六時起床。米をといで炊飯器へ。水はそれほど冷たくない。テレビをつける。お湯を沸かして流しで洗髪。天気予報、今日は一日晴れ、日中は暖かめ、とのこと。ヒゲを剃る。炊けた米をタッパーに。バイトのため、七時過ぎに部屋を出る。
きょうは日曜なので、朝の電車はガラガラ。どっか、と座って、ディスクマンビル・エヴァンスの「 ワルツ・フォー・デビィ 」。ビル・エヴァンスは、たまに思い出してふと聞いてみると、びっくりするくらい、いい。びっくりするくらい、というのは修辞的な表現ではなくて、音が流れ出したとたん、ほんとに、うわっ、と驚いた。何度も聞いてるのに。半分眠っていた頭が目覚める。でも、ぼくは、いつもこういうものばかり聞いているような人間ではないのだった。
山の中、崖崩れを防ぐためのものだろうと思われるコンクリートの壁に、一面の落書き。あんな所までわざわざ落書きしに行くのはさぞ大変だろう。電車の窓から良く見える、ということを計算の上でのことか。
そういえば、昨日寝る前に、ふと思い付いて聞いた、ジョン・ケージの「 プリペアドビアノのためのソナタとインターリュード 」もすごく良かった。(眠くなるかと思って聞いたのに・・・)このCDも何度も聞いているはずなのだけど、昨日初めて、ケージの音楽の良さ、というか、意味、がなんとなく理解できたような気がする。気がするだけか ? その結果、集中して聞いてしまい、寝不足。
80年代に、いろいろなインテリな(ニューアカな)人たちが、ケージについて発言していたけど、そんなのみんなウソじゃねーか、とか思ったりもした。初期のケージの、プリペアドピアノのための曲や、打楽器アンサンブルのための曲をもっと聞きたい !
勤務先の近所で、やたらとデカいレンズをくっつけたカメラを持ってうろついている、5、6人の中年の男女を見かける。女の人のもってるのはコンパクトカメラか。見るからにアヤシイ。この人たち、一体何してるのか。ぼくもたまにカメラやビデオを持って街をうろつくのだけど、傍目から見たら、やはりこんなにアヤシイのだろうか。それにしてもあのバカデカいレンズは何だ。望遠レンズのように長いだけではなく、円周がとにかく大きい。
今日も、午後になると、空は青いというより、薄く青白くなり、空全体に光が散らばって、白く輝いているような感じになる。レンガ敷きの道路を行く、親子連れの引いているベビーカーの車輪の、カラカラいう音がやけに響いている。
田島貴男がヴォーカルをやっていた頃のピチカートファイブの「 日曜日の印象 」という曲を、ふと思い出した。疲れ果てて、なにもかもが嫌になった、ありふれた男の、ありふれた日曜の午後。無為に過ごす一日。最後に自殺が仄めかされる。たしかこんな詞だった。<バスルームにカギをかけたままで/もう誰もぼくに会えない/これでさようなら/ヒゲを剃りおえた/ひどくありふれた男/ありふれた話/ありふれた日曜の午後>