●イタリアにまで行って近代絵画を観ようという気にはならないので、今回の旅行で観たのは、主にルネサンス前後の作品で、美術史的に言えばゴシックからマニエリスム期くらいの時期、1200年代後半から1500年代前半くらいまでの作品で(それ以降のカラヴァジョとかルーベンスとかもちょっと観たけど)、絵画に限って言えば、圧倒的に強い印象を受けたのはピエロ・デッラ・フランチェスカだった。ピエロ・デッラ・フランチェスカは、フィレンツェではあまり観ることが出来なくて、故郷であるサンセポルクロ(「キリスト復活」や「ミゼル・コルディア祭壇画」がある)、「出産の聖母」のあるモンテルキ、そして「聖十字架物語」の壁画(サン・フランチェスコ教会)のあるアレッツォ、と、バスで巡る必要がある。短い滞在期間でそこまで回るのはどうかとも思ったが、これが正解で、特に「出産の聖母」と「聖十字架物語」はすばらしかった。モンテルキなんて全く何もない小さな村で、そこの小学校だかを改装した建物のなかに、たった一点「出産の聖母」があるだけなのだけど、この一点を観るためだけに大勢の観光客が集まるというのも納得できるような、すばらしい作品なのだった。ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品が素晴らしいのは、絵画としての構造の面白さ、複雑さ(あるいは革新性)と、形態そのものの美しさ、色彩そのものの美しさとが、見事に両立されているからで、その点でぼくには、サンタ・カルミネ教会にあるブランカッチ礼拝堂の壁画よりも、サン・フランチェスコ教会の「聖十字架物語」の方が数段素晴らしいと思った。(余談だけど、ブランカッチ礼拝堂のあるサンタ・カルミネ教会は、事前に予約が必要で、しかもたった十五分で入れ替えさせられるという、とんでもない条件でしか立ち入ることが出来ない。)ピエロ・デッラ・フランチェスカによる壁画は、単純に圧倒的に美しいのに対し、ブランカッチ礼拝堂の壁画では、マザッチョとマゾリーニによって描かれた部分と、後にフィリーピーノ・リッピによって仕上げられた部分との、絵画としての質の違いが大き過ぎて、そこがどうしてもひっかかってしまう。(あるいは、「三位一体」などでもそうなのだけど、マザッチョは、その絵画構造の面白さ、人体描写法の革新性などの目覚ましさに比べて、どうも、形態そのもの、色彩そのものの美しさという点で、いまひとつのように思えた。それはつまり、ピエロ・デッラ・フランチェスカが、写実性よりも形態そのものの比例的なうつくしさを重視しているのに対し、マザッチョは人物描写の写実的な迫真性のようなものを重視しているということなのかもしれないけど。それにしても「三位一体」は凄く変で面白い絵なのだった。)「出産の聖母」の聖母がまとっている衣装のセルリアン・ブルーのような色彩など、絵画においてブルーとはこのような意味をもち、このように使われるべきものなのだなあ、ということを、有無を言わせずに納得させてしまうようなものなのだった。顔料が本来もつ色彩の美しさがそのまま絵画のなかである位置(役割)を得ている、というような。
●今回、沢山の絵画を観て凄く感じたのは、油絵の具という技術革新による功罪ということだった。確かに、油絵の具によって、絵画の表象技術は格段に幅の広いものになった。半透明な層を何層も重ねることによって可能になる独自の質感は、視覚的な迫真性という意味では、フレスコやテンペラなどの追随を許さない強さを可能にする。しかし、そのことによって絵画から失われたものがいかに大きいか。(ここで絵画が失ったものとは、まさにピエロ・デッラ・フランチェスカがもっているような、形態そのものの美しさ、色彩そのものの美しさによって、ダイレクトに何かを語らせる力ということだと思う。)そのような意味でルネサンス期は微妙な過渡期ともいえて、めざましい表現の技術的な革新がある一方、それ以前の絵画にあったものも失われずに残っている。