05/09/05(月)
●すごく素朴なことを言うようだけど、絵描きであるからには自分の「手」を信用し、自分の「手」と共にあるしかない。これは、自分の「手」に自信がある、ということとは違って、例えば、ぼくには日本画の画家が描くような、緊張が漲っていて、精密で明快な、完璧にコントロールされたような線は逆立ちしたって引けなくて、ぼくの引く線はいつも、たどだとしく不安定で、ふらふらしている。だから良いとか悪いとか言うのではなくて、ぼくはぼくの引ける線を使って「何か」をするしかないのだが、さしあたってそういうことを言いたいのでもない。自分が何をやりたいのか、どんなことならやる事が出来るのか、ということは、実際に「手」を動かしてみなければ分からない、という意味のことが言いたいのだった。ぼくはほとんど毎日絵について考えていて、尊敬する作家や、良いと思った作品について、その組成や構造について、分析的に思いをめぐらしたり、あるいは、その作品が与えてくれる歓びに浸っていたりするのだけど、そのことと、実際に「手」を動かして自分の作品をつくることとが、(繋がっていないはずはないのだが)決してすんなりと繋がっているわけではなく、どのように繋がっているのかは自分でも良く分からないので、実際に「手」を動かしてみなければ何が出てくるのか分からないのだ。いや、いくら何でも、何が出てくるのか分からないというのは嘘で、ぼくも、予備校でデッサンをはじめた頃から数えれば20年くらいは絵を描いているので、自分からは「どのくらいのものしか出てこない」のかは嫌という程知っているのだけど、それでも、そのうちの何と何が、どのように結びついて、どのような形となって出てくるのかは、いくら描いても、やってみるまで分からないのだった。勿論、事前のイメージや準備がなければ作品は出来ないのだが、それはあくまでも事前の地ならしと言うかウォーミングアップのようなもので、実際の制作は、やってみなければ分からない、というところに身を任せるしかなく、また、そうでなれなければ、わざわざ、制作なんて面倒なことをする意味がない。そして、やってみるまでは分からない、に、どこまで勇気をもって身を任せられるのかは、自分の「手」に対する信頼によって決まってくる。(勿論、「手」がしたことは、それにやや遅れて「眼」が判断し、管理しもするのだが。)
●ぼくには、たまにドローイング強化週間のようなものがあって、まるで千本ノックを受けるみたいに、時間がある限りひたすらドローイングを描く。これは、意識的に、ドローイングをしようと思ってするのではなく、波が押し寄せるように、ある時ふと、そうしたくてたまらなくなってするのだった。この時は、半ば意識的で、半ば自動書記のような感じで、集中力が続く限り描きつづけ、集中力が途切れた時にやめて、それぞれの作品に対する判断は、冷静になってから何枚も纏めて眺めながらする。(勿論、描いている時にも判断はしているし、判断していなければ次の筆が入らないのだが、この時の判断が「半ば意識的で、半ば自動書記」のようになされる。つまり何と言うか、意識によってコントロールしたのでは遅過ぎるものをコントロールする練習というのか。)普段の制作は、もっとゆっくりと、そしてもっとクールに行うのだが、ドローイング強化週間の時は、意識と切り離された「手」の状態というか、無意識と「手」の連結というか、そういうものを鍛えるために(そして、そういうものの「配置」を揺るがし、動かすために)、強い火力で手早く炒められる中華料理のように「はやく」描く。(とはいっても、インチキ書道家のパフォーマンスとか、見せ物的なアクションペインティングのような「衝動的」な描き方をイメージされると、全然違うのだが。)
●説明だけで長くなってしまったけど、とにかく、今、そういう時期に入りつつあって、で、アトリエにいる時だけ描いていたのでは納まらなくて、用事で出かけた先でちょっとした時間をみつけて描く、とか、屋外でスケッチなんかも出来るようにと、コクヨの罫線入りの便せんに筆ペンを持ち歩いているのだった。何故、小さめのスケッチブックとチャコールペンシルみたいなものではなく、わざわざそんなもので描くのかと言えば、それを思い立った時、用事があって画材屋までいっている時間がなくて、近所のコンビニにある「文房具」から、なんとか使えそうなものを選んだ結果、そうなったのだった。で、やってみると、筆ペンの線の表現力というのは馬鹿に出来ないものがあって、しかもコンパクトで屋外でも使いやすくて、そして便せんの紙質は筆ペンとマッチしていたりして、けっこうそれが気に入ってしまって、既に同じコクヨの便せんと筆ペンで、何冊分かドローイングをしてしまっていたりするのだった。この便せんには、下の方に(罫線と同じ薄いグレーの)小さな文字で「KOKUYO」と書かれているので、このドローイングの連作のタイトルを、「KOKUYO」シリーズにすることにした。