●イタリアとは時差が八時間あるのだけど、普段の不規則な生活が幸いして時差ボケとかまったくなく、すんなり向こうの時間に同調できた。昼間歩き通しなので疲れて夜もぐっすり眠れた。見る夢もまったく普段通りで、特に「慣れない土地にいる」とか、「何か大きなものに圧倒される」みたいな夢を見る事はなかった。それは拍子抜けするくらい普段通りで、意識では、あまりに濃いものを次々に見て圧倒されているのに、それは表面を流れてゆくだけのことで、無意識にまで届いてはいないのだろうか、と不安になるくらいだった。しかし帰国して十日以上たってやっと、それらしい夢を見るようになった。とはいえ、乗っている飛行機が落ちるとか、入国審査が通らなくて怪しげなところへ連れて行かれるとか、言葉が分らないところで道に迷って右往左往するとかいった、ベタベタなものなのだけど。それにしても、自分の反応の遅さにあきれるのだった。(だいたい身体は、状況が変化しても一定の状態を保とうとするから、その時の無理による歪みは常に遅れてやってくる。年齢を重ねるごとにその遅れは大きくなり、「遅れ」の幅を予想しがたくなる。)
●「新潮」一月号の「小説をめぐって」(保坂和志)に長く引用されているミシェル・レリスの『幻のアフリカ』を読んで愕然とする。例えば、美術(西洋美術)というジャンルに限って言えば、ジャンル自体として力があったのはせいぜい1920年代から30年代くらいまでで(つまり第二次世界大戦前までで)、それ以降、美術は世界的につまらないものとなる。(例外は、50年代60年代のアメリカくらいだろう。)個々に面白い作家はいたとしても、ジャンルとして、場として、盛り上がるということはなくなってしまう(というのが、ぼくの見方だ)。今のぼくから見れば、二十世紀初頭のヨーロッパといえば前衛芸術の輝かしい黄金時代なのだが、しかし、その前衛芸術家たちがやっていたことって、結局「こういうこと」(これと同様のこと)だったのかも知れない、と感じたのだ。(「こういうこと」が具体的に何なのかをニュアンスまで含めて説明するのはむつかしいので、直接「新潮」一月号の357ページから359ページを読んでいただきたい。いや、文化人類学が、あるいは西洋文明そのものが、基本的に植民地主義によって成立している、みたいな話は知らなかったわけではないし、むしろありふれた常識に属することなのだが、具体的にこういう生々しい記述を読むと、冷静ではいられなくなる。)
●同じく「小説をめぐって」のガルシア=マルケスについて書かれている部分を読んでいて、三ヶ月くらい前に「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)を久々に読み返した時のことを思い出した。ぼくは宮沢賢治の詩がとても好きで、ちくま文庫から出ている『宮沢賢治全集1(「春と修羅」「春と修羅」補遺「春と修羅第二集」)』は長い事ずっと、いつも手に取れるところ、つまり探さなくてもすぐ見つかるところにあって(すっかり黄ばんでボロボロで、シミもいっぱいついている)、折に触れて適当に開いた数ページを読んだりしているのだが、おそらく高校生の時以来に読み返した「銀河鉄道の夜」は、ちょっと驚くくらい面白くなかった。そこに展開されているのは、詩と同様のまさに宮沢賢治独自のイメージなのだが、それがきっちり枠のなかに納められてしまっていて、ちっとも「動いて」いないように思えた。「銀河鉄道の夜」が示しているのは宮沢賢治の「世界観」であって、その歩くリズムや視線の動き、それによって捉えられる盛岡の空気や風景、ではないのだった。(今、手元にある『宮沢賢治全集1』を開いてみて驚いたのだが、この本は1986年に出たもので、つまりもう二十年も、いつも手近なところに持っているのだった。)