小説に書かれている情報のごとくが未知なことではあるのだが、しかし、そもそもそんなことに関心がないから、そんなことを教えてもらっても、クイズ番組の答えを知る程度の「へえ」という興味しか湧かないのだが、そんなことしか書いてないにもかかわらず、この小説はとても面白いのだ。おそらく、この小説家だって、ここで書かれていることとほとんど無関係な生活をしているという点で、ぼくとあまりかわらないと思うのだが、それなのに、読んでいる間じゅう(一度しかお会いしたことのない)この作家の顔がずっと浮かんできてしまうくらい、隅々までこの作家でしかあり得ない小説になっているのだった。(この作家の、この前の長編もとんでもない小説だったのだが、それはまだ、題材の次元で、最低限、作家自身の記憶との繋がりがあるようなのだったが、この小説では、それとすら完全に切り離されているようだ。おそらく、「東京」という場所以外には、この作家とこの小説の題材とを結びつけるものは何もないんじゃないだろうか。)
●ズボンの尻のポケットに裸のまま入れておいたお札をまるごと落としてしまった。スーパーのレジに並んでいる時に気づいて、あわてて列から外れて、前のポケットの小銭分だけで買えるように、カゴの商品を戻した。戻しながら、通ってきた経路を探したが、落ちてなかった。去年の夏に大阪の万博記念公園で五千円札を落とした時と同じズボンで、このズボンの尻ポケットは、何故か動いているうちに中味がずり上がって出てきてしまう傾向があるので、それ以来ずっと、いつも注意していたのだったが。