●アパートから駅まで行く道は、細く入り組んでいて、ずっと住宅ばかりが建ち並んでいる。その途中で、ふと足をとめ、視線を上へと向けた。(この行為は全く無意識のうちにされていて、自分でも何故そうしたのか分からない。)視線の先は、ちょうど道路に面した家の二階にあるベランダで、そこには60歳前後の、おばあさんというにはやや若いくらいの女性が、手すりにもたれるようにしてぼんやり立って、道路の方を眺めていた。(洗濯物を干すとか、鉢植えに水をやるとか、そういう「用事」なしに、ただベランダでぼんやりと下を眺めているというのは、住宅街のなかではかなり異様にみえてしまう姿だ。と言うか、人がぼんやりしている姿というのは、どこか不安定な感じを漂わせるものなのだった。)ぼくが何故かふと立ち止まって上を見たのは、この女性の視線を察知したからだ、と事後的には解釈できるかもしれないし、そうだとすると、ぼくが敏感であるようにもみえるのだが、もしかするとこの女性は、このようにベランダでぼんやりと外を眺めるのを日課としていて、いつもいつもこの道を通るのに、ぼくは今日はじめてそれに気付いた、というのなら、相当に鈍感だということになる。