府中市美術館で、山田正亮の絵画・展

府中市美術館(http://www.art.city.fuchu.tokyo.jp/)で、山田正亮の絵画・展、京橋のプンクトゥム・フォトグラフィックス・トウキョウで、上田和彦・展。
山田正亮は、その徹底した一貫性によって「日本の美術」のなかでは孤高の存在であり、(日本という、美術にとってまったく不毛な土地での)その50年以上に渡る仕事の持続は、それについて、そう簡単に軽薄な何かを口にすることがためらわれるような無言の圧力(凄み)のようなものが存在する。しかし、無言の圧力はしばしば最悪の権力を招き寄せたりするし、あるいは、「無言の圧力」とさえ言っておけばそれで済んでしまう、というような無関心にも繋がりかねない。なので、あえて(多少でも風通しがよくなるように)軽薄な事をいくつか口にしてみたいと思う。
●ぼくにとって山田正亮の作品で最も興味があるのは80年代前半の頃の作品で、この展覧会でも、その時期の作品が観られると期待していたのだが、観られなかった。この展覧会では、40年代後半のごく初期から、60年中頃までの作品が、かなり充実した密度で展示されているのだが、70年代、80年代の仕事はごっそりと抜けていて、60年代終わり頃の作品から、いきなり90年代の終わりに制作された最も新しいシリーズへと接続されている。70年代、80年代の仕事が丸ごとごっそり抜け落ちていることの「意図」が何であるのかは分からないが、その結果として、山田正亮の仕事の理路整然とした「一貫性」が過度に強調されてしまって、画家があたかも、はじめから予定調和的な(あらかじめ設定されていた)ヴィジョンによって自らの作品の「展開」をしていったかのように感じられてしまう。かつて藤枝晃雄が、山田正亮の作品は演繹的に展開する、というようなことを書いていたのだが、この展覧会で見えてくるのはそのような「作品の展開のあり様」であって「作品」ではないのではないか。この展示を観ると、形式的な展開の手順や、それを行う画家の執拗さ、個々の作品の「展開」のなかでの位置づけ、といったものを明確に「理解」出来るのだが、それを理解することと、作品を観ることとの齟齬が、どんどんと広がってくるように思われる。ある、形式的な展開のあり様や、個々の作品がその展開の流れのなかでそのようなものとして成立した必然性を理解することが出来たとしても、では、「なぜ」そのような展開がなされなければならなかったのか、「なぜ」それはそこまでの執拗さで行われたのか、(あるいは、「なぜ」それを行った画家とは他人である「私」がそれを観るのか)は、「形式」や「展開」のなかには書き込まれてはいなくて、個々の作品を観ること、あるいは、個々の作品によって与えられる感覚の「質」(あるいは「組成」)を問うことによってしか理解されない。ここまでくると、それがこの展覧会の「展示」の問題なのか、それとも山田正亮という画家の(つくる「作品」)に内在する問題なのか、あるいは、たんにぼくの個人的な「関心のあり様」の反映を他人の作品に押し付けているだけなのかが、分からなくなってくるのだが。
●もし、「美術」という制度の存在を自明のものとして受け入れ、「絵画のモダニズム」というプログラムを、その内部にいる人が当然共有すべき歴史的な必然であると仮定するのだとすれば、山田正亮による孤高の追求の持続(展開)は、その価値が自動的に確定されるだろう。しかし、「作品」というものは、そのような自明の前提や文脈を外れたところで観られたとしても、一定の意味の意味を持ちうるのものだと思う。前提や文脈から外れたところでもなお、ある力をもつかどうかによって、作品の底力や厚みが試されるのではないか。
●例えば、今回展示されている作品でもっとも初期の作品である何点かの風景画(「Landscape no3」や「Landscape no8」)は、山田正亮が最初から完璧に山田正亮であったという事実を示しているようにみえる。その色彩の趣味、絵の具の質感の趣味、筆致の運動性、手癖、小刻みな明滅や振動を複雑に配置して画面をつくるやり方(その配置の単位)、あるいは、対象の生々しさよりも形式的な整合性の方へと傾きがちな資質、などが、その後の何十年もにおよぶ画業において、ほとんどかわっていないと思えるからだ。これは、その「展開」の理性的な一貫性とはまったく別の事柄で、ある人の子供の頃の写真から、現在と共通する「面影」がありありと見られる、というような意味での「かわらなさ」なのだ。そしてぼくは、「画家」としての山田正亮は、ここにこそ存在すると思えるのだ。あるいは、ぼくが80年代前半の作品を好きなのは、それが「展開」のなかで最も充実した成果をみせているからではなく(「展開」のなかでの位置づけからすると、この時期の作品は、やや余計な、不純な要素を多く拾い過ぎていて、ちょっと抑制が外れて、破綻ぎみであると、もしかしたら画家は思っているかも知れないのだが)、山田正亮という画家が陥りがちな欠点、色彩の混濁や、筆致の運動性が形式に引き付けられ過ぎた「堅さ」によって縛られて重たく、鈍くなってしまう感じ、などから最も解き放たれていて、その軽々としてしかも複雑な運動感をもつ作品は、きわめて素朴に「良い絵」だと思えるからなのだ。今回観られた作品で、その感じに一番近かったのは、50年代の「紙」の仕事だった。紙に描かれた小品のもつ瑞々しい軽やかさは、タブローでは失われてしまいがちなのだが。
ぼくにとって、山田正亮の絵を観るというのはそういうところを観ることで、そういうところを観ないのならば「なぜ」わざわざ「絵」を観るのか分からなくなる。(念のために付け加えるが、そういうところを観ること「だけ」が、絵を観ることだ、というのではない。)
●この展示である程度まとめて観ることが出来て改めて思ったのは、60年代の「Wark C」のシリーズが異様な迫力と魅力を持っているということと、しかしその迫力は必ずしも「絵画として良いもの」とは思えない、ということだ。この、重たく重なる横ストライプの作品では、視線の動きが著しく限定され、その上で色彩による強い明滅の効果が経験される。しかしこれは、(抑制された色彩の趣味によって緩和されているとはいえ)椅子に縛り付けられて、目の前のライトの明滅を無理矢理に見せられているような感じで、絵画的な(その中で「目」が動けるような)「空間」は押しつぶされてしまっているように思う。不透明な絵の具の重なりによる、ざらつくような視覚的な手応え、視覚による強い触感のようなものは喚起され、それはとても魅力的なのだが。これらの作品は、ストライプというよりも、地面の断面である「地層」のような作品で、そのような意味で(重力によって)圧縮されたような迫力はあるが、その迫力は、重力によって押しつぶされるような圧迫感と共にあるものなのだ。この、不透明な色彩の重なりによる圧迫されるような迫力は、もしかするとこれらの作品が制作された60年代の時代の空気と関係があるのかも知れず、さらに、(今回の展示では観られないが)80年代に制作された作品が、抑制がやや外されたような軽やかなとも、浮遊したとも言えるような感覚をもっていること(そしてサイズも大型化したこと)などとも合わせて考えれば、一貫して「絵画の自律的な展開」を押し進めてきたと言われる作品も、その根底で実は時代の空気の影響を大きく受けているとも言えるのではないだろうか。
●最も新しい「Color」というシリーズは、「Wark C」が地面の断面としての「地層」のような絵だとすると、これはその「表面」(地表)を見せるような構造(組成)をもつ。しかしぼくには、このシリーズの作品は、弛緩しているように見え、良いものには思えなかった。
山田正亮の絵画・展は、府中市美術館で8月14日まで。