夜、テレビを観ていると、

●夜、テレビを観ていると、別に面白いと思っているわけでもないのに、つい惰性でずるずると観つづけてしまう。テレビを消すには、惰性の流れを断ち切るような力が必要だ。なんとか重い腰をあげ、力を引き絞って、えいやあっとスイッチを切る。しかしスイッチを切っただけでは、頭はテレビを観ている時のモードがまだつづいている。最近、テレビを観ると頭が悪くなるというのは本当のことだと、つくづく思う。頭を切り替えるために、ヘッドフォンをして音楽を流す。ボケたモードの頭でも受け入れられて、しかも、それを冴えたモードへと誘ってくれそうなものを選ぶのに、ちょっと迷う。音楽のおかげて、徐々にモードが切り替わる。少しずつ、「難しい本」でも読もうか、という気持ちになり、読みたいと思うようになる。読みかけの、というか、ここのところずっと読んでいる「難しい本」のページを開く。(ずっと読んでいるというのは、なかなか読み終われないということ。)
しかし、「難しい本」は難しいので、そう簡単には入ってはいけない。その章の頭の部分を何度も繰り返して読むのだが、頭に入らず、最初のページでずっと留まったままだ。本を読む時、音楽は邪魔なのだが、この時はまだ、本を読みつづけようという気持ちを持続させるために、音楽の力を借りている。集中が途切れた時に意識の隙間から入って来る音楽に助けられ、堅い岩盤を少しずつ掘り進めるように読んでゆく。とりあえずページをめくり、次のページへと進んだ。と、ここで、急激に眠気が襲ってくる。こういう時は、眠気に逆らっても効率が落ちるだけだから、十分か二十分くらい眠ってしまう方がいい。意識の焦点を音楽の方にあわせて、眠りに入ってゆこうとする。
目が覚めると、二十分経っていた。開いたままの本の方に視線を向け、再び読み始める。少し眠ってスッキリしたせいか、あるいは最初のページをくぐり抜けて「難しい本」の難しいモードに慣れたためか、さっきよりは内容が頭に入り易くなっている。それでも、同じところを何度も繰り返し読み、行きつ戻りつしながら、少しずつ進む。
頭をバリバリと掻く。掌で顔を擦る。首から肩をポキポキと鳴らす。コーヒーを煎れる。チョコレートを一かけら口にする。姿勢をかえる。「難しい本」の内容が盛り上がってきたところで、音楽を止める。この難所を越えれば、もうあと数ページでこの章は終わる。また頭をバリバリと掻く。深呼吸して気合いを入れ直す。とりあえず、その章を読み終え、トイレに立ち、またコーヒーを煎れる。コーヒーを飲みつつ、少しボーっとしたら、読んでいて引っかかったところや、いまひとつよく分らなかったところを、もう一度、二度と、読み返す。図と本文とを交互に見て、読む。一度通して読んでいると、随分と親しみ易くはなる。そこで参照されていた別の本を段ボール箱のなかから探し出し、参照されていた部分を、パラパラと流し読みする。冷えたコーヒーの残りを飲む。と、もう外はうっすら明るくなっていて、新聞配達のバイクの音がアパートの前を通り過ぎる。
やはり、「難しい本」を読むのには夜中が一番いいのだけど、こんな風にしているとすぐ朝になってしまう。(一晩かかって、短い章を一つしか読めなかったけど。)「難しい本」を読んだからといって別に、何かの見通しがよくなるわけでもないし、頭が良くなった気がするわけでもないく、ただ、どっかの険しいところを抜けて来たという感じが残るだけなのだけど。