03/12/18

●まる一日かけて、ペドロ・コスタヴァンダの部屋』についての原稿を書いていた。ぼくは職業的なライターとかではないので、自分が書こうと考えている内容がどれくらいの分量になるのかが、実際に書いてみるまで全く分からない。だから枚数が決まっている原稿などを書く時は、最初に思いついたことをだらだらと書いてみて、それを削ったり、構成し直したりして(無理矢理フレームに押し込むように)規定の枚数に納めてゆくしかない。原稿を書く時に意識したのは、映画でも音楽でも文学でも何でも、他の何か(固有名)を参照したり関連づけて説明したりしないようにするということなのだが、でも、もう少しで中上健次とか書き込んでしまいそうになった。実際、崩れ、消え去りつつある地域とそこに住む人を捉えたこの映画について書きながら、『熊野集』に撮影の様子が描き込まれ、『路地へ』で観ることが出来る、中上健次が路地を撮影しようとして中断してしまった映画(完成していたとしても、良いものになったとは思えないけど)について思い浮かべていたのだった。(今晩一晩寝かせて、明日もう一度読み返してみてから送るつもり。)

●母親が手術のために入院したと聞いたので、詳しいことを問い合わせるために実家に電話したのだが、父親も病院へ行っているらしく留守で、電話に出た祖母が随分と耳が遠くなっていて、電話口で大きな声を出してもいまひとつ要領を得ない。まあ、命がどうこうというものではないらしいし、入院したのが妹(看護師)の働いている病院で不安も少ないだろうということなのだが、父親も入院はしていないものの通院しているという話を以前に聞いていて、両親は今まで病気一つしたことはなかったのだが、考えてみれば実家に住んでいるのは60歳以上の者ばかりで、みんな年をとったのだあなと改めて感じ、自分がいつまでも頼りなくふらふらと安定しない生活をしていることを申し訳なく思うとともに、年をとるということは、自分が年をとるというだけのことではないのだなあと、いまさらに思うのだった。