●「新潮」6月号の保坂和志の連載の最初の方を読んでいて、保坂氏の小説をはじめて読んだ頃のことを思い出した。
保坂氏は、今では文壇(という言い方でよいのかはわからないが)での評価や地位と、ある程度以上の固定的な読者(ファン)とのどちらも獲得した、ほぼ理想的に「成功した」小説家であるように見えるのだが、保坂氏の「小説をめぐって」という連載では、小説そのものだけではなく(「その一部」として)、小説と「読者」との関係のあり方について、が、くり返し問題にされている。保坂氏は、読者をある一定の「層」や、ある特定の傾向を持った「集団」のようなものとしてイメージすることを拒否している。つまり保坂氏が問題とする読者とは、まず一人一人のバラバラな人間であり、どこにいるのか、どのような人なのかが「事前」には分からない存在としてある。保坂氏は、ある「読者像」を事前にはイメージできない状態で書かれる小説をこそ問題とし、そして同時に、どのようにすればそのような「寄る辺なく書かれる小説」が「読者」に届くことが可能なのかを問題とする。特定の読者像が事前にイメージされないまま書かれる小説を「読むこと」は当然、事前に成立するものとしての「小説」というイメージから離れた場所で、その都度その個々の小説にふさわしいやり方で「読まれる」しかない。だから誰が読者と成り得るのかは事前には分からないし、その読者足り得る「誰か」にしても、いつでもどこでも「読者」でありうるかは分からない。そのことが冒頭に、自身の『灯台へ』の(読者としての)読書体験として語られる。『灯台へ』は何度読もうとしてもそのなかに入り込めなかったのだが、ある時ふっと、それを「読める」状態になった、と。だからある小説をそれにふさわしい仕方で読むためには(「読者」であるためには)、それにふさわしい「状態」であることが必要だし、それにふさわしい状態になるまで、何度も読もうと試みるような、作家や小説に対する敬意のようなものが必要なのだ、と。あるいは、自身の小説の「読者」について、次のように書く。
《私自身の話をすると、デビュー作の『プレーンソング』で私がある程度確信を持てたのは、実家のある鎌倉の向かいの家のおばさんと山梨にある母の実家の伯母(母の兄の妻)、七十歳をすぎたこの二人が「面白かった」と言ったことだった。失礼な言い方だが二人とも本を読むような人にはとても見えない。山梨の伯母など女性週刊誌をパラパラめくっているところしか記憶にない。そういう人が「面白かった」と、義理でなくわざわざ言ってくれたということは、何か単純な面白さがあるということを示しているはずなのだ。》
《(出版社の人の頭には「幅広い」読者層の本から「コアな」読者層に限られる本までのピラミッド的図式しかないが)しかし『プレーンソング』を「面白い」と言った二人の七十代女性は「コアな」読者ではない。かと言って、「幅広い」読者層を持つ本を読んでいるわけでもない。私の読者はその外にいるのではないか。》
コアな読者にしても、幅広い読者層を持つ本を読む人にしても、その属する集団の規模がことなるだけで、マニア集団や一般的な社会の、価値体系や話題に合わせて(それに対する同調や違和によって自らの立ち位置を確認するために?)「読む」という点では基本的にかわらないだろう(勿論そこに、多少の好みや傾向というものはあるだろうが。)。しかし自分の小説の「読者」は、そのような図式の「外に」(と言うより、そのような図式とは「異なる散らばり方」で)、それぞれにバラバラに存在する、ということだと思う。では、当時まだそれほど有名ではなかった保坂氏が「職業的な小説家」としてやってゆくために、どのように(事前に小説の読者として想定されるものの外にいると思われる)「読者」と出会うことが可能なのか。この点について、保坂氏がデビュー当時からきわめて自覚的だったことが、以下の部分から分かる。
《つまり私には戦術が必要だった。「計算高い」と思う人がいるかもしれないが、私は小説を書いて小説とエッセイぐらいの収入で生活して、それ以外の仕事はもうする気がなかったのだから自分の読者を自分で想定して、その人たちに訴えかけるしかない。しかし私の手元にはサンプルが何もない。七十代のおばさん二人は『プレーンソング』に単純な面白さがあることを確信させてくれたけど、私と一面識もない七十代女性が読者になってくれるはずがない。もともとその人たちは本なんか読まないのだから。》
《その人たち(保坂氏が想定した読者、例えば「小説を読むのは二の次で、もっと没頭できる趣味をもっている人」)に向けて小説を書いたのではない。小説それ自体を書いているときには、いま書いている小説がどうなってゆくのが一番いいかを考えるだけで読者がどう思うかまで気にしていられない。そうではなくて、書き上がった小説を誰に向かって訴えるかという時点で、宣伝を兼ねたエッセイを書いたりする時に、私は、いつも熱心に小説を読んでいる人たちではなく、私がイメージした人たちに伝わるようなことを書く事にした。》
