青山真治の『シェイディー・グローブ』/再び

『シェイディー・グローブ』は、もしかしたら、『ユリイカ』や『月の砂漠』へと発展してゆくことによって捨てられてしまった様々な可能性に満ちているのではないだろうか、とも思えたのだった。例えば、役所広司のいない『ユリイカ』の可能性とか、田舎の家へと収斂することのない『月の砂漠』の可能性とか。)それで、何とかかんとか『シェイディー・グローブ』について書いた訳だけど(昨日の日記)、これではぼくがこの映画から受けた刺激のうちのほんの少ししか言葉に出来ていないのだった。