08/02/19

マティス風の絵(という言い方はどうかとも思うが、便宜上こう呼んでおく、15日、17日の日記を参照のこと)を、あれから2点描いた。でも、やはり最初に描いたやつが一番いい。ただ、どうも、後戻り出来ず、こっちの方向へ進まなければ仕方がない感じになってきた。(色彩の仕事は並行してつづけるけど。)はじめは、わっ、すげえ、こんなの描けちゃったよ、というノリだったのに、「こっちの方向へ進まなければ仕方が無い感じ」とは、随分調子がかわってしまっている。気が重い。気が重いというのは、本当に、こっちに行っちゃって大丈夫なのか、自分、という感じだ。こっちに行くことに対しての確信が持てず、決定的に間違った方向へと一歩踏み出してしまったかのもしれない、という不安もある。ただ、そのような気持ちより先に、手は、既にすっかりそっちへ向いて滑り出してしまっているようだ。自分の手が「描いてしまう」ことの恐さというのか。
今の描き方だと、F30(91.0×72.7センチ)くらいの大きさのフレームの絵を、ほぼ5~10分で描いてしまう。これは全然楽ではない。緊張して緊張して緊張して、気合い入れて気合い入れて気合い入れて、ある一点でダッとはじめ、一発決めで、後戻りなしで、一気に最後まで、という描き方は、ほとんどスポーツというか、相撲とか柔道とかの選手ってきっとこんな感じなのだろうなという感じで、マジに身体的にキツい。勘弁してほしい。ほんの少し前までは、油絵の具はゆっくり描けるところが良くも悪くもある、なんて言ってたのがウソみたいだ。アクリルで描いていた時よりも断然はやく描いている。ただ、今、はやく描く必要があるのは、このような描き方をはじめたばかりなので、掴んだと思ったら一気に行ってしまうことが必要で、こね繰り回していると「感じ」を見失ってしまうからで、もう少しつづければ、「感じ」を保ったままの宙づり状態を維持出来る様になり、捏ねたり練ったり、いろいろ揺さぶったり、保留したりすることも可能になってくるだろうとは思う。(その前に、やっぱこれダメ、と思うかもしれないが。まだ迷っている状態なので、とりあえずはやく描くことで手を先行させて、「描いてしまって」から、その結果についてじっくり考えたいのだ。)
ぼくはいつも、絵を描く前にいろいろ考えたり、イメージを濃縮させたりして準備しても、実際にキャンバスの前に立って、絵の具をこね始めると、だいたい、いきなり別のことをはじめてしまうのだけど(実際に「物」に触れた時の感覚を信用するしかないのだ)、それにしても、今回の「別のこと」は、あまりに別すぎて、自分でも予測がつかないくらい別だった。困った。まあ、カラージェッソは出来る事の幅がはじめから狭いので、「別のこと」といってもたかが知れているのだが、油絵の具は本当にいろんなことが出来てしまうので、こういうことにもなる。
●ただ、少なくとも、マティスが(あの素晴らしい、驚くべき)絵を「どのように描いたのか」ということの端緒くらいは、自分の身体において掴めたのではないかという感覚はある。マティスはきっと、こういう風にして線を引いていたのだろうし、こういう感じでスペースを意識し、捉え、動かしていたのだろうという感触を、実際に手を動かしている短い時間だけは掴んでいるように思う。しかしまだ、その結果として出て来るものが、マティスの絵の半端なイミテーションみたいなものに留まってしまっているから、それに対して確信がもてないのかもしれない。野球少年が、イチローを真似たフォームで、とりあえず一本ヒットが打てて、ああ、イチローって「これ」なのか、と感じたとか、その程度のことなのかも。