『犬猫』(井口奈己)

●『犬猫』(井口奈己)をDVDで観た。評判通り素晴らしい映画だった。この映画は当然、チョン・ジェウンの『子猫をお願い』(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/yo.39.html#Anchor1240802)と比べられるような作品(主演の女の子の年齢が同じだし、監督も同世代)であるだけでなく、例えば柴崎友香の小説などとも比べられるべき作品であろう。ただ、『子猫をお願い』では、同じような年齢の女の子たちの関係が描かれていても、もうすこし大きな(あえて言えば「社会的な」)幅と広がりがあるのに比べ、『犬猫』の世界は、中央線沿線に住むフリーターの女の子たちの世界のなかにきれいに納まってしまっている。(例えば、榎本加奈子がバイトしているコンビニの「店長」の存在さえ感じられない。)ただ、この「小ささ」は必ずしも批判されるべきものではない。(あるいは、この映画の「小ささ」は「大きさ」に対するものとしての「小ささ」ではない。)それはこの映画が、外側から与えられる(言葉の上での)正当化を拒否しているということでもあり、その分、描写の充実とリアリティに全てが賭けられていると言える。いわゆる「淡々とした日常が描かれている」系の映画だと容易に分類されてしまうだろうこの作品は、少し前の日本映画によくあった(ブレッソン症候群とか言われた)ミニマリズムの映画とは全く異なる。ミニマリズムの作品においては、まず最初にミニマルな形式が選択され、それに沿って細部の描写のさじ加減が(そしてその物語の「内容」までもが)調整されているようにみえるのだが、『犬猫』においては、まず、描写の充実やリアリティ、あるいは描写対象(が存在すること)への信頼のようなものがあり、その結果として、ある一定のトーンが(事前に設定されるのではなく)聞き取られ、それが作品のトーンを決定しているように、感じられる。具体的に言えば、事前にある、企画や脚本という段階では、これと言った特徴的な「売り」もないし、飛び抜けた何かがあるわけでもないこの映画の良さは、「撮影」という具体的な行為のなかでしか生まれないものだと思われる。それは勿論、事前の演出プランやロケハン、キャスティングなども含めたもので、現場でのカメラの位置の決定や演技指導、その他技術的な様々な事柄、そしてその場の雰囲気、撮影後、使用するテイクの選択から編集による呼吸の生成など、それら「つくること」としての撮影のなかからしか得られない「何か」に全てが賭けられている。(「何か」が先にあって、それを実現するために技術や行為があるのではなく、具体的な技術や行為の積み重ねが事後的に「何か」を生む。)それは逆に言えば、つくるという過程のなかで生まれるものだけによって、映画は十分に成り立つはずだという監督の確信の強さを感じさせる。
●この映画はもともと八ミリでつくられた映画のリメイクであるそうだ。DVDに特典映像としてついている八ミリ版の予告編を観ると、ロケーションの場所や、カット割り、小道具までもがかなり「同じ」であるようだ。それでも、上記の事柄とは矛盾しない。例えば、この映画の榎本加奈子の「冴えない」っぷりは素晴らしいのだが、この映画だけを観ている限り、この女の子の役は榎本加奈子という人物と不可分であり、それ以外には考えられない。(それだけでなく、今後テレビのバラエティ番組などで榎本加奈子を観た時、頭の隅に微かにでもこの人物が浮上し、重なってしまうことが避けられないだろう。)設定としては、二人の幼なじみの女の子がいて、一方はちょっと暗く乾いた感じで冴えなくて、もう一方は明るく、本人はそれとは意識していないであろうちょっとした仕種や言葉が軽い湿り気を帯び、結果として男性への「媚び」のように機能してしまうような、男の子からの「受けが良い」ような感じで、その二人がしばしば同じ男の子を好きになってしまい、関係がぎくしゃくする、というように要約出来るもので、まあ、ありふれているし、人物としても典型的だと言える。にも関わらず、この映画において、その冴えない女の子の「冴えない」っぷりは榎本加奈子以外ではあり得ないようにみえる。だらっとだらしなく垂れ下がる網状のバッグをいつもぶら下げていて、野暮ったく重たいシルエットになってしまうような重ね着をしてとぼとぼと歩く女の子の冴えないっぷりを、もし榎本加奈子以外の人が演じていたらこの映画は成り立たない(あるいは全く別のものになる)、と「思わせる」ようなところがある。(この映画の多くの部分が、榎本加奈子藤田陽子というキャスティングによって、それをもとにしてつくられている、という感じ。)ぼくが上で書いているのは、つまりはそのようなことなのだ。(それにしても、主演の女の子を、ここまで「冴えない」感じで、つまりちょっとした「萌え」要素も含ませずに、かと言って意図的に荒んだ感じにするわけでもなく、さらっと乾いたものとして撮れるのは、やはり女性監督だからなのだろうか。あと、男性の描き方、特に忍成修吾のキャラクターの設定のとらえどころのなさなどは、柴崎友香のものと近い感じがする。)
●特典映像としてDVDに収録されているメイキングも、この手のものとしては例外的にいいと思う。ロケ地の大家さんが撮影にすごく協力的だったりするところとか。あと、川原の場面は、ぼくの住んでいるところの近所でロケされているようにも見えるのだけど、違うのだろうか。(普通に多摩川とかだったら、違うのだけど。)