文房堂ギャラリーで『流れとよどみ』(富田瑞穂・中川絵梨・馬場健太郎・堀由樹子)

●昨日の日記に書いた『流れとよどみ』展のオープニングでの挨拶で、企画者である批評家の早見さんは、「最近流行りの、村上隆奈良美智みたいな、《異化効果》によって成立するような作品とは違った、もっとオーソドックスな意味でのペインティングの作家を集めた」みたいなことを言っていたのだけど、村上氏や奈良氏の作品を、「異化効果」という言葉でしか説明できないところが、早見さんのようなフォーマリズム系の批評家の限界なのかなあ、と、思ってしまう。それならまだ、吉本隆明が奈良氏について、「直喩しか使わない詩人」になぞらえている方が、事態を正確に捉えていると言えるのではないだろうか。(とは言っても吉本氏は、80年代に流行ったニューペインティングに対してもほとんど同じようなことを言っていて、だから吉本氏は、ニューペインティングと現在のフィギュラティブな絵画の決定的な差異は見えてはいないのだろう。まあそれを吉本氏に分かれと言う方が無理なのだろうが。)早見さんのような方には、せめて『不過視なものの世界』のに掲載されている東浩紀村上隆の対談くらいは読んで、「敵」についてもうすこし勉強してい頂きたい、と思うのだ。今回の展覧会のテキストにしたって、大森荘蔵宮川淳を懐かしそうに引用しているだけでは、展示している作家の作品までもが、何か古くさい懐古的なものに見えてしまいかねないのだから。早見さんには、まだまだがんばってみらわないと困るし(ぼくは大学の頃、図書館で70年代始めから80年代中盤くらいまでの『美術手帖』や『みずえ』などをかなり大量に読んでいるので、早見さんの当時の活躍は知っているつもりだ。)、それに、もうすこし真剣に、人を説得するということを考えてテキストを書いてほしいとも思うのだ。