大林宣彦『HOUSE(ハウス)』(1977年)をDVDで観た。女の子のキャラクターを大胆に類型的な役割にまで還元して、それ以上の内面的複雑さをもたせず、ただ身体的イメージとして(エロとして)のみ提示するということを、ここまではっきりと自覚的にやったのは、日本映画史上でこの映画がはじめてなのかもしれない。(これって「萌え」ってことですよね?)女優やアイドルの身体的なイメージを好き勝手に使って、自分の幻想の世界を(実写という)現実的なイメージとしてつくりあげることのできる映画監督という仕事は、おたくにとっては最も羨むべき仕事であるのではないか。俳優たちを動かし、大勢の現場のスタッフを動かし、大きな予算をかけて映画をつくり、実生活でも、うまくゆけば女優とつきあったり結婚したり出来るかもしれない、という意味で、映画監督とは一種の権力の象徴のような存在であったのだけど、この映画での大林宣彦は、そのような「現実」の上での権力者ではなく、あくまで好き勝手にイメージを操作できるという「想像」的な次元での権力者として存在しているように思う。そのような意味で、大林宣彦の存在は、当時の日本映画のなかで、とても新鮮で特異あったのだろう。(『歌姫、魔界を行く』や『ヘリウッド』の長嶺高文なんかとも近いけど、長嶺氏の場合は、もっと伝統的?な「アングラ」を背負っている感じがする。)
●CFディレクターとして活躍していたとはいえ、撮影所での映画製作の経験がまったくない自主映画作家が、いきなり東宝の撮影所で、商業映画の監督を任されるなどということは、当時としては異例中の異例だったはずだ。七十年代の中頃、『オーメン』や『エクソシスト』のような、ホラーというかオカルト映画がブームで、しかしそういうものを撮れそうな日本の監督がいなくて、大林宣彦は自主映画でドラキュラ物とかをつくってるからいいんじゃないかという感じだったのかもしれないけど(でも実際には『HOUSE(ハウス)』は企画としてはオカルトではなくてB級ホラーなんだけど、そんな細かい違いは映画会社の偉い人にはどうでもいいのだろう)、保守的な映画会社が(いってみれば)ズブの素人を起用してまで局面の打開を計らなければならないほど、当時の日本映画界は行き詰まっていということなのではないだろうか。この後、大林氏はつづけてブラックジャック物と百恵・友和物の監督を任されているし、翌年の78年には、松竹で大森一樹、日活で石井聡互と、若い、現場経験の無い自主映画作家がいきなり監督に抜擢されたという事実からみても、『HOUSE(ハウス)』は、当時(信じ難いことに)おおむね好評で迎えられたのだろう。
●関係ない話だけど、昔、高校生くらいの頃、火曜サスペンス劇場で『雪花魔人形』という楳図かずおの『おろち』の一話を原作としたドラマがあって、当時予備知識もなくたまたま観たのだけど、ぼくにはそれがとても強い印象で記憶に残っている。細かいところはほとんど憶えていないのだけど、そのドラマにとても強い印象を受けたということを憶えているのだ。ぼくはずっとそれが大林宣彦が監督したものだと思い込んでいたのだけど、どうもそれは『麗猫伝説』と記憶がごっちゃになっていたらしい。(『雪花魔人形』も『HOUSE(ハウス)』と同じ大場久美子が主演だったということも記憶の混乱の原因かもしれない。)ネットで調べてみたら、『雪花魔人形』の監督は工藤栄一だった。(これは出来ることならぜひもう一度観てみたいと、工藤栄一が監督だと知って一層そう思うのだけど、こういうのって、ソフト化どころか、フィルムが残っているかさえあやしい。)
●さらに関係ないことだけど、「ユリイカ」の楳図かずお特集に載っていた樫村晴香の楳図論は、楳図論として画期的だというだけでなく、樫村氏のテキストとしても、(もの凄い密度で世界の全てを理論的に記述し尽くしたいという欲望に貫かれているような)それ以前のものとは感触がかわっていて(言語に対する態度がちょっとかわっている感じがして)とても興味深いのだけど、でももしかすると、『漂流教室』『わたしは真悟』『14歳』というような、メジャーな長編しか読んでいない人には、ちょっとこじつけみたいに感じられてしまうかもしれないところもある。でも、初期の傑作『半魚人』や、短編連作『おろち』、そして異様な長編『イアラ』などをあわせて読んでいれば、それが決して自分の理論を楳図かずおを利用して語っているというようなものではなく、あくまで楳図かずおの作品に沿って書かれたものだとわかるはずだと思う。