油絵の具という技術革新は、確かに、ティツィアーノなどのヴェネチア派の色彩、フェルメールレンブラントなどオランダ絵画の光といった、油絵の具でなければ決して到達できない数々の達成を生んだ。しかし、結局、多くの凡庸な画家は、半透明な層の塗り重ねによる視覚的な迫真性(の演出)という、安易なスペクタクルに寄りかかり過ぎ、あるいは酔い過ぎて、なんともいえない、表面がぬらぬらとした、映像的なハッタリに支配された作品の方へとはしってしまっているようにみえる。(すくなくとも、マニエリスム以降のイタリア絵画は「油絵の具」によってダメになってしまったという感じがする。)この傾向を最も極端に押し進めたのはおそらくカラヴァッジョで、カラヴァッジョは実際に観れば確かに大したものなのだが、しかしそれなりに凄いからこそ増々嫌いになる、というようなものだ。結局、油絵の具による技術革新は、カラヴァッジョ的なものへと進むしかないようなものなのではなかったのだろうか、という疑問が湧いてしまうのだった。勿論ここでぼくは、すごく極端な事を言っているのだけど。(どうもぼくは、「いわゆる油絵」というものがあまり好きではないらしい、ということに気付いた。)
このように考えると、改めてクールベの革新性がみえてくる。クールベによるリアリズムとは、見えるものを見えるように描くということではなく、油絵の具そのものの物質性を再度捉え直すということであり、それはむしろ、油絵の具以前の絵画が持っていたものを再度(油絵の具による)絵画のなかで可能にするものなのではないだろうか。クールベは、古典への回帰によってそれを可能にしたのではなく、油絵の具というメディウムを「別のやり方」で使うことによって、失われていたものに再度光りを当てる。クールベ以降の近代絵画によって、絵画は油絵の具以前の輝き(形態そのもの、色彩そのものの美しさによって「語らせる」こと)を取り戻す。印象派後期印象派の画家たちが、それ(油絵の具以前への回帰)をどこまで「意識」していたかは知らないけど。しかし例えばマティスは、あきらかにそれを意識していたように思われる。今回いろいろ観てまわってつくづく思ったのだが、マティスはどこまでも「西洋美術史」に忠実な画家なのだった。それはセザンヌの「野蛮(野生)=感覚」とは、根本的に異なるものなのかも知れない。(セザンヌの信仰は自然への信仰であって、おそらく数学を根拠とするような秩序によって「神」を見いだそうとするルネサンス的なものとはちょっと違っているように思う。少なくともその最晩年においては。)
●今回のイタリア旅行でのもっとも大きな買い物(といっても60ユーロなのだけど)は、ホテルの近くの本屋で買ったマティスとボナールの作品が載っている画集だった。これはおそらくイタリアで行われた展覧会の図録で、この二人の代表作といえるような作品はほとんど載っていなくて、割とマイナーな(つまり、画集などでもほとんど見た事のない)小品があつめられているものなのだけど、しかしその作品の選択のセンスが素晴らしくて、マイナーだけど粒ぞろいな作品がぎっしりつまっているものなのだった。フィレンツェの本屋はどんな感じなのだろうと冷やかしで覗いたのだけど、この画集をみつけた時は小躍りするようなうれしさだった。さすがイタリアは画集のセンスもいいのだ。(あと、ロスコや抽象表現主義の、薄くて安価だけど、作品のセレクトのとても良い画集もあって、それも買った。)なんでイタリアにまで行ってマティスなんだ、という話なのだが、しかし、ルネサンスを見に行ってマティスに突き当たるというのは、必然的なことであるように思った。あ、でも、これって岡崎乾二郎の「後追い」でしかないのか。(あと、関係ないけど、本屋に入ってすぐの一番目立つところに、吉本ばななの本が平積みになっていた。映画関係のコーナーでは、北野武の本が何冊も並んでいて、その隣のキム・ギドクと共に、圧倒的に目立っていた。)