いしだ壱成/石田純一/浅田彰

いしだ壱成の逮捕に関する、石田純一の記者会見をたまたま目にした。一貫してチャラチャラした、いいかげんでだらしない男でありつづけた「愛と平成の色男」も、自分の不祥事ならともかく、息子に関するものであるかぎり、「立派な父親」であり「大人の男」として振る舞うことを強いられてしまう。これが関係が強いる権力というものなのだろう。ここでは「大麻は文化だ」とか「大麻なんて大した問題じゃないし、逮捕なんていつでも出来るのたから、せめて公演が終わるまで待ってくれたっていいのに」(そうすれば関係者の「被害」は最小限ですむ。)とかいう、ごくまっとうな正論を言うことすら許されない。さらに、ここでは石田氏自身も、「立派な父親」を演じることが出来て満足げだという気配すら漂わせている。レポーターや視聴者は、石田氏が意外にもきちんとした「大人の男」であることに満足するかもしれない。でも、それって、どうなの。《もとから脆弱だったんだけど、脆弱な上に自信が持てなくなったちゃったんじゃないかな。だって、「弱っちくたっていいじゃん」っていうふうに、あまり思わなくなってきてるもんね。(岡崎京子)》《以前からあり、今後もおそらくあり続けるだろうというただそれだけの理由で、我々に白か黒かの選択を迫り、同時に白を黒と言いくるめもするある作用、それが私がイメージする「政治」なるものにかなり近いような気がする。(黒沢清)》注意すること、そして、思考すること。だらしなく「享楽」しつづけること。ENJOY YOUR SYMPTOM!