三鷹市美術ギャラリーの「絵画の湯」展の高松次郎

●昨日書いた、三鷹市美術ギャラリーの「絵画の湯」展で嫌でも気になるのは高松次郎という作家だ。それは単純に、生前、三鷹市に住んでいたらしい高松氏の作品を三鷹市が多く収蔵しているということによって、この展覧会でも最も多く作品が展示されているから、というだけではない。作家ごとに纏めて展示してあるのではなく、見た目で「似た感じ」の作品ごとに纏められているこの展覧会では、高松氏の作品が、あっちこっちに散らばってあるのだ。つまり、高松氏は、様々なタイプの作品をつくっている。このことが、高松次郎という作家の、不思議な希薄さをあらわしているように思う。高松次郎と言えば、言わずと知れたハイレッド・センターの一員であるのだが、ハイレッド・センターの他の二人が、良くも悪くも、作家としてのイメージがくっきりとしているのに比べ、高松氏は、どことなくはっきりとしない。例えば、中西夏之氏は一貫してあまりにも「中西夏之」的であり、ぼくは、90年以降の絵画作品は良いものだとは思わないのだけど(今回展示されている作品も、あの「黄緑色」の塊が理解出来ないのだけど)、その「良く無さ」(弱さ)もまた、「中西夏之」を強く感じさせる良く無さで、だからそれに魅惑される人がいるというのも、分からないでもない。赤瀬川原平にしても同様で、よくも悪くも、赤瀬川氏は、いつも「赤瀬川原平」的なのだった。それに比べ高松氏は、作家としての特質(体質)が掴みにくい。ハイレッド・センターの活動から、トリッキーでコンセブシャルな影絵のような作品へと移行し、その後絵画に回帰した後も、ミニマル風の作品や、(ある世代の人にとっては高松次郎と言えば真っ先に思い出すだろう、フーコーの本の装丁のような)線によるドローイング風の作品、そして、オールオーバー的な作品など、その時代、時代で、様々な形式の作品を試み、しかも、そのどれもでかなりの質の高い作品になっている。にも関わらずというか、だからこそと言うべきか、高松次郎が一体どのような「作家」であったのか、何をやりたかったのか、が、いまひとつ 掴めないのだ。この展覧会で「平面上の空間」(1982年)という作品を観て、この人はこんなことも出来たんだ、と驚いたのだけど、「こんなことも出来てしまうのか」という驚き方は、作家にとって必ずしも良いものではないだろう。個々の作品の質としては、例えばハイレッド・センターの他の二人に劣るものでは決してないし、それどころか、むしろずっと充実しているとさえ言えるとも思うのだが、しかし、作家としては、方向が定まらない感じで、希薄な感じがどうしてもしてしまうのだ。もし、その希薄さによって高松氏が、ハイレッド・センターと「影絵」だけの作家としてしか人々の記憶に残らないとすれば、その後の充実した作品群を考えるとあまりに「悲しい」のだが、一方で、やはり、結局何がやりたいか良く分からないという感じは否定出来ない。(一個一個の作品は、何がやりたいのか明確に分かるのだけど。)これは、形式やスタイルの問題ではなく、作家としての「匂い」のようなものが希薄だということなのかも知れない。ぼく自身も作家として、そのことを考えないわけにはいかない。
●ところで、この展覧会では人気投票というのがあって、観た人が一番好きな作品一つだけに投票するのだが、ぼくは(何のひねりもなくベタだけど)岡崎乾二郎の作品に投票した。やはり岡崎氏の作品は、他から頭一つ抜け出しているように思われた。(何といっても、最もドキドキする絵だ。)あと、必ずしもぼくは好きな作品ではないのだが、宇佐見圭司の作品が、岡崎作品に与えている意外な影響の大きさが、同時に展示してあることから感じられた。あと、辰野登恵子が何故リトグラフの作品をつくるのかずっと理解できなかったのだけど、「May-25-91」という作品を観てちょっと納得した。それから、山本正という画家の存在を、この展覧会ではじめて知った。