今日は、小津の誕生日にして命日。小津は1963年の今日、60歳の誕生日に亡くなったのだった。いい天気。
黒沢清大いなる幻影 」について。青山真治がパンフレットに書いている、鋭い文章を引用する。<死語辞典でも調べてほしいが、DINKSという言葉がある。Double Income-No Kids、つまり共働きで子供を作らず、ふたりで楽しく暮らそう、とする夫婦またはカップルを指す言葉だ。やがて富国強兵をめざす政府の方針で抹殺を余儀なくされたが、当時の若者たちにとってはひとつの理想像だった。この映画を見て私は真先にこの言葉を思い出し、胸を熱くしたのだった。これこそが80年代イデオロギーを最も体現する言葉だったかもしれない。当時は若者の消極性・自己中心性の現れくらいにしか思われなかったこの言葉こそ、実は我々を取り囲み、個を蝕む社会のシステムに抗う極めて有効な手段だったのではないか。黒沢清はこのことに気づき、しかもそれを近未来に設定した物語において言及することによって、ノスタルジーとは無縁のイデオロギーとしてドカンと視覚化する。そう、80年代など放っておけばノスタルジーにしかならない脆弱な時代である。だか、その「 弱さ 」は武器になりえる、と黒沢は言う。蝕まれた我々の存在は兵士となるにはあまりに弱く、王を讃え国を讃える気力もない。夫婦が戦場へ送りだす子供を作ることもないだろう。かような80年代の「 弱さ 」を抽出し、とかく物騒な近未来(つまり現在)に再生させ、オウム真理教の若きエリートたちが結局自認することのできなかったこの「 弱さ 」を身に纏った希薄な存在がシステムの野望から個を奪い返す・・・それがこの映画で黒沢清が語らんとするサリン10年後の物語である。>
こんな文もあるぞ。<何しろすがすがしい。そして小春日和のひだまりのような暖かさがある。柔らかな光線の中に消え入ってしまうような感覚。それは愛だと本気で言ってしまいたい誘惑にかられる。しかし君たちは知らないだろうが、これが80年代なんだ。ラヴ・ジェネレーション。・・・本当だろうか。>
この文章は、涙モノ。あの時代の人間としては。
午前中よく晴れていたのに、午後から雲が出てきた。韓国シャーマンのCD、なかなかのもの。ただ、韓国式の発声は、ぼくにはどうしても苦手。
夕方から夜にかけて、アトリエで制作。あせるな、あせるな。今日は寒い、寒い。犬も寒そう。帰ってからビデオで「 ニンゲン合格 」を見直す。「 大いなる幻影 」を見た後で改めて見ると、さらに凄みが増してみえる。