●差し迫った用事があるのに、ここ数日なにかとその用事から逃避したがる傾向にあって、ここ何日かの日記が長めなのもその反映だろうと思う。昨日の夜などは、何年も前に買ったけどなんとなく敬遠して読んでいなかった本をいきなり読み始め、読み始めたら意外にスッと入り込めて、ほぼ夜を徹して八割がた読んでしまった。それはそれで充実した時間ではあったのだが、今はそんなことをするなら別にすべきことがあるのだった。(今すべきことから逃避してする別のことにこそ、集中力が充実するというのは困ったことなのだった。)若冲を観に京都まで行くため時間をなんとかつくりだすためにも、用事はなるべくサクサクとこなす必要があるのだが、ちょっとした精神的な重圧もかかる用事なので、なにかと理由をつけては逃げたがってしまう。どのみち、六月半ばになれば自動的にヒマになるのだけど、その頃には若冲の展示は終わってしまっている。
●それとはまた別の用事で市役所まで行った。気分転換の散歩も兼ねて。5月の初旬のような、ただもう風を浴びているだけで限りなく気持ちよくなってしまうような陽気ではもう既になくて、湿気がまじってジメジメした空気になってしまってはいるのだが、それでも降り注ぐ光と、その光りを受けとめる緑はとてもうつくしくて、目から入り込む緑の振動にひたすら興奮しながら歩く。昼過ぎころに部屋を出た時には、陽射しはそれほど強くはなくて、ここ数日としては涼しめだったのだが、次第に日が強く射してきて、歩いていると汗ばむくらいになる。用事を済ませた帰り道、木造のアパートの脇に立つ木の枝から垂れ下がるように生えている薄緑の葉を光りが通過して発光しているようで、半透明な感じでその向こうに隠れた葉の陰が透けている様や、やや離れた場所の神社に生えた巨木の濃い緑の茂みの塊が、風でゆらゆら揺れているのを見て、もう、絵が描きたくなってむずむずしてくるのだった。最近は、ドローイングや人物のクロッキーなど、線の仕事ばかりしているのだが、そういうのではなく、絵の具(色彩)を使ったペインティングが描きたいという気持ちが盛り上がって、もう部屋へ帰ったらすぐにでも描きはじめなければ気が済まないという気持ちにさえなるのだが、今は、ペインティングに全身で入り込むような時間的、精神的な余裕はないのだった。(この気持ちの盛り上がりもまた、「逃避」の効果なのかも知れないのだが。)今見ているものを、出来るだけ身体の奥底にまでたっぷり染みこませるように、出来るだけ感覚を開くようにして(傍から見たらさぞ、ぼさっとした間抜けな姿だろう)、ちょっと待て、もうちょっと待て、と言い聞かせつつ歩くのだった。