08/02/15

●今日、すごくいい絵が五分くらいでさらっと描けてしまった。上手いね、自分、と、自分で自分に感心してしまった。いままで四十年生きてきて、もっともマティスにちかづけた五分間だった。これがたった一度だけのことではありませんように。(たんにマティスの真似じゃん、とか言うな!)
●美容院のカードをみると最後に行ったのが去年の二月で、もうまる一年、髪は伸ばしたまんまの放置状態なのだが、ヒゲを剃る時に髪が顔にかかると鬱陶しいので耳にひっかけて鏡をのぞくと、その顔にどこか見覚えがあって、誰かに似ているような気がするのだが、ずっと誰だか分からなくて、今日、ふと、それが母親であることに気づいた。
母親に似てるなんて当たり前のことなのだが、ぼくは小さい頃から父親にそっくりだとずっと言われつづけていて(母方の祖母からは「瓜二つだわねえ」とさえ言われた)、学生の頃などは父親の若い時の写真をそのまま学生証の写真にしても大丈夫なんじゃないかと自分でも思ったし(さすがに髪型が「時代」を感じさせてしまうけど)、展覧会を父親が観に来た後などは、たいてい画廊の人に、「お父様だとすぐにわかりましたよ」と言われるくらいなので、鏡のなかの自分の顔に母親を見出すことになるとは思ってもいなくて、なかなか気づかなかったのだろう。
おそらく、髪が伸びて、髪の質とかクセの感じとかが母親に似ているので、そこから、自分の顔にある母親に似ている側面が見えてきたのだろう。顔の上半分(目と額)は、案外母親にも似ているんだ、と今更ながら思った。(母親に似ているというより、母方の顔の感じを、自分の顔のなかにもみつけた、ということか。)
●『神霊狩/GHOST HOUND』の1~3話をDVDで。脚本が小中千昭ということもあって、ちょっと期待して観たのだけど、最初の方だけを観る限りでは、いろいろ外してるように思う。思わせぶりな演出がいまいちだし、アニメとしての絵や動きの質も、そんなに高いとは思えない。初期の石森章太郎っぽい(「龍神沼」とか)キャラクターも、なんか動かしにくそうだし。あと、声優喋りで方言というのも、ちょっと微妙。それに、方言はどうしたって具体的な場所と結びついてしまっているいるはずなのに、話の舞台は、風景を見るかぎりでは一般的な(抽象的な)「田舎」でしかなく、それ以上の、その地方の独自性みたいなものは感じられない。(九州の方の方言ぽいけど、何で九州?、という感じ。まあそれは、これから明らかになるのかも知れないけど。)アニメで風景(場所)を表現することの難しさを、改めて感じたりもする。(そう考えると、やはり『電脳コイル』は例外的に上手くいっているのだなあと思う。)
「お話」のレベルでは、まだまだ滑り出しっていう感じで何とも言えない。まあ、期待しないでもうちょっとだけつづきを観てみようと思った。