『クーリンチェ少年殺人事件』(エドワード・ヤン)

●『クーリンチェ少年殺人事件』(エドワード・ヤン)をビデオで。九十年代には何度も何度も繰り返し観た映画だけど、改めて観るのは久しぶり。あまりに好きなので、最近では、相当の覚悟がないと、そうやすやすと観直せないという感じだった。近所のレンタルビデオ店を何軒かまわったけどなかったので、自分で持っている昔ダビングした画質の悪いビデオで観たので、あの、アジアの埃っぽくて湿気ている夜の空気の動きまでを肌で感じられるようなうつくしい夜間撮影を充分に目にすることが出来たわけではないけど、それでも圧倒された。凄い。観終わっても、あまりのことに言葉が出てこない。
映画作家に限らず、作家にはいろいろなタイプがあって、より多くの作品を重ねることで自分の資質を発見し、それを研き上げるようなタイプもいるけど、より少ない作品に、自分自身のすべてを投入して凝縮させるようなタイプもいて、エドワード・ヤンは間違いなく後者で、まさにこの一本に映画作家としての「エドワード・ヤンのすべて」が、隅々にまで行き渡って凝縮されているように思う。というか、この映画には「世界のすべて(世界がこのようにしかあり得ない、ということのすべて)」があると言っても良いのではないかとさえ思う。ただしそれは、あくまで「男の子からみた」世界のすべてではあるのだけど。