トムの真夏の死

アトリエの隣の犬はいつの間にかいなくなっていて、まあ、多分死んでしまったのだろうと思うけど、隣のオバさんに、トムは死んじゃったんですか、とはなかなか聞きづらくて(オバさんも特に何も言わないし)、いつも通りの挨拶と気候の話なんかをしたただけだった。そう言えばぼくがまだ小さい頃に家で飼っていたペルという犬も、しばらく調子が悪くて、ある日幼稚園から帰ったらいなくなっていた。親は元気になるために病院へやった、とか何とか言っていたけど、それが嘘だということは何故だかすぐに分かった。当時4、5才だったはずのぼくが「死」というものをどのように捉えていたのかは今となっては分らないけど、何か「取り返しのつかない事」が起こったのだ、ということは理解していたように思う。ぼくはペルととても仲が良かったらしいのだけど、その事は両親や祖父母からの話で知っているだけで、ぼく自身はほとんどおぼろげにしか憶えていない。でも、その時の「悲しさ」の記憶は、幼稚園から帰って来た時の家の中の情景とセットになって、それだけ切り貼りしたようにして記憶している。でも、その「悲しさ」は実は、親(大人)にもどうすることも出来ない「取り返しのつかない事」がこの世の中にはあるのだという事実を突き付けられたことからくる、突き放されたような、寄る辺ない不安感のようなものが多分に含まれていたのだろうと推測する。だからそれは、ペルの死に対する「悲しさ」であると同時に、自分がこれから生きてゆくことに対する「恐怖」の感情だったのかもしれない。