01/10/8(月)

アメリカ(+イギリス)によるアフガニスタンへの空爆が開始された。そんなの時間の問題だって分かってたじゃん、と言われても、そうは冷静ではいられない。ブッシュによる、子供の手紙なんかを引用したおぞましいスピーチなんかを聞かせられるもんだから、なおさらだ。あらためて繰り返すことになるけど、ぼくはアメリカとその同盟国による武力行使に反対する。「テロリズムに対して闘う」という一見もっともらしい大義名分のもとに、アメリカの中東政策やイスラエルの問題など、様々な事柄が棚上げ(隠蔽)されたままで、いつの間にか国際的な合意が取り付けられたことになってしまうというのは、一体どういうことだ。ましてやそれを「無条件に支持する」なんていう言葉を簡単に発してしまうような人物を、我々は決して支持してはならないたろう。

こんなことをぼくが言っても何にもならないのだが、アフガニスタンとかパキスタンとかの、決してテロを支持などしていないような人たちにしても、何かあるとすぐに武力や経済力ておどしをかけてくるようなアメリカに良い感情を持っているはずはない訳で、そのような反米感情の強い所から、テロリストを差し出させようとしたってそうは簡単にゆくはずがない(宗教上の「建て前」とかもあるだろうし)のは分かっているのだから、そこを何とか粘り強く様々な手を尽して交渉するのが政治家の仕事ではないのか。タリバンにしたって決して一枚岩ではないはずで、だからそこらへんを上手くつついて粘っこく交渉すれば、戦争抜きにだってテロリストをあぶり出せる可能性はあるはずではないのか。たとえそれが困難だとしても、それをするのが「政治家」だろう。今回のアメリカの攻撃は、明らかに多くのイスラム教徒の反感をかっただろうし、それこそがテロリストの思うつぼと言うもので、下手をすると反米感情を持つ多くの人たちの間でビン・ラディンが英雄的な人物に祭り上げられてしまいかねない、そうなるとこの戦争はイスラムアメリカ(西欧+日本)という形でもっと大きく...。(止めておく。ぼくにはこの戦争の成りゆきを予想する気はないし、その能力もないのだ。)

テロという行為は許されるものではないと思うが、しかしそれは、テロリストが存在してしまうことや、彼らが主張することに、全く意味がない、ということとは違う。テロが行われてしまう必然性、と言うかテロリストがテロという行為によってでも主張=表現しなければならなかったこと、に耳を傾け、それについて考えるということは、決してテロを容認することとは違うのだ。むしろ、もし、テロをなくそうとするのなら、そのことは不可欠であるだろう。彼らを、たんに狂信的な人たちだとか、人類のなかに何%かは存在してしまう「アタマのおかしな連中」だとして、それを「撲滅」してしまえば事は済む(正義は行われ、自分たちの生活は守られる)と考えるのは、あまりにも自分勝手というものだ。テロを産み出してしまうような「現実」が変わらない限り、何人のテロリストを殺しても、また新たなテロリストが生れてくるだけだろう。しかし、現実の様々な矛盾がそんなに簡単に解決するはずはないのだから、(テロの危険を最小限に押さえるために)当面出来ることは、様々に浮上してくる問題や矛盾に対して、粘り強く丁寧に対応し折衝を重ねるしかないだろう。勿論、そのような努力は必ずしも実をむすぶとは限らず、往々にして悲劇的な結果に終わるだろう。それでも、「戦争」という派手なキャンペーンで一気に何とかしよう、として、泥沼にハマる、というよりははるかにマシなのではないか。

●今回の空爆が本当にタリバンの軍事施設に限ったものだったとしても、少なくともそのまわりに住んでいる人々は避難せざるを得ないだろうから、彼らは日常の生活と住居とをそっくり奪われたことになる。その上、恐怖や不安とともに過ごさなければならなくなる。たんに死者が出ない、とか、難民対策をちゃんとやる、とか、食料や医療物資を投下した、とか、そんなことで、これらに対する免罪符にはならないだろう。