02/01/16

日比谷シャンテ・シネ3で、アモス・ギタイの『キプールの記憶』。この映画が驚くべきものであるのは、それを構成するショットたちに流れている時間が、ただ「物語」に奉仕している訳ではないというだけでなく、「映画」にも奉仕していない、というところにあるのではないだろうか。言うまでもないことだが、映画においてはワンシーン、ワンショットの長廻しのショットであっても、それは「現実」の時間をそのまま写し取っている訳ではない。そこには当然「映画的」な時間の伸縮がある。むしろ切れ目のないひと繋がりのショットであるからこそ、そこに映画的に圧縮されたり引き延ばされたりした「時間」が濃淡のように演出されて配置され、そこに映画独自の濃密な時間の体験があらわれる。しかし、『キプールの記憶』における長く切れ目なく持続するショットは、そのような映画的な幻惑する時間を産み出しはしない。確かに、冒頭近くにみられる、自動車のフロントガラス越しに見られる戦場のショットなどは、いかにも映画的と言うか、シネフィルを喜ばせるに充分な素晴らしいショットと言えるだろう。しかし、足元もおぼつかないような泥のなかで、泥にまみれながら負傷兵を運ぼうとする兵士たちを、彼らの行動を、やや離れた位置から望遠ぎみのレンズで捉えているショットや、戦車のキャタピラの跡が縦横無尽にはしっているその沼地を、ヘリコプターからの俯瞰で延々と捉えているショット、終幕近くの兵士たちが担ぎ込まれた恐ろしく混乱している野戦病院で医師が患者たちに語りかけてゆくショットなどでは、映画的に緊密に制御され構成されているような時間とは別種の、ただつかみどころのないままに流れてゆく時間が現れているように思う。この、即物的に投げ出されてしまっているような時間の感覚に近いものをあえて探すとしたら、そこにはソクーロフという名前が浮かびあがってくるのではないだろうか。勿論、ソクーロフとギタイとでは映画全体の構成の仕方がまるで違う。一方に戦場における混沌とした、全体的な状況など全く掴めず右も左も分らないままに、ただひたすら負傷し兵士を運搬するための苛酷な運動(状況も分らないままひたすら続けられる行為は、ほとんど抽象的な「運動」に近づいてゆく)に従事してゆく兵士たちの姿と、そのような昼の混沌とした喧噪がウソのような、本当に戦争が行われているのか分らなくなってしまう程静かな夜の兵舎での時間が、対比的に交互に反復して示される(ギタイの映画は、いつも弁証法的な運動によって出来ている)ことで、徐々にに時間の感覚が磨耗して、そこに心身ともに蓄積される疲労なども加わって、夢なのか現実なのかも分らない、一体いつから始まっていつ終わるのか、終りなどないのではないか、と思わせるような永遠に続いてしまうかのように浮遊したつかみどころのない時間の感覚があらわれてくる、というギタイの『キプールの記憶』は、つかみどころのない気味の悪い時間が、つかみどころのないままにでろでろっとどこまでも拡がってゆき、全てを包み込んでしまうようなソクーロフの例えば『精神の声』とはまるで違うのだけど、ひとつひとつのショットが内包している時間、時間の即物性、散文性のような部分では共通した感覚があるように思える。『キプールの記憶』が示しているのは、兵士たちのドラマではないし、戦場の臨場感を体感させることでも勿論なくて、そこではただ負傷兵を運搬するという行動が、行動の段取りが、ヘリコプターで乗り付け、負傷した兵士たちに駆け寄り、診察し、ほう帯を巻き、気道を確保し、重傷の者を選り分けて担架に乗せ、それをヘリコプターへ運び込む、という行動だけが、沼地にはまり込み、負傷兵を抱えたまま身動きも出来なくなり、泥まみれになりながらもがいているというその状況だけが、彼らが降り立った場所が何処で、一体そこがどのような状態であるかなどは一切分らないままに示されてゆくばかりなのだ。(新聞を読んでみても、そこには「緊急事態のために炭酸水の供給を制限した」とか、そんなことしか書いてないのたった。)そこにあるのは、慢性化した恐怖と、ひたすら蓄積されてゆく疲労と、どこまでも続いてゆくような磨耗した時間の感覚ばかりなのだ。2人の主人公たちがいつの間にか迷い込むようにして入り込んでしまったそのような時間は、彼らの乗ったヘリコプターが、どこからどのようにして飛んできたのか全く分らないミサイルの攻撃によって、何の前触れもなく唐突に中断させられるまで、まるで永遠のようにつづいてゆくのだ。そこに至る経緯も、現在の状況も、行動の成果も、未来に対する展望も示されないままに、ひたすら即物的な時間のなかでの具体的な行動ばかりが示される時、つまり時間が過去へも未来へものびてゆくことが許されずに常に緊急事態によって切断され、純粋に「今・ここ」だけに孤立させられる時、生はただひたすら抽象的な運動に近づいてゆき、ただ疲労ばかりが蓄積されてゆくのだった。