シネマアートン下北沢で、『カメラになった男 写真家 中平卓馬』(

シネマアートン下北沢で、『カメラになった男 写真家 中平卓馬』(小原真史)。この映画を観ることが出来てよかった。というか、観逃さなくてよかった。もし、これを観ていなかったら、この映画を観損なったことがどれだけ大きな損失であったかに気付くこともないのだなあ、と思った。映画作品としてどうとか、このショットがどうとか、そういうことはどうでもよくて、ひたすら中平卓馬氏が素晴らしい。中平卓馬という人をビデオカメラで撮影して、それをこのような形にしてぼくなんかでも観られるようにしてくれた小原真史という人に感謝したい。見ず知らずの人から、出会い頭に唐突に貴重な贈り物をもらったような感じだ。おそらく今でも中平氏は毎日のように、朝食を「食べ上げ」、時報で時計の時刻を確認した後、自転車に乗って撮影に出かけているのだろうと思うと、もうそれだけで「この世界」に自分がいることがうれしくなる。中平卓馬という人の存在は奇跡のようなものだが、でも、この映画の中平氏の姿を観ていると、奇跡なんて結構頻繁に起こってるんじゃないかと思えて来る。
前に横浜美術館中平卓馬展があって、それを観に行った時、会場に中平氏がいた。写真を一枚一枚凄く丁寧に観ていて、自分の「作品」を観る感じではなくて、偶然ふらっと入って来たおっさんが、そこに展示してある写真に自分が良く知っている場所や知っている人が写っているのを発見して、へーっという感じで見入っているような姿だったので印象に残っている。この映画を観て、中平氏にとって写真は、「作品」というよりも、あやふやとなり不確かとなった記憶を何度も繰り返して思い出すための参照点であり、それは現在と共存している過去そのもののようなものなのだと知り、あの時のあの姿に納得がいった。中平氏は、自分を撮影している小原氏に向かって、何度も同じ過去の話をする。しかしそれは自動化された反復ではなくて、その都度改めて過去を思い出し、生き直し、確認する作業のようにみえる。過去に自分が撮った膨大な量の写真を見直し、自分の年譜を読み返し、自分が書いた文章に、ああそうだと言いながら傍線を引く。それは一度記憶を見失ってしまったがために強いられる苦行であるのだろうが、それが中平氏に、その都度新たなものとしての過去を、何度も「新たに思い出す」ことを可能にしているのではないだろうか。中平氏の過去へのこだわりは、意識的な努力によって維持されるものであり、それはしばしば異様な印象をもつものとなる。
その一方で、カメラを持ち、現在に関わり、それを撮影する中平氏は、過去など一切持たない子供のように目の前にある「今ここ」と柔軟に戯れる。その姿は、ただそれを見ているだけで見ている人をも解放するような動きをみせる。猫には、自分が写真家だと分っているから、近寄っても逃げないと言い、蝉の声に(それを鳥の声だと言い張って)熱心に耳を傾け、公園で寝ている人をこっそりと撮っては小躍りする。背を曲げてひょこひょこと歩いては撮影し、タバコのパッケージの赤ボールペンでメモをする。蛇を撮ろうとして下を向いて、そのタバコを胸ポケットから池に落とす。ただ、カメラを持って撮影している時の生き生きとした感じに比べ、人々のなかにいる時の中平氏はとても孤独であるようにみえる。それは、沖縄のシンポジウムで昔の仲間や先輩たちを凍りつかせてしまったから、ということではない。それよりもむしろ、沖縄の昔からのなじみの宿で、知り合いたちと飲んで、歌って、踊っている時の中平氏が、その場にいながらも、一人だけ全然別のものを見ているという感じに見えたのだった。
平氏は、世界を正確に把握するために、何でも確認しなければ気が済まない。毎朝、117の時報で腕時計の時間を確認し、写真に映っている人物が誰で、どういう状況でそれが撮られたのかを何度も思い出すことで記憶を確認する。同じ過去の話を何度もし、年譜を調べる。(森山大道という名前が何度も出て来るのは、その名前が中平氏にとって、記憶のなかでの確かな参照点、時報や年譜と同等に確かなものだと思えているからではないか。)家に来た沖縄出身の電気屋の青年の言葉に引っかかれば、それを確認しに沖縄まで行かなければ気が済まない。写真を撮るという行為もまた、世界を知ろうとする時の確認のための参照点を数多く作り出すということのように見える。(このような確認への強い意思は、記憶や作法や文脈の「暗黙の」共有に多くを依存する他者との関係を時に凍り付かせる。)だからおそらく、中平氏の写真は他人に向けられたもの(表現)ではない。ただ自分に、それも「世界を認識する者」としての自分にだけ向けられている。だから結果として、世界を認識する「他の者」にも開かれている。(「向けられている」と「開かれている」は多分違うのだ。)以前の沖縄滞在の時に撮った歌手の写真と、現在その名前をもつ歌手とが一致しない時の、中平氏の不安な表情が忘れられない。(上映は21時からのレイトショーで20日まで。)