『松ヶ根乱射事件』(山下敦弘)をDVDで

●『松ヶ根乱射事件』(山下敦弘)をDVDで。面白かった。この映画で面白いのはまず、主役の双子が、どっちがどっちなのか途中までよく分らないところ。途中まで区別がつかなくて、「?」「?」と思って見ているのだけど、それがそのうちに区別がつくようになり、さらに対照的な性質をもつようになり、しかし最後にはまた結局、似たり寄ったりの感じに戻ってゆく。このような意図的な混乱(この双子は、警官の制服以外の時は、ほとんど似たような服を着ている)は、はじめから分り易くキャラを立てるなんていうことよりもずっと高度なことで、(平倉圭氏の説をそのまま流用すれば)ゴダールとほとんど同じようなことをやっているのだ。あるいは、そのこととも深く関係があるのだが、映画がはじまってからしばらくは、まとまりのないとっちらかった細部が、ただ淡々と重ねられているように思えるのだが、しかしそれを一定の時間見続けていると、地方都市の何とも冴えない雰囲気が濃厚に漂いはじめるだけでなく、登場人物たちの複雑な関係をいつの間にか明確に掴んでいるのに気づくのだ。(ちょっと前に流行った群像劇みたいに、わざとらしい「映画的な徴」によって人物の同一性や関係性が分るのではなく、あくまで描写の積み重ねによって自然に分るようになっている。)これは、たんに淡々としたオフビートの演出などというものではない、かなり高度な達成であるように思われる。最初は、双子の弟の方の警察官が主役だなどとは思わず、ずっと見続けてゆくうちに、あれ、この人が話の中心にいるのか、と、ある時ふと気づく。人物(図)とその背景(地)とが、同時に、徐々にじわじわと浮き上がってくるような描写の積み重ねは、映画の話法としてかなり野心的であるように思う。どの人物も、一つ一つの場面では輪郭がほやけ、誰も彼もが類型的で似通っていて、明確なキャラはたたないのだけど、いくつもの描写がつみかさなることで、徐々にそれらの人物の固有性がみえてくるのだ。(親から売春をさせられている理髪店の娘のキャラなど、描写が積み重なるほどに味わい深いものとなる。逆に、木村祐一たちの犯罪者カップルは、はじめのうちは受けを狙い過ぎのキャラで浮いているようにも思えるのだが、描写の積み重ねで説得力が出ることで、徐々に納まってみえてくる。)ラストの、「乱射事件」ってこのことか、というようなオチも冴えている。
この映画で最も上手くいっていないと思われるのは、三浦友和が演じる父親であろう。誰でもが知っている有名人であり、顔立ちもはっきりしていて、演技の輪郭もキッパリとしているため、この映画のなかでは分り易く浮いてしまっているようにみえた。三浦友和の顔は、無精髭をはやしても全然だらしなく見えないので、この身勝手でダメな父親が、実は頼りがいがある人であるかのようにもみえてしまう。一見、頼りがいがありそうに見えて、実はダメダメだというような「汚れた」感じまではいってないので、この人物だけ妙に薄っぺらに感じられる。最初に、警察官の息子に会うシーンはとても良いと思うのだが、息子の婚約者の家族と会ってべらべら喋りまくるシーンや、息子に、お前も理髪店の娘と関係があるんだろう、気づいてないと思ってたか、と告げるシーンなどは、安易なテレビドラマのようにみえてしまう。
あと、終盤になって「ネズミ」にあんなに過剰な意味をもたせる必要はなかったのじゃないかと思う。(何度も空のねずみ取りを見せているのだから、同僚の警官に、オレは一度もみたことないんだけど、と、さりげなく言わせるだけで充分なのではないだろうか。)それと会わせて、警察官の「狂気」みたいなのを強調しはじめるのも、わざとらし過ぎる。最後の方になって、急に「映画」みたいにしようとしてしまっている感じがあった。