アトリエの家賃がすこし溜まっていたので、大家さんのところへ支払いに行く。(銀行振り込みじゃないんです。)大家のおばあさん、来年で88才になられるそうだ。数カ月ぶりだけど、相変わらずお元気そうでなによりです。すいません、細かいの無いんですけど、と言うと、部屋のある場所から(防犯上、具体的には書きません)、隠してあったお金の入ったバックを出してきてお釣をくれた。でも、あんまりそういうの人に見せないほうがいいんじゃないかなあ、と思う。気をつけて下さいよ、大家さん。
カン・テイファンが来年の3月に来日するらしい。でも、こういう人のライブとかの細かい情報は、どうやって調べたら良いのだろうか。ぼくには、パフォーマンス的なものに対するつよい不信感のようなものがどうしてもあるので、普段ライブなんかほとんど観ないから、こういう時困ってしまう。「 ぴあ 」とか、そういうセンでも、捜せるのだろうか。
この日記に、何度かカン・テイファンという名前が出てきたけど、知らない人は全く知らないと思うので、ぼくがなんとなく調べて分かったことだけ、簡単に書いておきます。
カン・テイファンは、韓国のフリージャズ/フリーミュージックの第一世代で、パーカッションのキム・デファンなどと、韓国で最初のフリージャズトリオを結成した人で、サックス奏者。最初は、欧米的なフリーミュージックを指向してたらしいのだけど、キム・ソクチュル一族(釜山のシャーマン)などのシャーマン音楽に触れ、取材を重ねるうちに、現在のようなスタイル(すごいこと)になった。
現在のようなスタイルになった。って言っても、聴いた事のない人にはさっぱり分らないだろうけど、ぼくが知っているのはこれだけだし、聴いたのも、たった一枚のCDだけなんで、誰か何か知ってたら教えて下さい、って感じですが・・・。
今日は本当は、26日に放送されたドライヤーの「 奇跡 」の凄さについて書くつもりで、いろいろとメモとかもしてあったのだけど、それは破棄して、少し別のことを書きます。
ドライヤーの「 奇跡 」の放送を観ながら、ぼくの頭にずっとあったのは、黒沢清の「 ニンゲン合格 」という映画のことだった。ぼくには「 ニンゲン合格 」という映画が、「 奇跡 」を意識して、その物語の逆へ逆へ、という感じでつくられたのではないか、と思えてならなかった。(公式的には、ペキンパーの「 砂漠の流れ者 」を下敷きにした、ということになっているし、多分、それは本当なんだろうけど)「 奇跡 」が、死者の復活によって美しく終わるのに対して、「 ニンゲン合格 」は、死者の復活によって始まる、その死者が再び死ぬまでの、短い生についての映画だし、「 奇跡 」の死者が、家族の祝福や夫の愛のなかで復活するのに対して、「 ニンゲン合格 」の死者が復活した時に待っているのは、バラバラに解体した家族と、廃虚のような家と、アヤシイ産廃棄業者だったりする。「 奇跡 」において、家族の信頼や対立するものとの和解までをもたらした宗教(というより信仰といった方がいいけど)は、「 ニンゲン合格 」においては、陳腐なものとして貶められ、家族の解体の一因にもなっている。「 奇跡 」が、完璧なまでに緊張した時間やイメージの持続によって出来ているのに対して、「 ニンゲン合格 」は、意図的に時間を弛緩させたようなショットの連続によって構築されている。完璧に充実した時間・空間・イメージを持つ「 奇跡 」と、スカスカでガランとした「 ニンゲン合格 」。
現代の観客にとって、「 奇跡 」の素晴らしさを理解するということは、同時に「 ニンゲン合格 」のリアリティをつよく感じる、ということでなければならないし、逆に、「 ニンゲン合格 」に対してシンパシーを感じるのなら、「 奇跡 」の素晴らしさを理解していなければいけないのじゃないだろうか。どちらか片方だけ、というのでは、何かとても嘘っぽい感じがしてしまうのだけれど・・・。これは両方同時に感じてなきゃ駄目なんだ。だからこそ今日、「 奇跡 」の素晴らしさについて書くことをやめた、という訳なんだけど。
それでも「 ニンゲン合格 」においてはまだ、復活から死まで、という粋づけられた時間のなかで、「 ぼくは本当に生きたの 」なんていうセリフが聞けるくらいには、ドラマティックであるのだけど、今公開されている、「 大いなる幻影 」では、始めから死んだようにしか生きて行く事の出来ない人物が描かれている訳で、「 ニンゲン合格 」よりも、もっともっと凄い事になっちゃってる。「 キュア 」の役所広司や「 蜘蛛の瞳 」の哀川翔が、様々な試練の末に、絶対的な孤独と引き換えに得る事の出来た、ある"高み"としての空っぽさ、ではなくて、もう始めから否応無しに空っぽでしかない、訳だから。
別の言い方をすれば、黒沢清は「 大いなる幻影 」で初めて、ごく普通のカップルをごく普通に描く事に成功した、といえるのではないか。ごく普通のカップルをごく普通に描くと、あんなにも異様な映画になってしまうのだった。
昨日書いた高円寺のビデオ屋に、かなり無理をして時間をつくって行って、今日会員になってきた。それで、5本も借りてきてしまった。年末年始は忙しくて、あまり観る時間がつくれないので、今日これから観ます。明日の朝は、早いのだけど・・・。
小津安二郎「 小早川家の春 」、大島渚「 東京戦争戦後秘話 」、神代辰己「 一条さゆり・濡れた欲情 」、ハワード・ホークス「 モンキー・ビジネス 」、フィリップ・ガレル「 自由、夜 」。今日は最初だから、ちょっと軽め( ! ! )のラインナップ。