●必要があって、テリー・ギリアムとタルデンヌ兄弟の映画を何本かずつ、ビデオとDVDとで観ていた。タルデンヌ兄弟の映画のつまらなさは、見せるべきものを見せていないという感じにあって、それはたんにフレームが狭いということだけでなく、場面としても、省略すべきでない部分を、映画の流れというかリズムを優先してあっさりと省略してしまうというようなところにあると思う。視覚性、描写、物語、などに対するリズムの優位という点で、トリュフォーなどを思わせもするが、トリュフォーにとってリズムは、トリュフォーという作家の(ほとんど体質的なものとしての)作家性と不可分に結びついたものであるのだが、タルデンヌ兄弟の映画では、それは出来のいい(破綻のない)映画をつくるための方便のようなものとしてしか感じられない。『息子のなまざし』が面白かったのは、そのような過度の限定性が、逆説的に、「息子のなまざし」という不可視のものの存在の気配(という余剰、というか「別のもの」)をたちあげてしまっていたからなのだけど、ほかの作品は、そこまではいっていない。