午前六時前、まだ暗い。空は「 限りなく透明に近いブルー」。冷え込んでいる。まだ、人も車も姿の見えない道路を、チャリンコで、びゅーっ、っと疾走する。坂を下って、また、登る。カラカラカラというチェーンの音。冷たい乾燥した空気が、服を突き抜けて肌に刺さる。手がかじかむ。耳の奥がじんじん痛む。でも、すげー気持ちがいい。ほんの五分か十分のあいだに、夜から朝になった。静かだったのに、いつの間にか鳥が鳴いてた。
体育館の脇のアスファルトの上で、いつもべたっと横になって日向ぼっこをしている茶色い猫を、近頃見ないなと思っていたら、今日見た。草の中から妙に低くて重い、ニャ−という声が聞こえたので覗いてみると、茶色い猫が出てきた。うわっ、デカくなってる。体格も肉付きもかなり良くなって、やけに堂々とゆっくり歩いてくる。
最近では、野良猫に餌をやる人が多くて、そんな姿をよく見かける。だからこいつも、食料事情はかなり良いのだろう。初めて見たときには、まだほんとに小さく痩せていて、今にも消え入ってしまいそうな声でニャーニャー鳴きながら、いくらぼくが、食べるものなんか、何も持ってない、という仕種をしてみせても、すこし距離をおいておどおどと、どこまでも付いてきてしまような奴だったのに。たしかかなり寒い頃だったと思うから、まだ一年も経っていないはずなのに、こんなにも大きくなって、ずうずうしい声で鳴くようなふてぶてしい奴に成長したのだ。
こういうのを見ると、ぼくは自分自身の「停滞」というのをすごく感じてしまう。この10年くらいの停滞感はかなりのものだ。世界がめまぐるしく変化している90年代に生きているのに、ぼく自身は全く変化も移動もしていない、という感じが年々強くなっている。世界なんて大袈裟なことをいわなくても、まわりの人たちの生活環境の変化とか、随分見てる訳だし。あまりにまわりが流動的に動いていすぎるので、かえって自分の身動きがとれない、という感じか。
でも、停滞の時間、というのは、けっして単調でも退屈でもなくて、結構、「濃く」て「熱っぽい」時間だったりする。狂おしい、とさえ、言ってもいいかもしれない。
夕方、古本屋で、ラカン「エクリ?」、リルケ「 マルテの手記」、ゲーテ全集7「 親和力」、中古ビデオ、ティム・バートンバットマン」を購入する。
夜。レンタルしてきたビデオ、ジム・ジャームッシュイヤー・オブ・ザ・ホース」と、中原俊「 コキーユ」を見る。関係ないけど、中原俊が以前つくった「 櫻の園 」は、つみきみほ、が素晴らしかった。