2002/01/01

●昨年末に松浦寿輝の小説を読むために買った「群像」1月号をパラパラ眺めていて気付いたのだが、金井美恵子の連載小説『噂の娘』が載っていない。と言うことは、あの小説は完結したのだろうか。決して頻繁にチェックしていた訳ではないけど、年に何度かは興味深い記事につられて「群像」を購入することがあり、その時は必ずその本のあまり目立たない場所に数ページづつ掲載されている『噂の娘』に目を通して、この感じで小説がずっと長くつづいてゆくとしたら、物凄いことになるだろうなあ、と思っていたので、完結して、一冊の本として繋がったものを読めるのはとても楽しみだ。きっと凄いことになっているはずだと思うのだ。
●と、言うことで、『柔らかい土をふんで』から、とても好きな『水の色』をじっくりと読みかえしてみた。講談社から発売された単行本でではなく、筑摩書房の『ルプレザンタシオン』で。(小さな版の本に大きめの文字で印刷されたものよりも、大きな版の本にち小さめの文字がズラーッと並んでいる状態で読みたかったから。)この小説は、独立した短編として読む限りでは少しも難解なところなどなく、1人の話者の2つの場面の記憶(子供の頃の、「じょろう」の「みなげ」を目撃した時とその周辺の記憶と、成長して、彼女の「白く極く薄い麻のローン地に小さな黄色い花」がプリントされている、ファスナーが脇についていてとても脱がしにくいワンピースのサマードレスを脱がせようとしている、つまり性行為に至る前のとてももどかしくも官能的な手続きのシーンの記憶)が粒だつような濃厚な描写で交互に示され、最後にそれら2つの場面とは異なった、恐らくもう少し歳をとったであろう話者の登場する第3の場面で締めくくられる、という構成になっている。(場面が変わる時は律儀に段落が変わっているので、場面転換を読み間違うこともない。)ただ、全体の構成としてはシンプルだとしても、個々の描写はとても過激で複雑に組み立てられていて、例えば冒頭から、古びた桐の箪笥やガラス容器のなかの砂糖、重く垂れ下がったカーテンなどのある部屋の描写かと思って読み進めていた言葉たちが、実は、「みなげ」を一緒に見た女の子のソックスが落ちないようにそれを留める「靴下留」の色を描写する言葉だったことがしばらくしてから判明する、といった具合なのだ。ここでは、たんに靴下留の色を描写するにはあまりに過剰な言葉が費やされることで、それがフェティシズム的な対象として際立つのではなくて、むしろ靴下留という「物」が、膨大な言葉の震えへとバラけてゆくという感じなのだ。つまりこの小説を構成する沢山の言葉たちは、何かしらの特定のシーンを組み立てるために費やされているのではなく、粒子状になった粒としての言葉が、粒立ちながらもウネウネとつづくことで、それがある時にはハッとするようなイメージを結んだりもするが、それはすぐにバラけて、拡散してゆき、また別のイメージを召喚したり、しないままだったりする、という訳なのだ。そして、この素晴らしくももどかしい小説は、今読んでいる言葉=描写が一体どのようなイメージとして像を結ぶのか判然としないもどかしさのまま言葉の表面に頬ずりするように触れてゆくうちに、人が衣服を纏うという感触、肌と布が擦れあう甘美な感触(ザラザラしたり、チクチクしたり、サラサラだったり)、素肌と布が触れたり、その間に隙間が出来たり、あるいは愛する人の纏う布を引き剥がす時のもどかしさや手触り、などといった感覚が読む物を貫いてゆくのだ