●で、何故このような話が、保坂氏の小説をはじめて読んだ頃の感じに繋がるのかという話。ぼくが保坂氏の小説をはじめて読んだのは95年か6年頃で、エッセイなどは文芸誌で読んで名前は知っていたものの、小説は短編集『この人の閾』が最初だった。冒頭の「この人の閾」を読み終えた時点では、へえ、結構面白いじゃん、という程度だったのだが、「東京画」「夏の終わりの林の中」と読み進んで、すっかりハマってしまったのだった。(読んだのは夏頃だったはずで、それは「夏の終わりの林の中」に影響されて目黒の自然教育園に行ったら、蚊の総攻撃にあって体中刺され、こんなことは小説に書いてなかったじゃねーか、と思ったことを憶えているから分かるのだった。)で、その時点までに出ていた本をすぐに全部読んでしまったのだが、当時既に芥川賞作家ではあったものの、大型の書店に行ってもなかなか保坂氏の本はみつからなかった(勿論、当時はまだネットで買うということも出来なかった)。そこでぼくは、本屋で見つけるたびに(同じ本でも何度も)保坂氏の本を買って、それを宗教の勧誘みたく、友人たちに押し付けるように「読め」と言って渡したのだった。(『プレーンソング』『猫に時間の流れる』『この人の閾』はそれぞれ5冊ずつくらい買った気がする。今、手元には一冊ずつしかないので、それ以外は人に押し付けたことになる。)ぼくはだいだいそういうことをする質ではなく、37年生きて来てそんなことをしたのはその時だけなのだが、ぼくにそういうことをさせたのが保坂氏の小説の(ぼくにとっての)「新しさ」だった。
ぼくは若い頃から「本を読む」という習慣が割とあったのだが、育ったのが知的な環境などからはほど遠いので、ぼくの周囲にいた友人で、そのような習慣をもつ人はほとんどいなかった。(それは「恥ずかしい趣味」として隠していたという感じがある。)大学に入ってからも、それが美大だったりすると、そこには「本を読む」ような人は全くと言っていいほどいないのだった。(ニューアカブームで大学生が皆浅田彰を読んでたというようなイメージは、少なくとも「美大」では間違い。)ぼくにとって「本を読む」という行為は現実の対人関係とは全く無関係な、別の世界の孤独な行いであって、「読んだ本について人と話す」とか「この本面白からと言って人に勧める」なんてことはなかなか考えられないことなのだった。(映画を観る、ということもこれに近かった。)特に、80年代以降の「現代日本文学」なんて言うのは、普段から本をかなり読んでいるような人(コアな読者)にしか「面白さ」は伝わらないだろうという思い込みがあったから、それを人に勧めるということはあまり考えなかった。(しかしこれは本当に当時の言説に感染された「思い込み」でしかなく、面白いものは、それこそ「波長」さえ上手く合えば、あまり本を読まない人が予備知識とかなしでいきなり読んでも十分に「面白い」はずだと、今は思う。)で、そのような感覚で、(おそらく今よりもずっと熱心に)「現代日本文学」(大江健三郎中上健次や金井美重子や高橋源一郎阿部和重みたいな流れ)を読んでいたぼくにとって、保坂和志という人の小説は、そういうもの(それらの「小説」ではなく、それらの小説に当時まとわりついていた様々な「言説」)とは別のところからポコッと現れたような「面白さ(と新鮮さ)」を含むものだった。(吉田健一とか田中小実昌という名前を挙げたり、セゾン系などという名称で一定の文脈のなかに落とし込むことは簡単だけど。)これだったら、普段ほとんど本を読まない人にでも普通に伝わるような「面白い」何ものかが含まれているのではないか、と思ったのだった。(そしてそれは、村上春樹村上龍のもつ「(幅広い)ポピュラリティ」とはまた別のもののように思えた。)これは「誰にでも分かる」というものではなく、この感じを面白がるだろうという具体的な友人の顔が何人か浮かぶ、というようなことなのだ。(具体的に浮かんだ人以外にも押し付けたけど。)つまりぼくは、保坂氏の「戦術」にまんまと乗せられたわけなのだった。(この時に押し付けた友人のうちの何人かは今までも熱心な保坂氏の読者のはずで、例えば、朝日新聞に『もうひとつの季節』が連載されていた時、新聞をとっていないぼくに、その友人の一人がコピーを送ってくれていたので、ほぼリアルタイムで読めたのだった。)
●今から考えれば、保坂和志の小説が何か異質な「別の場所」からボコッと生まれて来たように感じていたのは間違いだったと思うし、80年代から90年代にかけての「日本現代文学」が、コアな読者にしかアピールしないような作品ばかりを生み出していたと思っていたというのも、間違いだったと思う。例えば、『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』や『地の果て、至上の時』や『文章教室』や『さようならギャングたち』や『公爵夫人邸の午後のパーティー』を読むのに、ことさら特別の教養や読書経験(小説的記憶)を必要とするとは思わないし、むしろ、それを読むのに(事前にある)特定の教養や記憶(や、それを有する集団が保証する価値体系)などに「頼る」ことが出来ないような言葉によって書かれているからこそ、これらの小説は面白いのだと思う。でも90年代中頃であった当時は、そうはシンプルに言い切れない「縛り」がぼくの頭のなかにあり、その縛りに対して、保坂氏の小説はとても新鮮な「広がり」を感じさせてくれたのだった。(勿論、もし保坂氏の小説の面白さがそのような「新鮮さ」だけにあるのならば、それもまた、一定の文脈のなかでしか作用しないものだということになってしまうのだけど。余談だけど、後に『存在論的、郵便的』という本になった、「批評空間」に載っていた東浩紀デリダ論からも、同様の広がりと新鮮さを感じていたのだけど、現在の東氏はそれとはまた違う方向へ向かったように思う。)