●1日じゅう部屋にいてチマチマと何かやってた。どれも既に観たものばかりだけど、ラウル・ルイス『見出された時』、ゴダール『東風』、ルノアール『トニ』をビデオで観る。『見出された時』は、去年公開さた映画のなかではかなり重要な作品だと思うのだけど、あまり話題にされていないような気がするのは、たんに観ている人が少ない、ということなのだろうか。この映画の過剰なまでの様々な仕掛けや複雑さは、その話法の複雑さそのものが目的な訳ではなく、個々の場面や人物の、ざわめきや表情や仕種や佇まいなどを、物語や時間の「流れ」のなかに埋没させずに、ひとつひとつの表情を粒立たせ際立たせるために必要とされているものなのだと思うのだが、そこらへんのことを捉えられないと、たんに複雑さのための複雑さ、話法のための話法を追求しているようなものと一緒にされてしまうのだろう。しかし、とは言っても、ルノアールやゴダールの大いなる単純さ、あっけにとられてしまうほどのシンプルさのなかの豊かさを見せつけられると、やはりここまでの大掛かりな仕掛けは、ちょっと重たすぎるのではないかという気がしないではないが。