花粉症で鼻がつまっていて、寝るとき口をあけっぱなしで息をしているので、目が覚めると口のなかから咽まで、カラカラ。水を飲んでも、カラカラなままなのだけど、林檎を齧るとだ液が分泌されて、潤う。
枯れ葉やホコリや砂や花粉を舞い上げて、風が吹きあれる。花粉混じりのざらざらした風は、目や鼻や咽の粘膜を、紙やすりで擦るような感じで、攻撃的に通り過ぎる。
寝不足と花粉症のせいで、頭がボーッとして、集中力が全くない。
公園では、アマチュア・カメラマンが何人もいて、梅の花をカメラに納めている。ごついレンズ。高そうなカメラ。しかし、何故、みんな梅しか撮らないのか。ここにはもっと面白い表情をもった植物が沢山あるのに。まあ、たんに季語みたいなもので、お約束ということなんだろうけど。結局、彼らは『梅』という言葉に反応し、『梅』という意味(梅、という言葉にまつわる、様々なコノテーション)しか見ようとしていないのだろう。少なくとも、ここにある、この場の有り様を何も見ようとしていない。
冬枯れで枝だけだった茶色の木に、きみどりいろの丸い新芽が、じんましんみたいにびっしりと出ていた。
明るい空と、まぶしいくらいの地面の照り返し。鉄製のゴミ箱のゆがみ。
TVで『HANA-BI』をやっていた。これは公開時、いそいそと観にいったのだけど、どうしても納得がいかなかった。というより、許しがたい。ぼくは基本的に、北野武の映画は好きなのだけど、これは駄目。単純に出来が悪いし、この映画にあるのは、底の浅いキタノ美学だけで、全く何の内容もない。空っぽ。空っぽなのに、空っぽであることに耐えようとする覚悟もなく、質の低いくだらない物語や美学を安易に招きよせてしまう。たけしの描いた、なんて言ったらいいか分らない絵を見せられても、困ってしまう。(だから恐くて、まだ『菊次郎の夏』は観ていない)堂々としたリズム(堂々としてさえいればいいのか ! )と、何でもないものを意味ありげに見せるところとかは、まあ、さすがだと思うけど。
近所のレンタルビデオ店に、ロブ・グリエの『囚われの美女』が入っていたので、借りてくる。4月の終わりには、青山真治の『シェーディーグローブ』がレンタル開始されるそうだ。見逃してしまったので、楽しみ。