●とても「濃い」夢を見て目覚めた。とりたてて強烈だったり変わっていたりする夢ではなく、おそらく同窓会のようなものに出席していて、大勢人が集まっていて、いろんな人が、現れたり帰ったり、余興みたいなものをしたりしている席で、飲んだり食べたり話たりしているような、まあ、ありふれた夢だ。しかし、その夢の細部のひとつひとつが妙に「濃」くて、目が覚めてからもしばらく、こっちの世界へ帰ってくることができなかった。
強烈で濃厚な(例えば、恐怖だったり、怒りだったりを伴う)夢を見て、その強烈さによって目覚め、目覚めてからもその感覚がなかなか消えないことはたまにある。でも、そういうことではなく、夢の世界の密度があまりに充実しているため、目が覚めてからの現実の方が、薄っぺらで、地に足がついていないもののように感じられたのだ。たいていの夢は、どんなに強烈でも、起きて昼間の活動をはじめるとそのリアリティは嘘のように(少なくとも表面上は)消えてしまうのだけど、今日は、かなり長い間、あれは夢ではなくて、昨晩実際に起こったことなのだという感じが抜けなかった。
有名な、荘子の「胡蝶の夢」という話があるが、いままでぼくはこの話を、出来の悪いメタフィクションのようなものとしか思えなくて、リアルなものと感じたことがなかったのだが、今朝の目覚めの後の感じで、はじめてリアルなものに感じられた。今朝方の夢では、夢のなかのぼくも、起きてからのぼくも、どちらも現在のぼくであることにはかわりないのだが、置かれている状況が微妙に違っていた。夢のなかがとりたてて幸福というわけでも、悲惨というわけでもないのだが、しかし微妙に「設定」が違うのだ。(一種のパラレルワールドみたいな感じだ。)で、起きて活動をはじめてからもしばらくは、夢のなかでの「設定」の方が、どうしても「本当っぽい」のだった。現実の「設定」の偽物っぽさを感じつつ、時々、あれっ、どっちだったかなあ、とか迷うのだ。こんなことは今までにはなかったと思う。
テレビで、寝具の通販番組などで聞く、「人生の3分の一の時間は眠っているのだから、快適な眠りを....」みたいな紋切り型にさえ、リアリティを感じてしまったりもした。確かに、寝ている間も生きているわけだ。(あるいは、寝ている間こそ?)