●一昨日からの続き。「人間は考えヌ頭部である(からだは戦場だよ2018)」(やながせ倉庫・ビッカフェ)について。
●軟体生物ハンド(ラバーハンドイリュージョン)
https://twitter.com/kenrikodaka/status/956868020755775493
これも相当に気持ち悪かった。まず、この装置に手を突っ込んだ時点で、既にこのゴムの手がかなりの程度で「自分の手」だった。この装置の場合、ゴムの手と本来の自分の手とは、高さが多少ズレているだけで置かれた位置がほぼ同じだし、腕からの視覚的連続性も保たれているからだと思う。手首から先だけが壊死してしまったかのような感覚。
そして、本来の自分の手とゴムの手とに、同じ場所、同じタイミングで刺激を受けることで、「壊死してしまったかのような気持ちの悪い手」に触覚が通る。ここでほぼ完全に「自分の手」という感覚が得られる。この時、本来の手の方は指先によって触れられているが、ゴムの手の方は堅い金属製のカギによって触れられる。そして、関節や爪の先のような、堅いはずの部分を、カギの先でギュッと潰すように押される(本来の手の方は、指で強めに押されているだけ)。本当ならば、骨や爪の抵抗があり、かつ、痛みが伴うはずのことをされているのに、ゴムの手は、尖ったカギの先にぐにゃっと潰されることを抵抗なく受け入れており(視覚)、触覚的にも「弱い圧」を感じるだけなので、自分の身体(手)の素材が変わってしまったような、かなり強い違和感を覚える。
ただ、このゴムの手は自分で能動的に動かすことができない。つまり、触感はあるが運動感はない。そこで、ある特定の指を、持ち上げて、ストンと落とすという行為が(勿論、両方の「手」で同期して)行われる。これにより、能動性はなく受動的ではあるが、触感だけではなく、運動感も同期することが感じられて、より一層、このぐにゃぐにゃのゴムの手が、自分のものであるように感じられ、気持ち悪さが増す。
●自分の手と他人の手が混じりあう
https://twitter.com/kenrikodaka/status/931432366635065344
上のリンク先の写真にあるように、二人で組みになって、互いに相手の手の甲の指の部分をリズムを合せて擦り合う。この時、眼は瞑っている。すると、最初は、他人の手の指を擦っている感じだったのに、ある瞬間、感覚が切り替わって、自分で自分の手を擦っているような感覚になる。すごくたんじゅんなことだけど、この「切り替わり」の感覚はけっこうすごい。
カニゲシュタルト
https://twitter.com/kenrikodaka/status/954662448849498112
これまでのやつは、本来の手を隠したり、眼を瞑ったりして、自分の本来の身体を見えなくすることで、身体の所有感を移動させるというやり方だったのだけど、ここでは、自分の手が自分で見えていつつも、それがあたかも自分の手でないかのように感じられるという装置になっている。
上リンク先の動画では、カニのイラストからはみ出た(カニの足やハサミの部分になぞらえられた)自分の指をぐしゃぐしゅと動かしている。これだけのことで、自分が能動的に動かしているはずの指なのに、あたかもカニが自律的に動いているように感じられる、という装置だという。正直、ぼくは、これだけだと、いまひとつその感覚がよく分からなかった。しかし、これを下の画像のように、二人で向かい合ってすることによって、その感覚を強く感じることができた。
(以下の画像は、予告篇:からだは戦場だよ2018(小鷹研究室)(YouTube)の動画からスクショしたものです。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=4&v=Y4Dy7vhzrqE )



この時、向かい合った二人の腕は、下の図のように交錯している



この状態で、指をぐしゅぐしゅと動かすと、まず、指を動かしているという運動感はあるものの、自分が動かしているのがどの指なのかがよく分からなくなり、それに伴い、自分の目が見ている指の運動が、自分の能動性によって現れているものなのか、それとも、カニの側の自律性によって生まれているものなのかがよく分からなくなる。あたかも、カニが自律的に運動しているように見えるのだが、同時に、自分で自分の指を動かしているというか感覚もあるので、自分が指を動かしている感覚と、自分の指が動いているところを見ているという感覚が乖離して、自分の身体所有感がとても変なことになる。
おそらくここで重要なのは、自分の腕の左右がクロスしていることと、自分の腕と相手の腕ともクロスしているという、二重のクロスがあることだと思われる。それによって、自分の身体部分の位置関係の把握が混乱して、身体図式のゲシュタルトが崩壊しているのだろう。
●檻のなかのおっさん。



これも、カニゲシュタルトの応用で、とても単純な仕掛けなのだけど、びっくりするほど効果的で面白かった。単独のカニでは上手く感じられなかったものが、ぼくには、こちらですごく感じられた。
紙が二枚重ねられていて、前方が檻になっていて、その檻の向こう側におっさんの顔がある。ここでも、腕の左右をクロスさせて紙の両端を掴む。そして、指をわさわさと動かす。すると、自分で指を動かしているにもかかわらず、檻の向こうのおっさんが、鉄格子を掴んでゆすっているかのように感じられる。つまり、自分で動かしているはずの自分の指が、自分の身体所有感から切り離されて、おっさんの指であるかのように感じられる。
自分で能動的に動かしている、しかも、自分の目の前に見えている、自分の指の所有感が、向こう側の人の方に移行しているという感覚は、とても不思議ですごく面白かった。ここでも、左右の腕をクロスさせていること、そして、自分の指と「対面」していること、が大きいのではないかと思った。
幽体離脱という出来事において、反転と交錯ということが、とても大きなキーになるのではないかと思った。