●『獣になれない私たち』最終回。無理矢理に盛り上げるみたないこともなく、最後まで均整が崩れないきれいな形のドラマだった。また、何度も繰り返して観ると思う。
新垣結衣がさっさと会社を辞めたおかげで、結局、佐久間さん(近藤公園)は会社を辞めそびれてしまった。自分まで辞めてしまったら、会社は回らなくなってしまう、と。近藤公園は、なんだかんだ言って、新垣結衣のようには社長(山内圭哉)をすぱっとは見限ることができない。辞めるタイミングを逃した近藤公園は---結果としてということだが---山内圭哉とは腐れ縁があるということになるのだろう。
(このことを、新垣結衣が自分を殺さなかったおかげで、近藤公園は自分をある程度殺さざるを得なくなった、と言い換えることも出来る。)
新垣結衣にとって、山内圭哉よりも黒木華の方が近い存在であるように、近藤公園にとっては、黒木華より山内圭哉の方が近い存在であった。だから新垣結衣は会社を辞め、近藤公園は会社に残る(「結果」から遡行すればそう言える)。だがこれは、新垣結衣には山内圭哉を理解できないということではないし、近藤公園には黒木華を理解できないということでもない。これは理解の問題ではなく、関係のなかでの位置の問題だ。
(もし、近藤公園が先に会社を辞めていたとしたら、新垣結衣は辞めることが出来なかったかもしれないし、二人の位置は逆転していたかもしれない。)
(とはいえ、これは関係だけの問題ではない。近藤公園新垣結衣とは「別人」であるから、同じ位置に置かれたからといって同じ行動をするとは限らない。パースペクティブの一部が交換されるだけだ。新垣結衣は、近藤公園が先に会社を辞めていてもかまわず会社を辞めたかもしれない。)