制作モード

●今日も早起きして制作。F40とF10の作品を並行して描きはじめる。タブローの制作が久々に本気モードに入りそうな感じになってきている。まだ「入った」とは言い切れないけど。(ずっとドローイングばかり集中してやっていて、タブローは手慣らし的な作品しか最近つくっていなかった。)昨日はひたすら「いい感じ」だったのだが、本格的に「入り込もう」とすると、やはりいろいろ問題点がでてくる。(この「問題」は何も、今日描き始めた作品にのみあてまるものではなく、ぼくがつくっているタブローにずっとつきまとっている問題でもある。だからこの「問題」は、制作にある程度以上踏み込むと必然的に出て来るもので、だから、問題が顔を出す程度にまで本気モードに踏み込みはじめたということだろう。稀に、この問題をすっと通り抜けて、さらっと作品が出来てしまうこともあるのだが。)
午前中いっぱい制作して、一区切りつけて休んでいると、外が、まるで台風一過のような良い天気であることに気付いた。こんないい天気の日に外に出ないのならば、何のために生きてるのか分からない、みたいな勢いで、絵の具のついた手と顔をささっと洗って外へ散歩に出る。(ところどころで紫陽花が吹きこぼれるように咲いていた。紫陽花は花もそうだけど葉の繁る勢いが凄くて、いかにも初夏っていう感じだ。)
午後は本を読んで過ごそうと思っていたのだけど、あまりのいい天気に興奮して、散歩から帰って一休みした後も、制作をつづける。しかし、あまりに気持ちが盛り上がっている時に作品に手を入れるとろくな事がないので、抑えて、抑えて、先走りするな、面倒くさがらずにここで一歩引け、と自分に言い聞かせながら制作する。(制作しているときは、すごく集中しているのと同時に、すごく気が散っていなければならなくて、これはなんともムズムズする感じなのだけど、盛り上がっている時は、集中だけで単調に突っ走ってしまいがちだ。)
●問題点、と書いたけど、この問題点は言葉では言えない。というか、おそらく言葉で捉えてしまってはいけないものなのだ。かといってそれは、抽象的なものでも曖昧なものでもなく、きわめて具体的なものなのだが。色彩の関係を微妙にコントロールする時もそうなのだけど、判断やコントロールに言葉を介在させてしまった途端に、それは具体性から離れて、とても「粗い」ものになってしまう。それでも、それを「説明」しようとする時は何とか伝わるような言葉を考えるし、やったことを後から分析するのには言葉は有効なのだけど、「つくって」いる時は、言葉に頼っては駄目なのだ。