笠井潔『群集の悪魔』/風俗/革命/ラカン/ジジェク(だらだらつづく話)

古本屋でたまたま見つけた笠井潔『群集の悪魔』を読んだ。ぼくは笠井氏の書くものは批評にしても小説にしても、基本的に興味がないのだが、このミステリー小説は、1848年のパリを舞台にしていて、探偵があのオーギュスト・デュパンで、ワトソン役とも言える焦点人物がボードレールだったりするし、その他、クールベやジョルジョ・サンド、バルザックや、なんとド・モルニーとかマルクスとかまで登場するみたいだし、巻末の引用・参考文献のリストを眺めると、これは何となく、二月革命からルイ・ナポレオンのクーデターくらいまでの時期のパリの姿を、パッサージュなどの風俗的な記述も絡めつつ描いたものなのだろうとアタリをつけ、それも笠井氏のことだから、歴史的な事柄をたんにミステリーの背景として使用するというのではなく、どちらかというと歴史的な記述の方が主になるのだろう、と思って読んでみたら、ほとんどその通りだった。なにしろ美術批評家としてのボードレール(詩人としてはあまりよく知らない)やリアリズムの代表的な画家クールベ(しかしこの小説のなかでは、たんに腕っぷしの強いアンちゃんという程度のキャラクターに過ぎないのだった)、探偵小説を生み出したポー、それにド・モルニーにルイ・ナポレオンときたら、表象=代行機能の失調(象徴形式の機能不全)という「近代的な問題」の基本でもある訳で、これはお勉強として読んでおいてもいいかなあ、と思ったのだった。

実際、読んでみると、ミステリーとしては貧弱だと思うし、同じく風俗の描写なんかにしても、小説の「言葉」としてはやはり貧弱だと言わざるを得ない。それに、革命や詩作にかんする記述などには、かなりうんざりさせられるところが多い。しかしその分、歴史的な記述に関しては予想以上にがっしりしっかりしていて、お勉強としては最適な本だと言える。パッサージュ成立の起源、下水道設備などいわゆるインフラの状態、当時のパリ市民の生活、ブルジョアや労働者の生活環境や生活習慣から匂いの好みの変化まで、そして新聞という新しいメディアの出現、新しいタイプの「個」である「群集」の成立、パリという都市の地理的な配置等々、風俗的な背景をしっかりと記述しつつ、貧困の廃絶を求める労働者たちと、共和制を求めるブルジョアたちが手をとることで奇跡的に成立した二月革命と、その奇蹟が、本来立場のことなる労働者とブルジョアの亀裂の深まりや、反動的な勢力の駘蕩によって、多くの革命的労働者の決死の努力にも関わらずズルズルと崩れてゆき、それが最悪の帰結を迎えてしまうまでの、様様な政治的な出来事の描出はとても具体的で見事なもので、興味深い(色んな意味で勉強になります。)。そして、一方にパッサージュに集ってくる具体的な階級や固有性に基づかない無名の人々である「群集」という新たな出来事の出来があり、もう一方で二月革命後の混乱した政治状況(「革命」の致命的敗北)という事態によって、ルイ・ナポレオンが登場し得る土壌が整備されつつあったのだ、ということになる。

笠井氏の野心としては、このミステリーに描かれている「事件=犯罪」によって、このような背景をもつこの時代そのものが凝縮した形で表現されている、というように、つまり、様々な資料をもとにしたある時代の具体的記述とは別に、犯罪=詩のようなものとしてその時代のエッセンスが凝縮して形象化されたものを作品のなかに埋め込み、さらにその犯罪=詩を探偵=批評家が読み解く、という形にして、そこにボードレール=詩と、ポー=デュパン=探偵小説(あるいは批評)という文学形式上の対決のようなものまで示したかったのだろうと思うのだが、そこまでは上手くいっているとは思えないのだった。