丹生谷貴志『幽霊論』(「三島由紀夫フーコー 不在の思考」)より、引用。
《「幽霊性」或いは「単独者性」は哲学的省察に値しないというのではない。或る意味でそれは、そうした省察を超過してしまうのだ。哲学的省察が「本質」を巡るものであるとすれば、私たちの「単独性」はただひたすら「様態(モード)」だけからなり、「本質性」や「実態性」を持たないからである。或いはそこにおいて語られる瞬間に、その様態性を失って、或いは奪われて、凝固してしまうからである。》(太字は原文では傍点)
丹生谷氏の書くものは、ほとんどいつもこの事に関わっている。本質や実態として凝固してしまったものを、ただひたすら複数の様態(モード)だけからなるものへと解いてゆくこと。丹生谷氏の言う「自由」(小説の最後の使命としての「絶対的自由」)とはそのような意味であり、丹生谷氏はそのことをくり返し書く。取り上げられる「名前」が、フーコーだろうが、スピノザだろうが、ポロックだろうが、阿部和重だろうが、誰かだろうが、書かれている事はほとんどかわらないだろう。丹生谷氏は、それを主張したり、他者に説得したりしているのではなく、ただそれをそれとして実践しているように思う。だからその文章は、批評でも思想でもなく、文学とも哲学とも関係なく、ただそのように書かれたものであり、そのように生きられたものであろう。だからこそ、毎回ほとんど同じような名前が取り上げられ、ほとんど同じような題材を巡って、ほとんど同じように蛇行しながら書き連ねられている文章を、昨日とそっくりであっても新たな日としての今日を迎えるように、《何億回も何京回も押し寄せ、何億回も何京回もそっくりな、しかしその都度に異なる海辺の砂丘の文様》が刻まれる砂のように、その都度新しいものとして受け入れ、読むことが出来るのだろう。丹生谷氏の文章の「内容」とは、そこに書かれている事、展開されている(ポストモダン的と言えてしまうかもしれない)思考ではなく、そのようにして書くということであり、そのようにして書きつづけつつ生きる「生(=モード)」そのもの、ということなのだと思う。
《....こうして純粋化された「幽霊たち」は、その内実の絶対的空虚の中で、身繕いの配慮怠りなく、あらゆる否定的な永遠に抗して、自らを誰であってもいい誰かの「永遠回帰」の反復に置いて、視られ語られ、視、語り、「恋」をする....だから、そのつまらぬ記念写真は、不可避的に「全世界」となる....。》(太字は原文では傍点)
これとそっくりな文章を、丹生谷氏の本のなかで一体何度読んだことだろうかと思うのだが、それでもその都度、改めて感じ、ざわめくものがあるのだった。
●(昨日書いた牧ゆかり個展に関連して、もう少し。)牧氏の作品が、ちょっときれいにまとまり過ぎているように見えるとしたら、それはその視覚的触覚的なコントロールの「繊細さ」が、小さくまとまったような印象を招いてしまっているからではなく、フレームとの関係で置かれる色彩や形態の配置がやや静態的で、フレーム内が閉じてしまっているように感じられるからだと思う。牧氏が、向こう側が透けて見えるビニールや、こちらが映り込んでしまう鏡を支持体に使用したり、ライトを反射してしまう光沢のあるシルバーの絵の具を下の層に使ったりするのは、おそらく画面の内部に、その外に通じる通路(穴)をつくり、あるいは絵の具が貼り付いている基底面の安定性を揺るがし、フレームをその内部だけで閉じさせないためでもあると考えられるのだが、にも関わらず、おそらく自然に働いてしまうバランス感覚によってであろうが、画面は安定的にバランスがとれてしまっているようにみえる。(視覚はどうしても、無意識に座りの良さを求めてしまう。)これは、意図的にバランスを崩したり、画面を荒れさせれば解決するというようなことでは、恐らくないと思う。完成した作品として見えている「画面」は、作品を制作しているプロセス(時間)の積み重ねの、最後の段階の断面図のようなもので、その「最後の状態」(最後の時間の断面)だけを動かしてみても、作品の「見かけ」が動くだけだろう。だから必要なのは、制作のプロセスのなかでの何かしらの揺さぶり、制作してゆく「時間」の組み立て(そのもの)についての捉えなおし、ではないだろうか。(セザンヌが「仕上げ」など全く問題ではない、と言うのは、多分このような意味でなのだ。)何か、偉そうに、先生が生徒に「こうしなさい」と指導する(指し図する)ような書き方になってしまっているけど、これは、牧氏の作品について考えることで、自分の制作についても考えているからで、つまり自分の問題として、自分に言い聞かせているわけなのだ。