●ここ何年かつくっていた作品とは、ちょっと違った制作システムの作品をつくりはじめる。とりあえず100?×80?くらいのサイズの連作として。いきなり違うことを始めたという訳ではなくて、かなり前からドローイングで試したり、去年の終りくらいからはタブローでも一部取り入れていたようなことを、思い切って押し進めてみた、という感じだ。(VOCA展に出品する作品は、ここ3、4年やってきたことの集大成という感じであるとともに、新しい展開への予兆を含んだものになっていると思う。)まあ、新しい展開なんつっても、ぼくのやっているのはごくごくオーソソドックスな西洋近代絵画の流れのなかにあるものであって、パッと見て目新しいことなど何もないのだけど。ここ3、4年やってきたことは、様々なニュアンスを断ち切って暴力的に単純化して言えば、絵画がそれ自体物質であることと、それ自体とは別の何か(イメージ)をあらわす物であることの、どちらでもあり、どちらでもないと言うような危うい中間地帯で作品が成り立つようなもの、触覚的につくられたものが、視覚的な「像」としてたちあがる時にひき起こされる、矛盾やきしみが作品の「意味」となるようなものだったと思っているのだが、それを「ひとつの作品」として成立させていたのは、空間の「触覚的な連続性」だったように思う。新しい展開の作品では、作品をとりあえず「ひとつのもの」として統一させる原理としての「触覚的な連続性」に、今までほどに頼ってはいない、というこころが違うと言えるのかもしれない。一見、視覚的な制御が優位になったように見えるかもしれないけど、むしろ視覚性と触覚性との連続性と非連続性、空間の連続性と非連続性が、今まで以上に複雑に交錯し、矛盾を孕んだ緊張状態に置かれる、のだと思う。とは言っても、このような原理的なものよりも、絵画としての快楽のようなものの方に、より多く引き摺られてしまうというのが、画家としてのぼくの「体質」ではあるのだが。