木枯らしが吹いたせいで、朝から空がへんに輝いている。切れ切れの雲がぐんぐん動いて行く。ものの影がものすごくくっきりと出ている。小津のような色に、ラングのような影。高校生は期末テストの時期らしい。
モーニング娘。の「 LOVEマシーン 」を初めて通して全部聴いた。なるほど、こういう曲だったのか。(これってヴィーナス ? )モーニング娘。太陽とシスコムーンプッチモニ(しかし、すごいネーミング。ジャニーズの、嵐、だとか、TOKIO、だとかも相当なものだけど、これには負ける)など、つんく作曲、プロディースの曲を、ぼくはそれほど嫌いじゃない。おやじとホステスが一緒にカラオケで盛り上がるための曲、というか、おそらく今の日本のヒット曲に一番欠けている「 日本の歌謡曲 」って感じの下世話な俗っぽさを、つんくほどたっぷりと含ませた曲を書ける人は他にいないのではないか。
今の日本のヒットメーカーのなかで、風俗的な新しさと、歌謡曲的な下世話さを同時に出せる作曲家って、つんくと、宇田多ヒカルくらいなのではないだろうか。(誉め過ぎか・・・)
とはいうものの、ぼくはどうしても「 ASAYAN 」的なプロモーションのやり方は、許し難いものだと思ってしまう。あれはないと思う、マジで。まあ、でも、あれによって、80年代みたいな、フジテレビ=秋元康的な、あるいは電通総研的なイメージ先行のやり方が、完全に息の根を止められたということは、悪くは無いと思うが・・・。
たとえば、小室哲哉と初期のt r f との関係とか、奥田民生パフィーとの関係とか、浅倉大介TMRナントカとの関係とかだったら、勿論、ビジネス上のギヴ&テイクの(それとも上司と部下のような? )関係なのだろうけど、なにかそこに「 共犯 」関係のようなものが多少はみえるように思うのだけど、つんくモーニング娘との関係には、どうもそういう感じは全くみえてこない。なんか「 企画もの 」としてオーディションによって集められた「 使え 」はするけれど、他にいくらでも代りはいる「 駒 」としてしか扱っていない、という感じを強く持ってしまう。(そういえば、また一人辞めるんですよね。)そうでなければ、「 ASAYAN 」的なプロモーションなんてプロデューサーとして許せない、と当然思うはずではないのか。つんくは一体どこまで本気でモーニング娘の女の子たちに対して責任を持とうとしているのか、がイマイチ良くみえてこない。そういうやり方でいいの ? 、って、なんか、すごく青いことを言ってるのだろうか。
それにしても、つんく的な下品さは今やとても貴重なものになってしまった。「 LOVEマシーン 」なんて、誰でも思いつきそうだけど、実際にやれるのは、つんくしかいなかったんでしょう。あそこまでやれるのは・・・。
(下世話さ、という意味では郷ひろみも相当なものだと思うけど、郷ひろみでは「 新しさ 」は全然ないのだ。いくら、全米最新のヒット曲をカヴァーしても、「 ア・チ・チ 」じゃあ、「 なぜにぃー(ナタリー) 」とまったく変わりはない。)