練馬区美術館まで、岡崎乾二郎のギャラリートークを聞きに行った。展覧会のタイトルが「創造のさなかに ただいま制作中」というもので、制作のプロセスに注目するというようなコンセプトの展覧会のなかでのイベントなので、岡崎氏の絵画作品の、制作上の、具体的な技術の話が聞けるだろうと期待したからだ。とてもリラックスした雰囲気のなかで行われた「ここだけの話」みたいな話を、こういう場で書くのもなんなので内容については特に書かない。こういう書き方をすると、ここでは書けない特別な話が披露されたように読めてしまうかもしれないけど、別にそういうことではない。技術的なことについても、「驚きの新事実」のようなものが聞けたわけではなく、だいたい作品を観て予想していたことを大きく越えるような話があったわけではない。それでも、面白い作品をつくっている人の技術の話が面白いのは、結局それが「作品」に対する姿勢というかスタンスというか、「作品」に接する時の感触のようなものがダイレクトに反映されるからだろうと思う。(まあでも、プロセスや技術の話を聞くことで簡単に納得してしまうというのにも問題があって、やはり作品は「作品」として何を示すことが出来ているか、どのような「質」を実現出来ているかが本当は重要なはずで、そこらへんに「プロセス」や「解説(言説)」重視の、と言うかそれらにもたれ掛かった「現代美術」の弱さがあるとも思うのだけど。これは岡崎氏の作品のことを言っているわけではないけど。)
●展示されているペインティングも相変わらず面白かったのだけど、ぼくはもう岡崎氏の作品についていろいろ書き過ぎているので、ここでは改めては書かない。(ここ、とか、ここ、を参照されたい。)
●制作途中の状態の作品が写っているいる岡崎氏のスタジオの写真が1枚展示してあって、その写真には、死んでしまったという犬も一緒に写っているのだけど、それと共に、岡崎氏が谷川俊太郎と一緒につくった絵本で使われた作品のオリジナルが壁にかかっているのも見られる。正直言って、ぼくはこの絵本の絵を観た時、ちょっとどうなのかなあ、と思ったのだけど、写真で見るかぎりでは、オリジナルの作品はとても面白そうに思えた。平面なのだけどレリーフ的につくられていると言うのか、四角いフレームに描かれているのではなく、描かれた(連結された、もこもことまるっこい有機的な)形態がそのままフレームの形になっていて、だから真ん中がくり抜かれていたりする。これは、描いた後で切り取られたのだろうか、それとも、新たな形が描かれる度に、支持体が付け足され、増殖してゆくようなつくりになっているのだろうか。あるいは岡崎氏のレリーフ作品のように、最初にいくつかのパーツがつくられ、それらを組み合わせるという風につくられているのだろうか。この作品はとても面白そうなので、実物を是非観てみたい思った。(でもきっと、展示とかはしてくれないだろうけど。)
練馬区美術館(中村橋)までは、西武池袋線を使わずに、中野からバスで行った。久しぶりに、のんびりとバスに揺られたいと思ったからだ。おかげで、午後2時からのギャラリートークにギリギリでやっと間に合う、ということになってしまったけど。バスのいいところは、電車よりも窓の面積が広くて光がたくさん入ってくること、そのゆっくりとした速度、普段よりもやや高い視点、いかにも重心が下にあるというどっしりとした安定感と、大型エンジンによる重たい振動、そして、街になかに「入ってゆく」という感じなどにあると思う。バスに乗っていると、東京の地形というのは本当に面白いと感じられる。こんなところにバスが入ってゆくのか、と思うくらいに狭い道が、迷路のように複雑に交錯し、変な角度で交わり(やたらと三叉路が多かった)、道沿いには小さくて古い建物が並び、それが延々とつづく。終点が「中村橋」なので、「中村なんとか」という停留所を過ぎた時、もうそろそろ着くのだなあと思ったら、その後「中村〜」という名前の停留所がいくつも続き、なかなか中村橋にまで達しないのには、時間が迫っているのでややイライラしながらも、笑ってしまったのだった。(あと、「なんとか橋」という名前の停留所がやたらと多かった。)なんかとてもいい感じだったので、帰りもバスにした。